マネジメントとは、これまで一般に論じられてきたよりも、よほど深い世界なのではないか。そして、我々マネジャーが、日々のマネジメントにおいて突き当たる壁は、その深い世界に気がつくことによって、乗り越えていくことができるのではないかという考えを抱きました。では、その「深い世界」とは何か?それは、「暗黙知の世界」である。
「うまく言えないのだが、やはり、この方向ではないような気がする…」すなわち、仕事のできるマネジャーが、ときおり発する「うまく言えないのだが…」「上手に表現できないのだが・・」「言葉にならないのだが…」それは、マネジメントには、「暗黙知」と言う世界が存在するからである。これに対して、「言葉で語りえる知識」は、「言語知」とでも呼ぶべき世界であろう。そして、マネジメントにおいて未熟なマネジャーの多くは、この「言語知」の世界だけで仕事を行おうとする傾向がある。
「企業とは生き物である」、「企業とは、単純な論理では理解することができない複雑な生命体である」。企業というものは、一つの企業は、独立の企業文化や活動様式をもっているが、それらが集まって「財閥」や「企業グループ」を形成すると、まったく違ったグループの文化や活動のスタイルを示す。すなわち、「物事が複雑化すると、新しい性質を獲得する」。
マネジャーに必要な「大局観」や「直観力」は、極限的な修練を通じて、身につくものであるし、言葉を換えれば、論理思考によって考え、考え抜いたとき、大局観の世界が開けるということだ。大局観や直観力や洞察力を磨くためには、その「対極」に徹することが近道なのである。羽生善治棋士は「将棋を指していると、時折ふっと「魔境」に入りそうになるんです」と言う。すなわち、羽生棋士ほどの「論理に徹する修行」を積み重ねていくと、その意識が「理論の世界」を突き抜けて、「論理を超えた世界」へと入っていくことを示しているのである。
「狭き門より入れ」という言葉があるが、それは、マネジメントにおける大切な心得なのではないだろうか。なぜならば、安易な方法を選んで得られるものは、その精神の安易さを鏡のごとく映し出してしまうからだ。
無意識に集中してしまうという「精神の力」や、無我夢中になってしまうという「魂の力」とでもよぶべきものが、才能として重要なのである。「無我夢中になってしまう」という才能は、極めて重要な才能だ。
「複雑系」とは、単なる「複雑さ」だけでなく、二つの特徴をもつシステムのことである。
第1の特徴は、「循環構造(フィードバック・ループ)をもつことである。すなわち、様々な要素が互いに「循環的」に影響を与えあい、全体として変化していく構造を持っていることだ。
第2の特徴は、「自己加速性」(ポジティブ・フィードバック)を示すことである。すなわち、この「循環構造」において、そこで生まれた好循環や悪循環が、自然に加速されるという性質をもっていることだ。企業とは、一般に、「販売収益」→「開発投資」→「商品開発」→「販売収益」というビジネスプロセスの循環構造を持っている。そして、この循環構造が良い方向に回転しはじめると、「販売収益が上がる」→「開発投資ができる」→「良い商品が生まれる」→「販売収益が上がる」といった「好循環」を生み出す。これが「自己加速性」である。
優れた人材とは、究極、多くの「矛盾」を抱えた現実を前に、精神の強さを失うことなく、その「矛盾」と対峙し、自己の責任を賭した決断を行える人材である。企業経営において我々が直面する「矛盾」を「割り切り」によって解消してしまうと、企業というもののもつ「生命力」失われてしまうのだ。
「己のエゴが見えているか」、我々は「エゴ」を見つめることはできる。自分の内面にある「エゴ」を見つめ、その動きが見えていることは、それだけで、その「エゴ」が衝動的に活動することによってもたらせる破壊的な影響から、我々を救ってくれるのである。
いかなる計算もなく、いかなる駆け引きもない、一途さや、一徹さ。そうしたことが、マネジメントにおいて大切な価値とされる時代が回帰してくるのではないだろうか。
これからの時代においては、人材とは、人間が「育てる」ものではなく、自然に「育つ」ものとなっていく。成長の方法とは、いかなるマニュアルでも、テクニックでもない、「こころの姿勢」とでもよぶべきものだ。
「なぜ、パリでは、あれほど多くの優れた若い画家が育つのか?」それは、「パリには、本物の絵がたくさんあるからだ」。ある「高み」にまで達したものを、毎日のように、見る。そして、知らず知らずに、その「高み」を自分自信の目標に重ねあわせていく。それが、「成長の目標」と言う言葉の最も深い意味に他ならない。
- マネジャー自身が、成長すること。
- マネジャー自身が、成長し続けること。
- マネジャー自身が、成長したいと願い続けること。
我々は、「部下の成長」ということを考えるとき、部下と自分自身の中にある「劣等感」や「恐怖感」を見つめなければならなくなる。
複雑系の7つの性質と7つの知
- 分析によって理解することができない/分析不能性
- 人為的に管理することができない/管理不能性
- 情報に極めて敏感である/情報敏感性
- 小さな変化が大きな変動をもたらす/摂動敏感性
- 一部だけを独立して変えることができない/分割不能性
- 法則そのものが変ってしまう/法則無効性
- 未来の挙動を予測することができない/予測不能性
そして、情報化時代の企業や市場や社会は、いずれもこうした「複雑系」としての性質を強めていくため、それらに対処するためには、「複雑系の知」とでも呼ぶべき知恵が求められる。この「複雑系の知」の要点は、次の短いメッセージに表される「7つの知」である。
- 個別の分析をするな、全体を洞察せよ/全体性の知
- 設計・管理をするな、自己組織化を促せ/創発性の知
- 情報共有できない、情報共鳴を生み出せ/共鳴場の知
- 組織の総合力ではない、個人の共鳴力を発揮せよ/共鳴力の知
- 部分治療ではない、全体治ゆうを実現せよ/共進化の知
- 法則は不変ではない、法則を変えよ/超進化の知
- 未来を予測するな、未来を創造せよ/一回生の知
そして、これら「複雑系の知」とは、いずれも、言葉によって表すことができない「暗黙知」であり、五感の全体によってしか掴み取れない「身体知」であり、体験を通じてしか身につけることができない「体験知」である。
このように、これからの情報化時代においては、企業や市場や社会が「複雑系」としての性質を強めていくため、マネジメントにおいては、「複雑系の知」とでも呼ぶべき深い暗黙地が、ますます求められるようになっていく。
以上が本書の概要である。田坂氏については、本コーナーで数回ご紹介しているが、現在は多摩大学・大学院教授であり、シンクタンク・ソフィアバンクの代表も務めている。「複雑系」も、日本にはじめて紹介した人でもある。
この本に出てくる「暗黙知」は、科学哲学者のマイケル・ポランニーが用いた言葉であり、我々の中にある「言葉で表せない知識」(tacit knowledge)のことである。この西洋哲学の語る「暗黙知」とは、東洋思想においては「知恵」と呼ばれてきたものだが、この西洋哲学と東洋思想が結びつくところに、新しい経営やマネジメントの思想が生まれてくると著者は考えている。
著者が本書の中で羽生善治棋士のエピソードを紹介し、「論理に徹する修業」「論理を超えた世界」の言葉を使用し、また、論理思考によって考え、考え、考え抜いたとき大局観が開けるということを述べているが、著者自身が論理に徹する修業をし、感性に磨きをかけ、なおかつ努力を怠らない日々を過ごしているからこそ、本書の「なぜマネジメントが壁に突き当たるのか」を書き表すことが出来たのではないだろうか。「学べば即ち固ならず」である。
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