1993年8月、38年ぶりに自由民主党の1党支配(55年)体制が終焉し、自民党と共産党を除く7党一会派の連立政権、細川政権が誕生した。それに先立ち小沢一郎率いる新生党が、そして武村正義率いる新党さきがけがそれぞれ自民党から分裂した。
この国では、保守とリベラルの対立軸の所在が政治家の間ですら、よくわきまえられてはいないようだ。アメリカでは、共和党が保守、民主党がリベラルということで、選挙民はよく理解している。残念ながら日本では、保守とリベラルという二者択一の選択に、依然、選挙民は不慣れなままである。市場を万能視し、自己責任・自助努力をモットーとし、低福祉・低負担を志向し、秩序と伝統を重んじ、社会的異端に対して厳しいのが保守主義である。市場は万能ではないから、経済的不均衡を是正し、景気循環という不安定を取り除くためには、財政金融政策を駆使しての政府の市場介入は不可欠であるし、相対的には高福祉・高負担を志向し、経済的弱者をも含めて異端に対し寛容なのがリベラリズムである。
日本の市場経済は、不自由、不透明、不公正なまま、長年にわたり放置されてきた。このことを紛れのない「事実」として認めるならば、自由、透明、公正な市場経済を目指す市場主義改革を提唱する、経済戦略会議の「最終報告」は、それを改革のファーストステップの提案としてみる限りにおいて、十分有意義な提案だとして評価することが出来る。
保守主義者のいう「改革」とは、自由、透明、公正な市場を作ることに尽きるのである。自由、透明、公正な市場経済をつくりさえすれば、それで改革は終わりというわけである。ただし、あからさまな弱肉強食は、さまざまな社会的軋轢を引き起こしかねないから、社会的結束を保つために、競争の敗者に対して救いの手を差しのべる、すなわちセーフティ・ネットを用意しておかねばならない、と保守主義者は考える。セーフティ・ネットとは、優勝劣敗を原則とする競争社会を前提にすえて、必要最低限の生活費を敗者に保障するための社会的装置を意味するのであって、保守主義者が好んで使う用語である。
他方、リベラリストのいう「改革」とは、自由、透明、公正な市場をつくったうえで、結果として生じる「副作用」の一つである失業を解消し、所得格差を是正するために、財政金融政策による市場介入を、経済安定化のために必要不可欠な政府の役割だとする。要するに、リベラリストにとって、市場主義改革は「改革」のファーストステップでしかない。
21世紀における「政府の役割」は、一つは、環境の保全、人権の擁護、公教育の整備・充実、公的医療の整備・充実など、ポスト・マテリアリズムな価値の追求を主とするものとならざるを得まい。そして、もう一つには、民間企業の手に負えない大型技術の開発、途上国の経済発展と生活環境の改善に資する支援、より広くは国際公共財の提供である。政府対市場、官対民という二項対立的図式で社会をとらえることに、そもそもの誤りの源がある。市場経済は効率的ではあっても、公正、環境、人権などを守る保障はいささかもない。「市場の失敗」を補完することが政府の役割にほかならない、と。
わが国において80年代半ば、国鉄と電電公社が民営化された結果、いずれもが経営と顧客サービスの両面において顕著な改善を示した。また、1989年には、消費税が導入され、直接税から間接税への重点移行という保守主義税制改革の路線が敷かれた。市場も政府も万能ではない。だとすれば、市場と政府は、お互いに相補的な関係にあると考えるのが正しい。そうした観点から私は次のような改革を提案したい。
市場主義改革は必要ではあるが十分ではない。必要にして十分な改革とは、市場主義改革と「第三の道」改革の同時遂行である。「第三の道」改革とは何なのか。その狙いは「平等」な「福祉」社会をつくることである。ただし、「第三の道」改革を有意味ならしめるためには、平等と福祉という二つの言葉の意味を再定義しなければならない。
「平成不況からの回復がおもわしくないのは、この国にはびこる平等主義ゆえんのことである」と保守派論客の多くは平等主義を断罪する。機会平等は必要だが、結果平等は不必要どころか「悪」である。これが市場主義者の平等観である。景気の良し悪しが、失業率の高低を定める最大の要因であることは、言うまでもあるまい。しかし、労働力市場におけるサプライサイドの問題、すなわち労働力の「質」の良し悪しもまた、失業率の有力な決め手の一つであることを見落としてはなるまい。景況に左右されない潜在的な失業率を低下させるためには、公教育の質を高めることが何よりも必要なのである。人的資本の「質」を向上させることこそが、労働生産性を向上させ、経済成長率を高め、失業率を低下させ、失業保険の受給者の数を減らし、福祉財政の逼迫を回避するための正攻法だと心得るべきなのである。
21世紀の「最初の10年」の時代文脈は、どんなものになるのだろうか。ポスト工業化社会(IT革命とグローバリゼーション)の「矛盾」が顕在化する時代になるというのが、私自身の予測するところである。「矛盾」とは何か。第一、個人間、国家間の所得格差がとてつもなく拡大する。第二、リスクと不確実性が増大する。第三、自由競争の結果が「一人勝ち」に終わる(収穫逓増の)傾きが強くなる。
2000年10月に岩波新書として佐和隆光氏の「市場主義の終焉」が出版され好評を得た。本書はその続編として企画されている。作家の池澤夏樹さん、財政学者の神野直彦さん、千葉県知事の堂本暁子さんの3人が対談相手として選ばれており、本書を構成する個別の対談が巻末に記載されていて興味深い。市場主義とは何か、保守主義とは、リレベラリズムとは――について再度考える場を提供してくれている。イギリスでは1979年サッチャー首相の登場により市場主義改革を行い「イギリス」病を退治したが、その副作用として所得格差の果てしない拡大、そして、公的医療と教育の荒廃を生み出した。市場経済は効率的であっても公正、環境、人権などを守る保障はいささかもないということだ。この点を政府が如何に補完するかである。小泉内閣にもこの補完することを十分考慮した政策を期待したい。
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