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構造変革・成功の秘訣
 ― 世界最強企業は何を決断したのか

編  者:慶應ビジネススクール許斐義信研究室
出 版 社:日本放送出版協会(NHK出版)
定  価:1,800円(税別)
ISBN:4−14−080705−9

慶應ビジネススクール(慶應大学大学院経営管理研究科)で、この日本企業の現状に経営学の視点からメスを入れ、将来に向けて活力ある企業経営と何か、どのような抜け道があるのかを探索してきた。まず研究の初期段階で注目したのはダイムラー・ベンツとクライスラーとの合併交渉だ。両社は1997年、経営トップによる合併合意後の翌月、会社の構造をAG、つまりドイツ法による会社へ統合することに同意した。米国とドイツという異質な会社法の下にある2社が、ステーク・ホルダーの関係をどのように組み合わせるのかに関心が集まった。次いで1998年には、世界でも屈指の大総合化学会社ヘキストがフランスの国策会社ローヌプーランと合併した。それは5兆円近い企業規模のヘキストが、たったの30%弱の製品構成でしかなかった医薬品事業へ集中投資することを選択、しかも規模の小さいローヌプーランの拠点であるフランスへ本社を移転することを決断するという出来事であった。

企業構造やガバナンス構造の国際的比較などは本文で詳しく触れているが、明らかに勝ち組み米国の制度導入のみに興味を奪われ、米国的構造への転換の困難さに、疑問を抱き、欧州企業と米国との間に制度摩擦がおこっている事実を認識すればするほど、われわれ日本企業の再生への方向が果たして正しいのか否か、それを考えざるを得ない。

一方、わが国でも持ち株会社、株式交換、株式移転、会社分割など企業再編制度の導入が急ピッチで行われてきたが、国際的競争優位を回復するために、一体どうやって企業構造を改革すればよいか…。それは単に「グローバル・ニッチ」といわれるように、一製品や一事業領域に特化すればよいのか。特化することは、その分野に経営資源を集中することを意味するのだから、集中すべき分野とは何か、どのような技術開発を行えばよいのか…、それら一連の経営課題に答えを出す必要がある。この視点から観察した日本企業は、製品市場のライフサイクルを巧みに調整しながら一定の利益を確保しつづけてきた、いわゆる「総合会社」という存在であるといえる。

本書は13章で構成されているが、第1章で扱う製薬企業の、アベンティスの設立経緯、 第7章の、ノバルティスの誕生、第11章での、バスフ、多角化構造を生かすバイエルなどを重点的にまとめ、最後に第13章の「日本経済の重い課題」でまとめを行った。

*アベンティス

アベンティス(AVENTIS)は、冒険心(Adventure)・躍動(Movement)・革新性(Innovation)という3つの単語を組み合わせて名づけられた国際的ライフサイエンス・グループである。「ヘキスト」と「ローヌプーランローラー」という2つの世界有数の大手化学コングロマリット会社が、1999年末に発足した企業である。その規模は、2000年で総売上223億ユーロを誇る。合併した1998年には製薬業界において売上高で世界一の座を占めた。10年前には総合化学会社として汎用・特殊化学から医薬までの多くの事業を手がけ、ヘキストの名で世界的に知られた会社が、結果的に会社全体の30%の売上に該当する製薬関連事業に集中し、他の70%は外部へ切り出し、ローヌプーランローラーと合併。いまでは医薬に特化しているメーカーとして確固たる地位を築いている。

ヘキストの社長は代々、伝統的に理工学部出身で「ドクター」や「プロフェッサー」の肩書きをもった者しかその地位についたことがなかった。1994年にヘキストの歴史で初めてミスターの肩書きしかもたない財務部門出身のユルゲン・ドルマンが経営のトップに就任した。1990年代前半、ドルマンが構造改革に踏み切る時点で、ヘキストは、変化するビジネス環境とそこで自社の現状を次のように捉えていた。

  1. ビジネスのグローバル化と個々の規模の欠如
  2. 原材料に対するアクセス・・・ヘキストの場合、「外部調達の割合が多すぎ、基礎素材関連の市況に影響される可能性は高く、理想的な事業構造からは大きくかけ離れていた」
  3. 各国間におけるコスト構造の格差・・・欧米を中心とした生産(競争力のある商品を提供しようとすれば、川下への進出が必要となる。しかし、化学産業の川下の裾野は広く、さまざまな企業がすでに競争力のある状態でしのぎを削っている。)
  4. 製品ライフサイクルの短期かと内部補助システム・・・開発競争が激しいハイテク分野での競争に勝利し続けるには、相当程度の経営資源を当該事業へ投入することが必要となる。しかし、現実には、ヘキストではこれらの激しい競争に直面している主力製品分野からあがる利益をその競争のために再投入するのではなく、ハイテク分野のような激しい競争に打ち勝ってえた経営資源(利益)を赤字事業や低収益事業分野へ投入するメカニズム(負の内部補助)が働いていたのである。

ドルマンは経営の軸を少しずつ時間をかけて変えるような手ぬるい処置では、組織が抱える目下の深刻な問題を解決するには手遅れになると考えた。彼はCEO就任後、「新たな門出94」と命名した経営改革に着手した。彼は特に、「改革の原動力は、誰がボールを転がすのかという“リーダーシップ”と、どこに転がすのかという“ビジョンと戦略”であることを重視し、「各社の戦略やビジョンには大きな違いはないが、それらの戦略やビジョンをどこまで実行できるかによって企業の成長に差が生じる」と述べ、8項目を表明した。

  • ビジョン:主要な化学および医薬品群からなる国際的ネットワーク
  • リーダーシップ:フラットな階層・官僚主義の排除・信頼・インセンティブ・柔軟
  • マーケット:アメリカ・アジア・ヨーロッパにおける首尾一貫した戦略
  • 組織構造:ビジネスユニット/コンセプトの見直しと確立
  • プロセス:顧客指向「目標と合意」「対価に基づくサービス」
  • トータルクオリティ:クオリティ・安全・環境を包括するTQM
  • 社会:環境保護を踏まえた継続的成長に対する国際的挑戦
  • コミュニケ―ション:卓越したコーポレート・コミュニケーション

特にそのなかでもすべての戦略の基本を流れる考え方を「Narrowly Focus but Global」と位置づけ、個々の事業ごとに国際市場と国際的競争の視点で事業を推進することを求めた点は、社員に新規性をもって受け止められた。

また、社内に対し具体性をもって次のような改革を実行した。

  1. マネジメント機能:ドルマンは旧来の取締役やディレクターに集中していた事業推進の権限を下位のマネジメント層へ委譲し、事業部長・ビジネスユニット長と言う職制を設けた。
  2. ビジネスプロセスの改革:以前は、地域別・管理部門・生産・研究開発などの各部門がそれぞれ強い権限を有していたため、決定プロセスが煩雑でスピードが損なわれたり、顧客志向の決定ができなかったりした。
  3. 戦略的持ち株構造へ:1997年には、「ビジネスユニット制」からさらに一歩を進め、ヘキスト本社を持ち株会社に、その下に各事業会社10社を配置するという組織改革が実行され、個々の事業の独立性はさらに増した。
  4. チェンジエージェント:ミドルマネジメントの士気を保つためにチェンジエージェントを導入した。これは一種のタスクフォースであり、各部門内に入りこみ、ビジョン浸透やマネジメントの行動を促し、意識を高めるのに貢献した。

ヘキストの売上構造をみてみると、1994年時点の合成繊維・化学合成部門売上は290億DM(ドイツマルク)で、医薬品部門売上の116億DMの2倍以上であったが、純損益はわずか3億2000万DMであった。その一方で、医薬品部門の経常利益は15億DMと、他部門をはるかにしのぐ好成績だった。しかも、汎用化学品は「どこでも作れる」という状態であり、参入障壁が低いといった悪循環に陥っていた。

アベンティスの現役員は、その当時のことを、次のように語っている。「伝統的な競争原理が変り、資本市場が台頭してきたが、資本家の視点から事業を再評価したとき、十分なリターンが確保できないことが明らかになった。特に石油化学業界では、アジア諸国の競争や今後起こるアラブ諸国、南米などとの競争で原価構造面からは競争優位を維持することは明らかに無理であった。この認識は社内の国際派のなかからブラジル、米国そしてアジアの専門家を集めたマネジメントチームによるモニター作業からも裏づけられた」。

そこでヘキストは、さらに将来について考えなおす必要にせまられた。ヘキストの1990年と1997年の事業構造を比較すると以下のようになっている。従業員は減少しているが、売上高は521DMへ成長し、名実ともに大総合化学会社であった。しかし、税引き前純利益は1990年の15億DM、94当時の8億DMに比較して97年には13億DMと高いものの、その前期の96年23億DMからすれば、再び収益性にかげりが見えてきている。しかも1997年には他の欧州企業が決断したと同様にニューヨーク証券取引所に上場したが、フランクフルト証券取引所での株価はドイツの株価指数平均とあまり乖離のない水準だった。つまり、事業規模は拡大したものの、利益性は低下し株価も全産業と同じレベル程度しか成長しないという収益性面での壁にぶつかっていたともいえる。売上構成は、医薬品(21%→34%)、農薬動物薬(6%→12%)、工業化学品色材(24%→27%)、ポリエステル(18%→15%)、合成樹脂(17%→4%)、工業ガス(0%→5%)、エンジニアリング(15%→4%)、という構成に変化していた。

そこで企業としての岐路にたたされたヘキストは、事業の多角化によるグローバル化をはかるのではなく、収益の低い部門を整理して経営資源を集中し、事業を選択することによって高収益をあげる企業へ転進しようと考えた。最終的にはポリマー・繊維部門といった低収益部門を順次切り捨てて、高収益の医薬品や高分子化学に集中するという決断をし、併せてリストラをはじめとするリエンジニアリングを断行したのである。かつてのドル箱だった歴史あるペニシリン製造部門まで切り離した。そういった改革の結果1998年には18万人いた従業員はわずか4万人になっていた。取締役も7人となった。ヘキストは総合化学会社から、その後、名実ともに医薬品事業・農業関連事業などに絞り込んだ形にシフト集中する方向で事業分野を選択していったが、その最終的な合意を得るまでにはかなりの時間がかかった。

1996年にスイスのサンドとチバガイギーが合併して、ノバルティスが誕生。1995年にグラクソとウエルカムの合併、2000年にスミスクラインビーチャムが合併し、グラクソ・スミスクラインが生まれている。そして、同じ年にファイザーがワーナーランバートを買収した。このような巨大化する企業との競争を考えれば、ライフサイエンス分野に集中したとしても、その事業領域ではヘキスト単独で生き残れろような状況ではない。また、パイプラインを維持するには年間30億ドル程度の研究開発費が不可欠だといわれている。

ヘキストは、それだけの金額を継続的に投下できるだけの事業規模と事業構造とを保持しているパートナーが必要だと考えた。そこで、ヘキストは提携する企業を探しはじめた。そのとき、提携企業候補として浮上してきたのは、類似のロジックで事業再編成を推進していたローヌプーランローラーであった。ローヌプーランローラーは、ヘキストよりは多少規模が劣り、負債も多く、利益も少ないが、同じように歴史ある化学品会社から医薬品に、しかもライフサイエンスへ特化しようという方向性は同じだった。しかも将来に対しての共通する危機感が何よりも2社の絆を強めた。

ローヌプーランローラーは、1895年に精密化学会社として設立され、1928年にローヌ化学工場と医薬品メーカーのプーラン兄弟社が合併してできた企業である。1980年代には、農業・ワクチン分野の事業のM&Aを繰り返し、90年には、米国の大手医薬品ローラーを加えて医薬分野に徐々にシフトしていった。フランスにとっては、100年の歴史があり、国宝級の企業である。そのローヌプーランローラーも医薬部門に集中化をはかり、1997年には化学部門を「ローディア」と分離し、99年までにはその株式を100%売却した。1998年当時の売上高は、約1兆7500億円で本社はパリにあった。

最終的には1999年7月ヘキスト側97%、ローヌプーラン側99%の賛成で合併が承認された。ヘキスト株1.33株に対して、ローヌプーラン株1株の交換比率で、その交換は行われた。新会社の持分比率はヘキスト53%・ローヌプーラン47%。そして本社を、ローヌプーランの本社のあったパリからフランスのストラスブールへ移転した。  ローヌプーランローラーが一番気にしていたのは、「対等合併」という言葉だった。彼らは、国策企業でありプライドがあった。ヘキスト側で大きな決断だったと思われるのは本社のフランスへの移転である。新会社の役員は、ローヌプーランから2名、ヘキストからも2名のたった4名だけで構成されていた。また監査役会は、ローヌプーラン側から5名、ヘキストの監査役会から4名、そしてクウェート石油から1名の合計10名で構成された。

アベンティスの合併効果としては以下のことが上げられよう。

  • EU圏内にこだわらず、世界的なシェア・アップ
  • ドイツ、フランス、米国、日本の世界4大拠点での積極的な事業展開
  • グローバルな研究開発・生産体制の活用
  • 高い技術革新力と新技術への幅広いアクセス
  • 研究開発・人件費などのコスト削減
  • 全世界的な新製品開発への迅速な開発体制と市場導入
  • 投資・・・医薬品分野で約2875億円、世界ナンバーワン(1999年時点)
  • 国際戦略製品および地域戦略製品への経営資源の集中
  • 強固でグローバルなマーケティング力と販売ネットワーク
  • 顧客指向とメディカライゼーション(科学的根拠に基づく質の高い医療活動のサポートの徹底)
  • 情報/知識革命導入によるカスタマー・カルチャーの構築

企業構造改革の成果の一面は、株式の時価総額の上昇に表れているといえる。約2倍強に上昇したといわれる株価だが、医薬品企業との比較においては、いまだ今後に課題を残している。それは、世界の医薬品企業のなかでは2001年の売上高は8位、市場価値600億ドルは10位にとどまっていることである。

日本企業とは状況や法制度、グローバルな視点からの要求度、資本市場の要求、資金需要など、さまざまな点でヘキストの状況は異なるが、このケースから得られる教訓は大きい。あのまま総合化学企業として存続していくことも可能だったはずだが、そこで構造変革した意味はなんだったのだろうか。

その第1は、内部補助の問題解決である。それはつねに競争力を目的に限られた経営資源の配分と再投資を、競争環境とその将来を見据えて、フィードフォワード的に決断することであった。少なくてもヘキストは最初から医薬に特化しようとは考えていなかった点にも興味がある。

第2は、コーポレート・ガバナンスの課題である。日本に似たメインバンク制が中心だったドイツでは、すでに欧州単一市場という第1次の波に洗われて市場の厳しさを体感しはじめている。さらに米国に進出して改めて壁を感じている。資金供給元である株主の存在が大きい。

第3は、買収・合併、企業再編にはつきもののタイミングとスピードの重要性である。タイミングを逃がしたばかりにうまくいくものもいかなくなったり、機が熟す前に行動を起こして失敗したりする例も多い。

根本的に事業構造を総括する戦略の見直しが、日本企業にはできるだろうか。しかし、その競争環境は変化し、徐徐に力を奪っているのは事実である。世界企業は一体、どのように自らの競争優位と競争環境を見つめて戦っているのかを改めて見直すことの意義は大きい。急速なグローバル化の荒波に投げ出された企業、急拡大するアジア市場、世界のリスクマネーが集まっているアメリカ資本市場…この大海へ漕ぎ出した企業の決断と、そこで直面する数多くの厚い壁…それはなんとしても越えなければならない。

*ノバルティス(NOVARTIS)の誕生

1996年、世界的に大再編が進んでいる製薬業界において、先駆的な大合併が行われた。彼らは、まさに競争力の向上を目指し、合併後の統合を迅速に進めた。ノバルティスを形成するチバガイギーとサンドは、同じスイス出身の企業であり、本社もライン川を挟んだだけであるし、国民性的には融合しやすい。名前はNOVAE(新しい)とARTIS(技術・芸術)に由来する。製薬部門の合併当時の世界シェア4.4%、売上高140億スイスフラン、研究開発費は20億スイスフラン以上となった。他には「世界最大の農薬事業」を保持し、栄養補助食品では世界第3位であった。合併後1年しかたっていない1998年には、すでに製薬およびアグリビジネスの新製品が同社に大きな活力を与えていた。合併当時のノバルティスは13万4000人の従業員を抱え(2000年には7万人に減少)100ヵ国以上に拠点をおいていた。1998年の後半には、予定よりも早く人件費削減目標の92%(1万人)と全体コストの削減努力の目標82%(16億4000万スイスフラン)を達成していた。また合併の発表時点では、同社の時価総額は、700億ドル前後だったが、1998年末には1250億ドルに増加していた。合併に使用した株式は約320億ドルであり、1996年時点で世界最大のM&A取引となった。

合併模索の当初、サンドとチバガイギーは、「各種事業の補完性と適合性に基づくクリティカルマスをもつグローバルリーダーとなり、研究開発予算とブランドの強みを統合することで焦点を絞り、市場の影響力を高め、規模の経済を実現する」と公式には発表していた。しかし、両社の地道な話し合いの結果、ノバルティスを作物保護、種子および栄養補給に関心のある製薬会社として位置づけることは、その製薬事業以外の資産を正当に評価していないことになることが次第にわかってきた。そこで結びつきの緩やかなコングロマリットではなく、焦点のはっきりした会社を創出する必要性が出てきた。非製薬事業に関して、ノバルティスが直面した選択肢は、維持するか、戦略的買い手に売却するか、分離新設するかということであった。こうして、「生命科学会社」としてのノバルティスのビジョンが生まれた。

サンドは、1980年代から生命科学という概念には精通していた。またサンドは農薬部門や建設用化学部品部門を合併前に売却した。チバガイギーは、特殊化学薬品部門およびその他の「非主力」部門の分離新設を合併当日におこなった。売上高67億スイスフラン(5500億円)で当時世界最大級の特殊化学メーカー「チバ・スペシャリティ・ケミカル」である。新会社は全株を外部放出し完全別会社として上場した。ノバルティスはさらに残りの部門の再編成を行い、それらをヘルスケア・アグリビジネス・栄養補給の3部門に分け中心事業とした。両社の売上は単純合計で360億スイスフラン程度だったが、各種事業を分離した後には260億スイスフラン程度となった。そこまで非中核事業の分離をしたのだ。チバやサンドが、分離対象となる各事業も収益のあるうちに、事業の再編を考えたあたりは、長期ビジョンにのっとって行動し、うまく再編をしている各社の共通項と思われる。また、この合併は今後の新薬競争での優位を保つための最低限の事業規模たる「クリティマスカル」を確保するのがねらいとも思われた。資金力の差が開発力の差にもつながる製薬業界では、規模が決定的に重要といわれた。その規模を確保するため、当時、「世界シェア4%が必要」というラインもひかれ、シェアがその4%以上になるのは、グラクソウエルカム(4.7%)とノバルティス(4.4%)だけだった。その開発費は、全社で38億スイスフラン、医薬部門20億スイスフランだった。

一般的に医薬品の研究開発コストは年々高くなる一方である。新薬発売までに数百万ドルの費用がかかり、利益率は低くなる。製薬会社は開発費など固定費が高いわりに製造原価などの変動費が低いため、売上が損益分岐点を超えて伸びると利益も一気に拡大する。そのため、外部の経営資源の取り込みで開発力と収益力の補強を望んでも、中途半端に集中すれば逆に時価総額が低くなり、買収されるターゲットともなりかねない状況に陥る。

またユーロ浸透で価格差が明確になるため、価格下げ圧力が高まる。米国では、管理医療が普及し、病院や大手卸業者に対し医薬品の価格や利益率を抑える圧力が高まっている。さらにいえば、世界的薬品承認の国際ハーモナイゼーションも進み、相互の国の承認結果が利用できるシステムができつつあり、「開発結果の流用による開発費削減」と「販売チャネル増強で収益増大」の可能性が広がる。各国の規制の壁が低くなり、状況変化に伴い、業界プレイヤーは大幅なコスト削減やリストラクチャリングとともに、収益格差や生き残りをかけたM&Aに拍車がかかっていった。新しいテクノロジーの出現とともに、医薬コストの上昇、研究開発費の膨張、製薬企業の国際化などが製薬業界の世界的構造変化の主な要因としてあげられる。そして、この変化はメーカーから消費者へ、医師から支払者へ、ゾロ新薬から「革新的な製品」へ、と大きなパワーシフトをもたらしつつある。

ノバルティスの合併スピードは時系列表をみるだけでも明らかである。

  • 1996年3月 役員会会長発表。
  • 1996年4月 統合チームと200のタスクフォースと600のプロジェクトチームと調整実行。マネジメント構造を含む組織のあらゆる側面についての一連のプランを提出。自分達のプランとプロジェクトで変革を実行していく。
  • 1996年5月 300人以上の経営幹部の任命発表
  • 1996年6月 3500人の任命発表
  • 1996年6月 600の部門編成
  • 1996年8月 組織デザイン完成(分析とデザインの完了)

合併前からの流れもあってか、初年度上半期は、新製品の上市に向けた巨額な投資にもかかわらず、19%の売上増加に対して、27%も連結純利益が増加した。売上比率はバランスよく、アメリカ46%・欧州39%・アジア15%であり、巣立ちしたばかりのバイオテクノロジー研究機関との間の最も幅広いアライアンス・ネットワークも持っていた。

免疫や炎症疾患では世界的主導権を握り、中枢神系疾患・循環器・内分泌系・ガンなどで強い地位を確保し、ノバルティスのトップ10製品すべてが2桁の強力な成長を果した。しかし、一見無敵のようだが、売上成長率は為替変動を除くと7%でしかなく、営業利益率は24%であった。競業企業のメルクは40%、グラクソウエルカムは35%だった。

ノバルティスの社長兼CEOのダニエル・バセラは、ノバルティス社内に強力な業績重視の文化を創出することにより、管理者、研究者、その他の従業員に最善を尽くそうという意欲を与え、その努力が報われるようにすることだった。

チバガイギーの文化は「責任を伴う権限付与」を特徴にし、コンセンサスに基づくアプローチをとっていた。一方、サンドの文化は「数字を達成する」タイプであり、厳密な財務管理によって支配され、比較的迅速に決定することに慣れていた。バセラはチバガイギーとサンドの最も良い点を組合せた文化をノバルティスで創出したいと考えていた。後にバセラ賞賛を受けるような手法を逐次導入した。

以前までのチバとサンドの予算執行計画は「ステーク・ホルダーに対する会社内のコミットメントの記録」としてのみ機能し、「すでに企業に実行する準備が整ったレベル」を表現するのみだった。それとは対照的に、ストレッチ目標は「パフォーマンスを次のレベルへ押し上げようとする経営側の望み」を映し出した。ストレッチ・パフォーマンスの目標は、競争状態と前年実績がベースとなり、グループやセクター・国ごとに設定された。予算が、パフォーマンスに応じて報酬を与えるための量的なベースとなる。そのため、予算策定過程を適性にすることは重要だった。そして厳しい業績評価と業績に応じた報酬(pay-for-performance)のシステムは、真にグローバルで「高いパフォーマンス」の企業文化を創造するうえで、同じように重要だった。スイスでは、歴史的にパフォーマンス評価がなく、年1.5%ずつ報酬は増加した。パフォーマンスが顕著だった場合には3%になこともままあった。

しかし、顕著な仕事がほとんど行われない状況だった。しかも相当悪いことをやらないかぎり、誰も解雇されることはない。逆に名声を落とすリスクを非常に恐れる者もいた。スイスの文化では、顕著なパフォーマンスに対して報酬を得る可能性がなかったといえる。ノバルティスは、競争相手・前年実績・目標に対するパフォーマンスを測定しはじめた。階層におけるベストパフォーマンスを基準にし、「ベストを超えろ(beat the best)」というスローガンをつくった。これを実行することにより、業界内のリーダーでありつづけ、顧客の評価ともなり、業界で最も優秀な人材をリクルートすることもできる。それは競争上の重要で大きな利点だと、バセラは強く推進した。ノバルティスの合併直後の人事方針は、「競争力ある会社と競争力ある社員が共存して協力する」ということを打ち出した。これは社員と会社がつねに自己革新を行い成長する仕組みをつくっていくということだった。しかも、社是のようなトップダウンのビジョンではなく、米国型企業には珍しいボトムアップのビジョンを社員が参加して討議し、経営の方向性・企業価値・社員の行動指針を明確にしたのである。また合併に際しては、本社トップのビジョン――経営の方向性・企業価値・社員の行動指針などを各ローカルのトップがよく理解していなければならない。そこで世界のマネジマントはスイスの山の中に集まり、会社をどうすべきかという議論を積み上げていった。

ノバルティスは、社内階層も減らしている。本部長・部長・グループマネジャー・一般社員という4段階にした。欧州でも意識が強い、終身雇用からの発想の転換をはかることが目的だった。そして、一人ひとりが自分の職務を自覚し、自律し、責任をもち、どこへいってもプロとして立派に通用する人材を育成することに転換している。研究開発投資に関しても同様のことがいえる。長期的持続かつコミュニケーションなくしては芽が出てこない。ノバルティスは、邦貨換算で300億円超の自社開発薬も多い。免疫に強いサンド、鎮痛・抗炎症剤に特色をもつチバは補完関係にあり、合併で厚みを増した。規模重視とは違う、効率重視の再編が特徴だった。

適合する技術や事業、不適合な技術や事業に関し、討議をし、理解を深め合う。その過程を通じ、相互の事業の今後の幸せや自由度も加味した、必要なものを取り込み、不必要なものを放出する。この作業を通じて、短期間に収益構造を作り変え、企業の性格まで変えるのである。ノバルティスは米国・英国・スイス・日本・オーストリアに研究所を持っているが、その各規模は250人以下に抑えてある。遺伝・細胞・呼吸器などテーマ別小規模な編成にすることで小回りがきく。ノバルティスの各種研究所は30ヵ国以上から、優秀な頭脳を集めている。新薬開発費は平均5億ドル。ヒット商品はまれで、年数がたてば特許もきれる。そのリスクを負債ではなく、資本増強でカバーしなくては、特に米型資本市場では株価が直撃されてしまう。そのため、収益を効率的にあげ、開発費を効率的にしなければならない構造になってきていることはいうまでもない。管理・製造・マーケティングの重複や無駄も省いていくが、コスト削減はゴールではない。成長の芽を生み出すことが目標だ。当初はコスト削減のシナジーを出すことをはかった。とくに拠点の閉鎖は、従業員の不安を長引かせないように早く決断してきた。次に化学の知識・経営ノウハウ・資金調達などの潜在能力を使い、別別の会社のままでは得られなかった持続的競争力を獲得した。

コミュニケーションがはかれる組織単位にするとか、通常の成果主義とはどこかが違う報酬制度をとっているとか、ビジョンの共有の計り方とか、また統合のスピードによって不安感を払拭していくやり方など、学ぶべき点は多い。そのことが積み重なって、競争力のある革新的製品が生まれ、初めて開発費が生きるのであり、開発スピードもアップし、また情報の流通もはかられ、将来を正しく見据えることができるのである。

*バイエル

ドイツの化学企業のヘキスト・バイエル・バスフはともに、コングロマリット化した世界的大企業であった。彼らは、1990年代に入り、それぞれ独自の考え方でそれまでの多角化戦略を終焉させ、競争力強化を目標にした事業構造変革を断行した。特に化学会社にとって成長事業である「製薬事業」などをどう捉えて、いかに扱っているかが、焦点の一つである。これらの会社に共通した経営環境の変化には、大別して2つの要因がある。

その1つは金融環境の変化である。ドイツも日本同様、銀行中心で、元本の保証は避けられないが、一定の利子払いを超える利益資金を継続的に計上できれば、企業と銀行の間はそれで問題がなかった。その意味で、個々の事業の競争優位を云々するよりも、特定規模の資金需要があれば、それが銀行にとって良い顧客であったから、その意味から多角化しやすかったともいえる。しかし日本と同様、直接金融の波が押し寄せ、直接金融下での資金の出し手、つまり株主は銀行にも効率的経営を迫り、資金の受けてである事業も金融機関同様、財政状態の効率化が迫られた。さらに資金調達力の拡大のため、多くの企業がNYSE上場を指向した。それがいわゆるアングロサクソン・ルールへの適合を迫られだした直後の動機でもある。構造変革を迫られた、もう1つの要素は社内の問題である。多角化した事業分野を保有する多角化事業構造をしていたこれら3社は、前述した資本市場との適合性を高めようとした場合、いわゆる米国流経営学では、成長する市場でしかも競争優位な事業に絞っていくことになる。ヘキストは、集中化戦略を採用、医薬品事業へ特化していった。しかし、バスフやバイエルは、同種の事業項でありながら、別の決断をした。ただ、共通にいえることは、善か悪か、多角化企業の避けて通れない内部補助の問題に直面していた。つまり多角か事業の全体を生かしていくには、たとえばヘキストは「ハイポテンシャル事業からベース事業への内部補助」という状況へ追い込まれていた。では、バイエルはどうであったのか。

バイエルは1992年後半から始まった減益基調が続き、しかも、ドイツではとくに高率賃上げと世界一厳しいといわれる環境規制のなかで苦しんでいた。欧州の経営の悪化に苦しむのは、イーゲー・ファルベンという源流の同じバイエルにバスフ、ヘキストを加えたドイツ3大化学にとっても同じだった。そのなかで各社の事業再構築が始まったのである。

バイエルの社長マンフレッド・シュナイダーは子会社の財務経理部長、子会社社長、本社の地域統括本部長などをなどを経て、1992年4月に社長に就いた。ドイツの3大化学にとってアジア戦略とともに、医薬品事業の拡充は1つの経営課題だった。確かにヘキストが医薬業界でもトップになったこともあるし、バイエルも1990年には医薬品売上高では世界4位となったこともあったが、まだ当時は、医薬業界の上位集中度も低く、3社の医薬事業に明らかな差はついていなかった。それにもかかわれず、ヘキストは医薬事業に特化、他の化学品事業を分離したが、バスフは、逆に成長事業の医薬事業を切り離し、化学品の競争力を充実する方向へ向かった。

ドイツでの化学産業の国際競争力は伝統的に強力であったが、いくつかの点で難題を抱えていた。その最も大きい制約は、歴史的経緯からバイオ研究などの規制が厳しく、医薬の研究開発拠点としては魅力が小さかった点である。ちなみに、この点は、1996年商業利用で米国に後れをとったとの危機感から、ドイツは積極推進に政策を大転換した。一方、成長分野のバイオ技術開発の問題だけでなく、化学業界の川下でも国際的競争状況が大きく変化してきていた。事業構造改革を迫られたバイエルは1994年、英大手製薬会社のスミスクライン・ビーチャムから、北米の大衆薬事業買収の合意を取り付けた。具体的には同社から米スターリングの北米での医薬品事業を買収、あわせてスターリングが所有していた北米でのバイエル商標の奪還に成功した。買収金額は約10億ドルである。

バイエルの事業別の選択と集中の考え方は、医・農薬を強化部門としながらも、化学品でも強い分野をさらに強くし、高収益体質に転換する戦略である。医薬品事業では、解熱・鎮痛剤「アスピリン」が大きな柱となっていたが、ポリウレタンなどの「小さくてもピカ1」の化学製品も目白押しだった。また成長著しい東南アジアは重要な拡張地域で、中国では10の投資計画があるが、製品は染料、ポリマーおよび医薬事業分野などの事業分野に及んでいる。売上の約8割を外国で稼いでいる。

100%子会社で写真用フィルム・印画紙など感光材料のアグファ・ゲバルトを1999年上場、株式の75%を公開、分社戦略に踏み切った。その後アグファの業績が上向いていたため売却の好機と判断、売却収入を医・農薬やポリマーなど化学関連の中核事業に振り向けるの結論に至った。それが、アグファ上場の動機であった。

医薬品に関する技術革新は、新薬開発に大きな地殻変動を起こしている。この基礎開発には年間4000億円相当の研究開発費を投下し続けることが条件だともいわれている。そこでヘキストは、基本的には企業規模を必要研究費を支出できるレベルにすることを目指して合併したのであった。さて同様に医薬品事業に熱心なバイエルはどのように、考えこのテーマに挑んだのだろうか。

バイエルは生命科学分野の開発に、2002年までの5年間で計100億マルク、約7000億円程度を投資、この額はバイオの研究テーマであるDNA解析には不十分な額かも知れないが、同社はアルツハイマーやコレストロールそして喘息などの呼吸器系疾患に対応できる医薬品に力を入れ、基礎開発ではなく、応用開発へ特化しているように見受けられる。その成果の1つは開発機関の短縮で、9年から7年への短縮目標だった。生命科学分野の1997年の売上高は約136億マルクで、連結売上高の24%を占め、営業利益ベースでは34%、19億マルクで、他の事業分野に比べ利益貢献度が高く、成果をあげている。その経緯を見ながら、開発投資を増やしても十分利益を回収できると踏み、日米欧の3極に配置した研究センターを軸に開発を加速した。2005年までに商品化する医薬品だけで100億マルクの売上を見込んでいる。

また日本法人のバイエル薬品では「中央研究所では、喘息治療薬の研究に世界的責任を負い、研究開発費も拡大する」という。生命科学か特殊・高分子化学かの2つの流れに企業構造そのものを分化・特化しつつある世界の化学業界のなかで、バイエルはいまだに総合経営の看板を掲げつづけている特殊な存在である。バイオテクノロジーが基礎技術の主流となる生命科学の研究活動は開発費がかさみ、総合経営のままでは医薬専業メーカーに対抗するのが難しい。通常は経営資源を集中するしかない、と考えられており、株式市場ではしばしばバイエルに対する買収攻勢や同社の医薬事業分離などの噂が飛び交っている。その噂は、膨大な開発費負担のため総合経営にいつか限界が生じ、事業特化の流れに同調せざるを得なくなるとの見方によっている。総合化学から医薬に特化させた企業は多く、アベンティスに生まれかわったヘキストや、ゼネカを分離し医薬へ特化させたイギリス企業ICIなどの例がある。

バイエルは、バイオテクノロジーなどの先端分野の開発で他社との提携を強化しはじめた。2000年末以降、米クラジェンなど2社とバイオテクノロジーを使った医薬品の共同開発で相次ぎ提携、糖尿病などの治療薬開発に取り組むという。その開発規模は、遺伝子工学に年間1億6000万ユーロ程度の開発費投入となるが、それはバイエルの立場でみれば、提携といううまい方法で開発費負担を抑えながら、総合経営を維持する構えを示したといえよう。

製薬企業各社は新薬開発やマーケティングに集中するため、医薬品中間体やバルクのアウトソーシングに依存する傾向が強まっている。バイエルは、心臓病、がん、喘息、中枢神経系の疾病などに重点をおく世界の医薬品メーカーのなかではおよそ15番目の順位である。共同開発の医薬品などの成果が期待されるが、それでも世界の十指に入ることは、周囲の製薬企業がM&Aを利用しての外部成長をしているだけに、自前の成長だけでは難しい。他の医薬品メーカーを買収で取り込み一気に専業大手を追い上げるのか、あるいは逆に自らが買収の標的となるのか、それが問われつづけていることは間違いない。

2001年、バイエルは高脂血症治療薬「バイコール」の副作用事故で揺れる医薬事業の継続を決めた。その発端は、米食品医薬局(FDA)が8月に発表した「副作用とみられる米国の死者31人」という報告である。同薬品の全面回収を余儀なくされたほか、バイエルが6月の時点で問題を把握しながら8月10日まで政府に報告しなかったとし、ドイツ検察庁が薬事法違反の疑いで捜査に入り、事故後の情報開示の遅れも手伝って消費者の信用を失った。それと同時に、労使協調を伝統とするドイツの企業統治の真価も同時に試されている。バイコールによる副作用とみられる死亡事故騒動は、まさにドイツの企業統治の問題をさらけだしている。日本のエイズ薬害にみられるように、信用を失った医薬事業の存続は難しい。バイエルは死亡事故が表面化した後、医薬部門の売却交渉に入った。しかしながら、最高意思決定機関の監査役会が土壇場で「医薬品は中核事業」として医薬事業を保持すると決定した。

バイエルの医薬事業の売上高比率は32%となっていた。その中でもバイコールは年2倍近い増収を続けた主力商品だった。バイエルは化学を安定成長・安定収益源としたうえで、医薬を高成長部門に位置づけ、それぞれの事業の独立性と競争力を醸成してきた。だが、一般的に規模の効果を追求する装置産業の一般化学と、知識集約型の性格が強い医薬は事情が少し異なる。医薬の場合、先端技術の吸収は米国での買収・投資戦略に負う部分が大きく、出資した診断薬メーカーやゲノム分野の提携先も米国にある。また、開発のみならず市場でもアメリカ依存が強いから、英米型の厳しいルールのなかで勝負するほかないとはいいきれないが、株主不在の対応は米国では不利に働くのは事実だろう。このままでは米市場での摩擦は続く。

2001年、バイエルはアベンティスから穀物用のバイオテクノロジー部門を買収することについて合意した。買収額は72億5000万ユーロ、邦貨で約8000億円、バイエルにとっては最大規模の買収であった。バイエル自社の農薬部門と合併させて、新会社「バイエル・クロップ・サイエンス」を設立。バイエルは、バイオテクノロジー技術を使った農薬化学分野でスイスのシンジェンタと並ぶ最大手になる。

バイエルは、周囲の化学・製薬各社が支配力や増大する研究開発費獲得を目的に、M&Aを用いて合従連合を実行しているなか、落ち着いて各事業の競争力強化をはかり、その経営はうまく進行していた。4本柱のなかの化学においても、また医薬品においても、バランスよくそれぞれの事業の競争力と収益力をあげていった。たとえば医薬では強力な新薬を確保し、化学でも収益力の高い製品へシフトしつつ、アジア戦略へ上手に資源を振り分けていった。つまり、厳しい経営環境のなかでも、個々の事業分野で厳しい競争戦略を製品別に考案し、その結果、安定した製品ポートフォリオを構成してきた。しかも、総合会社が一般に陥る悪弊である相互補助をうまく排除していたのは評価に値する。一つひとつの事業がそれぞれ全社的経営資源の補助を求めず、事業部門の長があたかも当該事業の社長のように、国際的視野で事業を推進し、製品の国際競争力をもつことができれば、会社全体で、ある特定分野へ事業を集中化することは絶対的目標ではない、ということである。

以上3つの企業の例を取り上げたが、日本企業の構造改革といった場合、リストラ、不採算事業の撤退や他社への事業譲渡、あるいはコスト切り詰めのための合弁会社の設立や本社並みの処遇を続けられない事業の子会社化など、現在抱えている収益性の問題を当面のコスト切り下げで切り抜けようとしている。このような対応は「現象対応」であって、決して良い意思決定ではない。上記の3社は将来の市場機会をねらうもの、または、新しい付加価値の創造であったり、あるいは将来の競争力をつけるための意思決定であり、すなわち「戦略対応」である。一般的に事業選択を行う場合の通常の要素要因は次野と通りである。

  • 競争優位・・・シェア
  • 市場魅力度・・・産業特性・成長性
  • 社内論理・・・社内比重
  • 技術・・・技術応用性
  • タイミング・・・社内資源
  • 組織問題・・・組織再編・従業員の意識改革
  • 競争環境変化・・・市場のグローバル化・資本資市場・会計制度

ここで取り上げたドイツ3社の共通点は、未来へ向けての投資とその反応性を見極め、それを追求することだろう。将来投資を行いつつ、その戦略性をもちながら、事業選択を行うことである。

しかし、構造改革に成功したと見られる欧州企業でも、依然として制度的問題を抱えている。フランスへ本社を移してまで国際的レベルの研究開発を継続したいと、国際合併を成功させた医薬品メーカーのアベンティスでも、米国医薬品メーカー勢の超大型合併と、それによる規模拡大の速度、そしてマーケティング手腕とには後塵を拝している。

さて、現在の日本医薬品産業に目を転じると、いくつかの現象が、環境変化とともに現れ、従来型のビジネスモデルでは立ち行かない方向に進んでいる。取り巻く環境を整理すると以下のようになる。


*医療制度改革の進展
  • 医療費削減・・・一般歳出削減(自然増カット、国立大学・国立病院の予算削減・後発品使用促進・薬価改定、健康保険法改定による患者負担増、診療報酬改定・介護保険制度改定など)
    厚生労働省内に「医療費制度改革推進本部」設置
  • 医療機関・調剤薬局など競争市場の変化
*法制度改革の進展・・・薬事法改正・商法改正
*企業活動のグローバル化の進展・・・規制緩和・為替問題・資本市場の変化
*知的財産権・研究開発活動の変化
*労務関係と雇用の変化
*新技術・IT化の流れ加速
*医薬品業界再編が加速の流れ・・・クリティカルマスとシェア競争、(大型合併・提携関係と上位集中および順位の入れ替え時代)マーケティング手法の変化、MRの増強、ICHの進展など

以上のような要因により、われわれの業界は大きく変ろうとしている。これらの要因を見誤らないように、自社にとっての「戦略対応」をしていかなければならない。


北原 秀猛

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