一時、3ピンと呼んで、渡部昇一、竹村健一、大前研一の3人を“売れっ子”としてマスコミが取り上げたことがある。当時この3人は、執筆や講演に大活躍であった。渡部昇一氏は現在上智大学の名誉教授、イギリス国学協会会長である。
彼曰く「マスコミの大方の論調と私の考え方が違ってくる最大の理由は、“歴史”に関する見方と知識であると思う」と述べている。この意見は非常に大切なことだと思う。彼の歴史の見方というのは、「“日本の言い分”をも考慮に入れる、ということに尽きると思う。マスコミの多くも歴史を扱う際に“日本の言い分”は取り除く癖がついているらしい。そのために日本に有利な事実も見えなくなってしまったと思う。
例えば祝日にしても、占領軍に与えられた憲法を記念する日はあっても、独立回復を記念する4月28日は忘れられている。昭和20年8月15日から昭和27年4月28日までは、日本に主権はなく占領されていたのである。その占領が終了したのが昭和27年4月28日だ。したがって、それまでの占領下の日本で作られた法律は、新憲法をも含めて一度は全部無効であるとしなければなるまい」という。
渡部昇一は、現代世界の潮流を「世界の流れは“ユダヤ化”にあり」としている。それは、(1)国際化、(2)能力主義、(3)契約第1主義、に集約できると述べている。日本人がそうした世界の潮流をきちんと押さえた上で、その持てる能力を存分に発揮する環境さえ整えることができるならば、日本が再び浮上するには長い時間は要しないと考えている。
本書は11章に分かれている。第1章「日本再生元年」、第2章「これでいいのか、日本の外交」、第3章「軍事力が世界を動かす」、第4章「普通の国になるために」、第5章「新しい政治システムの可能性」、第6章「小泉首相への応援歌」、第7章「デフレは悪くない」、第8章「ホロコーストされた国・日本」、第9章「エリートよ古典を読め」、第10章「夫婦別姓をつぶせ」、第11章「21世紀の日本の繁栄のために」、以上の章である。
著者の主張は、日本の歴史を考える際に、戦後の占領軍の洗脳に関係のない物の見方がなければならない、と述べている。例えば、小泉首相の靖国神社参拝について、昨年同様に、この4月の参拝も中国、韓国からクレームがつけられている。著者は次のように語っている。「国のために戦死した人の99パーセントは、死ねば靖国神社に行くと知っていたし、遺族もそう思っている。仏教徒で自分の家では仏教でお葬式をやっても、地方では招魂社に祀られ、国では靖国神社に祀られるにだと納得していた。ところが戦争がおわったら、閣僚に連なる者が、お参りはしないと断言する。これでは、国のために命を捧げるなんて馬鹿らしいと思うようになっても当たり前ではないか。そもそも中国はなぜ、日本の閣僚が靖国神社に参拝するのに神経を尖らせ、反対するのか。それは彼らの防衛問題だからである。いま世界で最大の軍備拡張をやっている国はどこか。中国である。いま世界で最悪の植民地支配をやっている国はどこか。チベットや新疆ウイグル自治区を弾圧している中国である。そんな中国にとって邪魔なのは日本とアメリカである。その日本から国のために死ぬという人間がいなくなったら、日本の牙を抜いたも同然。それは何十個師団分もの兵力を備えたのに匹敵する。中国にとっては万々歳である。だからこそ、中国は日本の閣僚の靖国神社参拝に神経を尖らせ、大げさに批判し、あくまでも反対するのだ。日本の閣僚が靖国神社に参拝しないのは、中国に利し、日本の安全保障を危うくしているのだ、ということを知らなければならない」。そして、著者は、「中国や韓国のような先進国のセンスがない国には、配慮を示したり、頼みごとを聞いたりしてはだめなのである。それは相手がつけ込んでくる材料になるだけなのだ。それがわからない政治家には、その職を退いてもらわなければならない」と言う。
現在、イスラエルとパレスチナの紛争はエスカレートしている。アメリカのパウエル長官が仲介に立ったが不調に終っている。著者はこの問題に対し、「宗教戦争は馬鹿馬鹿しくなるまでやり合うしかない」と言う。われわれ日本人にはもう一つピンとこないところだが、宗教を抱え込んだ紛争ほど厄介なものはない。戦後、パレスチナ人が住んでいる土地にいきなりイスラエルが建国された。これはパレスチナ人にとっては大いに文句がある話である。問題の土地は聖書の世界に属する。われわれは聖書にある乳と蜜の流れる自分たちの土地に帰ってきたのだというユダヤ人の言い分は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった同根の宗教の世界では通用する理屈らしい。これまでイスラエルは周辺のアラブ諸国と何度か争ってきたが、イスラエルが圧倒的に強かった。その強いイスラエルがパレスチナの土地に半世紀にわたって存在してきたという事実はもはや動かし難い。一方、その土地に以前からパレスチナ人は住んでいたという事実も重い。実際の話、パレスチナにはこれといった産業もなく、多くのパレスチナ人はイスラエルに働きに行って暮らしの資を得ているという現実がある。いまパレスチナはイスラエルなしには生きていけない経済状況なのだ。一方のイスラエルもパレスチナ人の労働力によって回転している面が多分にある。この種の紛争を解決するには、方法はたった一つしかないようである。それは17世紀前半にドイツを中心に展開された宗教戦争である30年戦争によく示されていると思う、と述べている。宗教に根ざした紛争ほど厄介で難しいものはない。
最初に示した現代世界の潮流の3点を解説すると以下のことになる。
第1のユダヤ化とは、国際化のことである。元来、国がなかったユダヤ人たちは、国境を越えて発想をするという習慣があった。これからの時代には、国境を越えた発想こそ不可欠となる。それは日本の地方都市にある小さな繊維業者ですら、中国の安い労働賃金を意識することなしにはやっていけないということでもある。
第2は、能力主義である。この能力主義こそ、ユダヤ人が千年間望んできたものだ。ユダヤ人というだけで、長い間差別を受け続けてきた彼らは、己の能力に磨きをかけることに並々ならぬエネルギーを注いできたので、学芸や芸術などの分野において目覚しいばかりの実績を残している。過去のノーベル賞の2割ぐらいはユダヤ人が獲得している。
第3は、契約第一主義である。昔はイギリスのジェントルマン同士で借金をした場合なら、証書も借用書も要らなかったといわれる。しかし、お金を借りた相手がユダヤ人だった場合、借用証書がなかったとしたら、お金を返す者などいなかったのだ。
以上の3点がユダヤ化の特徴だが、これは偶然にも、アメリカという国の体質にぴったり適合することとなった。アメリカは移民たちの集まりだから、能力の方が大事にされる。何事もきちんと法律で定めて、約束した通りにやりましょうということになった。これは契約第一主義と同意語である。日本人は、これからの世界と日本を考える上で、このユダヤ化の三つの潮流こそが世界の基本潮流であるということを決して忘れてはいけないのである。
著者の主張である「歴史の事実を知れば新しい知恵や勇気が湧いてくる」これから国際的に活躍する青年たちにイデオロギーは必要ではない。歴史についての確かな知識があればいいのである。特に若い人たちには、イデオロギーや歴史観とは関係なく、「重要な事実」として、知っておいてもらいたい。と重ねて述べている。そして、世界は今後ますます狭くなり、宗教的な争いの種は尽きないだろうが、そのときのモデルもまた、この日本になるに違いない、とも言う。
しっかりした歴史観をもつ著者が、自分の考えをはっきり述べている。各章に見出しを付けたとおり、章ごとに彼の歴史観を入れながら我々に解説してくれている。一つの考え方、ものの見方として考えさせられる本である。
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