クラウゼヴィッツの名前や、その著書「戦争論」は知る人ぞ知る存在だが、一般的には余り知られていないし、読まれていない。本書は原文を4分の1に要約し、わかりやすく論理的な順序に再構成して、クラウゼヴィッツの知見を容易に理解できるようにしたものである。著者は、「戦争論」を読んでいただきたい理由として3つ挙げている。
- 海外から見ると、クラウゼヴィッツが「戦争論」を執筆した時代と、現代の日本ビジネス環境とは、既存の競争秩序が大きく変わる変革期という点で大きな共通点がある。
- 「戦争論」とは激動の時代のための意思決定論であり、そのことが現代にも立派に通用する理由である。
- 優れた戦略を策定するには、両極端の選択肢を論理的に考える高度なアプローチと、勇気や決断力を兼ね備えたリーダーが必要だということだ。
社会・経済・ビジネスを考える上で、いまほど「不確実性」が叫ばれる時代はない。安定を誇っていた企業が一瞬に倒産する。思いもかけない相手に買収されることすら珍しくない。その一方で、数年前は存在すらしなかった新興企業が台頭し、伝統的大企業を凌駕したかと思えば、何割かはあっという間に失速する。このような不確実性の時代には、「型にはまった手法」は役に立たない。むしろ、ゼロベースでものを考え、筋道をつくりあげていくといった「戦略的思考方法」のみが有効な武器となり得る。
クラウゼヴィッツによれば、戦略の天才とは、複雑で不確実性の高い環境下でも、常に最適な戦略を的確に見抜く能力をもつ人のことである。いわば、優れた指揮官に求められる独特のセンスとでも言うべきものである。クラウゼヴィッツは、武徳、勇敢、忍耐力、自制心などを特に重視する。そして、精神の働きを無視して、戦略を語ることなど不可能だという。
革命における本質とは、実際に起こっている新しい出来事の数々ではなく、多くの人々が共鳴する特殊な思想である。人間の可能性を解き放つ力を確信させるような思想である。われわれは今、政治と経済のあり方が革命的な大転換を遂げる時代の真っ只中にいる。
クラウゼヴィッツは51歳でコレラに倒れ、帰らぬ人となった。人生を楽しみ、軍人としても新しいキャリアを歩きはじめていたころだった。このとき著作はまだ完成していなかった。この著作は彼の妻、マリー・フォン・クラウゼヴィッツの手に引き継がれ、マリーは亡き夫の原稿を整理し、1832年に戦争論(原題はVom Kriege)を出版した。
西洋では、思想というものが芽生えた頃から理論と実践の関係が疎遠になり、今日では対極にあるとされることも多い。理論とは隅から隅まで調べる目の働きのことであり、古代ギリシャ時代の意味でいえば、論理的に考えようとする正気な人間はすべて理論家であった。クラウゼヴィッツは、折にふれて、戦略とは個々の戦闘を知的に活用し、持続可能な作戦行動に仕立て上げることだと強調している。戦略を策定する指揮官や経営者は、ただ考えるだけではだめだ。文字通り「戦略的に考える」段階に到達しなければならない。これがクラウゼヴィッツの求める究極の結果であり思想である。徹底した理論家のクラウゼヴィッツは、型にはまった理論よりも、軍事の天才が現場で発揮する能力を高く評価する。型にはまった理論には、リーダーの天分を持つ者の潜在力を鈍らせる危険があるからだ。そして最後に理論はあくまでリーダーに仕えるべきものであると結論づける。
高度な技術を用いて特殊な活動に取り組む際には、知性と感情の両面で、それに見合った素質が必要となる。その素質が人並みはずれた水準にあり、かつそれが発揮されて優れた成果が得られるとき、その素質を備えた精神は「天才」とよばれる。
戦争は危険に満ちている。そのため、兵士にはまず勇気という資質が求められる。勇気には2種類ある。1つは自分自身に降りかかる危険をものともしない勇気であり、もう1つは自分の行動に責任を負う勇気である。決断とは、ある特定の状況における勇気の働きである。決断とは、知性の独特な方向性によって生まれるものである。
ビジネスでイノベーション(革新)を行うときには、過去と決別し、新しいルールを打ち立てるのが常である。ルールが変化すれば産業そのものが変身を遂げる。これは確かに戦略に欠かせない一部分とみなされている。
理論はありとあらゆるものを解明し、知性が進むべき道を簡単にみつけられるようにしなければならない。つまり、誤った見方があちこちに茂らせてしまった雑草を引き抜き、物事と物事の関係を解き明かし、重要なものとそうでないものとを分けなければならない。
戦争は、技術や芸術の領域ではなく、社会生活の領域に属している。なぜなら戦争は大規模な利害の衝突によって起こるからだ。他の衝突と異なるのは、流血によって解決されるという点だけである。敵を打倒したければ、自分の力が敵の抵抗力を上回っているかどうかを見極めねばならない。敵の抵抗力は、密接に関連する2つの要素からなる。1つは「投入可能な資源の量」であり、もう1つは「敵の意志の強さ」である。
企業戦略は不確実性にどのように立ち向かうか。このような環境下において、シナリオ・プランニングという手法がある。一言でいってしまうと、将来の業界環境をいくつかの形で予測し、それぞれに対応した戦略を検討しておくというものだ。さらに、実際に各シナリオが現実化するきっかけとなりうる出来事を「予兆」として決めておく。いったん予兆が発生したら、それに応じた戦略をとればよい。
戦術とは「戦闘における武力の使い方」であり、戦略とは「戦争の目的を達性するための戦闘の使い方」であると分類したい。戦術とは戦闘を形作る方法であり、戦略とは戦闘の用い方である。戦略とは、戦争目的を達成するために戦闘を使用することである。したがって戦略を策定する際には、戦争の目的に合致した目標を軍事行動にもたせなければならない。したがって戦略を策定する際には、戦争の目的に合致した目標を軍事行動に持たせなければならない。戦闘において決定的な優位をもたらす原則とは、おそらく「奇襲」と「地の利」、そして「多方面からの攻撃」の3点だけだろう。防御とは何かと問えば、敵の攻撃を阻止することである。では防御の特徴は何かと問えば、敵の攻撃を待ち受けることにある。敵の攻撃を待ち受けるとき、すべての行動は防禦的になる。防禦が最もまばゆく光輝く瞬間とは、防禦が迅速かつ強力に攻撃に転じるとき、復讐の剣を振るって立ち向うときに他ならない。防禦の真髄が用心深さであるならば、攻撃の真髄は大胆さと自信である。最高の戦略とは、非常に強い戦力を常に維持することである。
戦争の計画を全体的にカバーし、かつ、あらゆるものの指針として役に立つ基本原則が2つある。第1の原則は、敵の戦力の重心の数を出来るだけ少なくすること。できれば、1つにまで減らすのが望ましい。要は、攻撃はできるだけ集中的に行うことが原則だ。第2は、できるだけ迅速に行動すること。
どんな戦争であっても、勝者が敗者を完膚なきまでに叩きのめすことではない。勝利にはほとんどの場合、限界点が存在する。
戦略とは一言でいってしまえば、勝てる喧嘩しかしないということである。したがって、どういう喧嘩なら勝てるのかを真剣に考えることが戦略策定の基本となる。自社の常識、業界の常識を第3者になったつもりで徹底的に洗い直すことが有効である。
勇敢さに欠ける人物が傑出した指揮官になることは考えられない。勇敢さという性格的な強さをもってうまれた人物でなければ、指揮官にはなれないということだ。その意味で、勇敢さは指揮官となるための第1条件だといえよう。クラウゼヴィツは、指揮官は政治家に従うという形で、国家目標を軍事戦略に優先することを大原則とした。企業の最終的な戦略を決めるのは、どのような企業でありたいかという経営の意思(本来のビジョン)にほかならない。自社の戦略を策定する大前提として、経営者は、「どのような企業であるべきか」、言い換えれば自社の存在意義を厳しく問い直す責務があるといえるだろう。重要なのは、株主と、従業員、地域社会や政府といった企業を取り巻くすべての利害関係者をいかにバランスさせるかについて、常に問い直す姿勢である。
以上が概要である。この不透明で不確実の時代こそ、活躍するのが真の戦略家であると、クラウゼヴィッツはいう。本書は、戦略論の原点というべき「戦争論」のエッセンスをまとめ、論理的な分析から古典的な弁証法、歴史に対する深い造詣、心理学的な洞察、戦略的思考と行動についての社会学的な解説まで網羅した「戦略の哲学書」である。
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