日高義樹は、NHKのニューヨーク支局長、ワシントン支局長を歴任。その後NHKエンタープライズ・アメリカ代表を経て、現在ハドソン研究所首席研究員である。
本書は、第1章から、第6章の構成になっている。著者はこの本の最後で、「日本の1990年代の停滞は、アジア全体と比べると、明らかに衰退の10年であった。失われた10年などと呑気なことを言っているべき時ではない。いま、不況ではない。衰退がはじまったのだと気がつきさえすれば、日本人は必ず動きだす。気がつくのが遅れれば遅れるほど、衰退をはねかえすのが難しくなってしまう」と述べている。世界情勢をよく知る著者は、かなり厳しく日本を見ている。アメリカにいる著者にとって、外国から日本を見た方がよく見えるのかも知れない。
アメリカから出た日本の銀行の国有化構想は、日本全体に対する不信に基づいており、特に日本の政治家や金融界、日銀、財務省に対する徹底的な不信感と疑惑が底流にある。日本の銀行の国有化を求めるアメリカの声は、世界における日本の銀行に対する不信の象徴であり、歴史的に見れば経済大国といわれてきた日本の衰退の大きな第一歩である。
同じように日本の衰退はウォール街でも極めて顕著になりはじめている。「日本の通貨と株はいまやメキシコやカナダ並になってしまい、いわばローカルカレンシーでありローカルアセットである」とウォール街の有名なトレーダーが言うように、日本円はもはや一流の国際通貨とは考えなくなってしまった。これらの大きい理由は、日本の政治家の理念のなさや、狭さや古さが日本を全体として衰退させているのである。アメリカは、長い間日本政府がNHKとともに開発に全力をあげてきたハイビジョンシステムを否定したのだった。このこともまた日本衰退の大きな現象の一つといえる。こうした状況に対して、日本では政府をはじめ多くの人々が危機感を持っていない。NHKのハイビジョンについても、すでに10年以上世界の放送機関や国家が非能率的なものであると決め付け、コマーシャルベースでは使えないと認定しているにもかかわらず、何の反省もなく強引に日本では開発が進められてきた。政治家の腐敗や古さ、経済界一部の傲慢さ、ハイビジョンなどに見られる効率性や能率の無視、こういったものが日本を全体として衰退させているのである。
「アフガニスタンの兵隊たちは戦争に負けると兵器を持ったままうちへ帰ってしまい、それで戦争は終ったと思っている。アメリカ軍が捜し出して牢屋へ入れると訳がわからないまま大騒ぎする」。アフガニスタンにおけるタリバンの戦争のやり方は、まさに500年前の日本の戦国時代の戦いのやり方そのままである。モズレムの熱心な教徒であるタリバンは、500年を経た現在もなお15世紀の世界に生きていると言える。文明の衰退、あるいは国家の衰退というのが恐ろしいのはまさにここにある。知らない間に世界が変わってしまい、自分の置かれた場所が変わったのに気づかない。日本がいま置かれた状況はすべて日本の衰退ぶりを示す恐ろしい現象であると受け取るべきではないか。
21世紀には多くの国々が衰退国家の仲間入りをするはずだ。イタリア、ドイツも人口が減りはじめ国民総生産が小さくなるとともに衰退国家といわれるかもしれない。しかし、いま最もはっきりした形で衰退国家とされるのは日本である。多くの世界の衰退国家の原因は、権力的な古い軍人にある。中南米や東欧の国々、そしてインドネシアやフィリピンが独立して以来、長い時間が経ったのに経済が発展をやめてしまい、発展途上国が衰退国家となったのは、軍部が好き勝手をやっているからだ。日本では機関銃やタンクを使う軍人による専横はない。しかしながら、軍服を着ない官僚と呼ばれる権力者たちが国家を動かしているために衰退がはじまったのだ。一方、ヨーロッパの国々、フランス・ドイツ・イギリスでも社会主義政策の行き過ぎと労働組合が国家を衰退させつつある。ドイツもすでに衰退国家の仲間入りをはじめているとも言える。
1990年代、日本は国家を拡大する政策をまったく取らず、不況対策という名のもとでその場しのぎの政策を続け、国家を衰退させた。官僚や政治家たちが思い出したように汚職で捕らえられ、追放されたりしたが、社会全体を衰退から救うことはできなかった。
いま日本は不況ではない、衰退である。清国の指導者は大国意識を持ったまま国を失ったが、いまの日本の指導者は依然日本が経済大国であり、物づくりとそして貯金をすることに格別な能力を持った国であるという虚しい自信を持ち続けている。1980年代と異なり、アメリカはすでに日本以外の物づくりの力や、日本以外の資金を取り込む方法を見つけてしまったのである。アメリカが1980年代に考え出したデジタル技術とITは、まさにそのためのものである。
いま自民党の古い政治家が継承している景気回復のための最終の手段、円安は日本を復活させるどころか日本を買い取りやすくさせる。日本円が20%安くなれば世界の資本は20%も安く日本を買い取ってしまう。その上もっと恐ろしいことは、円安が進行し円安の一連の動きがこの先、円に対する信頼をなくしてしまうことだ。2002年日本の景気が飛躍的によくなるという奇跡が起きることはほとんど期待できない。
ブッシュ政権は2002年1月はじめ、日本円にして50兆円にのぼる国防予算を議会に提出したが、アメリカの国防費は日本でいえば公共投資にあたり、アメリカ景気拡大のための大きなてこになるのは明らかだ。アメリカの人口はこの10年間で4000万人、つまり韓国1個分増え、1980年代の終わりには2億4000万人だった人口が2億8000万人となっている。アメリカ政府の推定によると、50年後にはアメリカの人口は4億人に増える。
ホワイトハウスのスタッフは、「日本の銀行の株は安い。日本の株も全体的に安い。しかしながら世界の企業と比べれば依然として日本の企業の収益率は低い。将来性もあまりない。そうした中で世界の投資家が日本の株を買うはずがない」。日本の銀行はゼロ金利の下、安い預金や資金を集めた上、消費者金融の子会社を使ったりして儲けまくり、その利潤を自分の企業のためだけに使っている。そして本来の目的である企業投資や経済活性化のための活動を行っていない。弁護の余地はない。
著者が聞いた10人以上のマネートレーダーの半数以上が、10年後には人民元の方が円よりも信用できるのではないかと予測した。日本の経済力の衰退よりも速いペースで、日本円の信用は低下していくという見方もある。アメリカとしては今後はアジアにおける日本と中国二つの大国をかみ合わせることが重要な政策となってくる。
地理的に見れば日本はアメリカの25分に1、ロシアと比べれば45分の1である。しかし一方では、イギリスよりもイタリアよりもドイツよりも大きいという事実もある。しかしながら人口では、中国の10分の1、アメリカの2分の1にすぎない。一方、また経済規模で見れば、日本の国内総生産はフランス、ドイツ、イギリスを合わせた額にほぼ匹敵する。
中国に至っては、日本の20%余りにすぎない。こういったデータを揃えてみれば、日本は極東における小国ではあるが、世界の中に重要な位置を占めていることは明らかだ。しかも世界経済の中における国民総生産の総額は、世界の15%を占め、中国がわずか3%であるのと比べるとその大きさは歴然としている。世界を全体的に見れば、これまで述べてきたようにアメリカやヨーロッパはすでに21世紀にむけてこれまでとはまったく違った動きをはじめており、新しい世界へと動いている。
日本はいま、国家全体が衰退しはじめており、将来の展望どころか悲観論だけが目立っている。しかし世界全体の一員としては、その担うべき責任は大きく、悲観論だけに打ち沈んでいるべきでないことは歴然としている。
小泉首相の政治手法は古い自民党の政治家とほとんど変わっておらず、情報化が社会や企業、それに人々の生活を一変してしまったことをはっきりと認識していない。相変わらず古い日本の政治の常識、永田町の考え方に従って政治や国家のあり方を調整しようとしている。日本での小泉首相の米百俵について、アメリカでは「生産性の低い200年前の話ならば、米百俵を備蓄して教育費に回すことは美談かもしれない。しかし、いまのように生産性が高くなり経済活動が大きくなっている時、米を教育のために備蓄するなどということは冗談にもならない。ローンで大学に行くべきだ。まさに小泉首相をはじめ、日本の政治家は、タリバンの世界に住んでいる」とアメリカの財界人は考えるわけである。
以上が本書の概要である。著者はいまの日本を憂い、現実の問題をアメリカ人の有識者などの意見を聞きながら、日本に対し警告を発している。小泉首相の米百俵が話題になると、各出版社はそれに関する本を山のように出し褒め称える。三方一両損も然りである。
自分なりの哲学をもたないばかりに、付和雷同型に動き国民全体が日本を衰退に向かわせているとも言える。現在はグローバル化の時代だ。小さな日本国内のことや自分の回りのみに目をやって大局眼を失うと大変なことになる。日本国民の1人として、国家に貢献するには如何なる行動を起こすべきか1人1人が真剣に考えるときだ。このままでは、弱者の国民にしわ寄せが押し寄せてくる。やがて日本は著者が指摘するように衰退してしまうかも知れないのだ。
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