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日本経済への最後の警告
  The last warning to the Japanese economy

著  者:ジョン・ケネス・ガルブレイス
訳  者:角間 隆
出 版 社:徳間書店
定  価:1,600円(税別)
ISBN:4−19−861547−0

ガルブレイスは米国を代表する経済学者である。ルーズベルト大統領の知恵袋として「大不況」からアメリカを救い出すことに大きく貢献した。ケネディ大統領の政策スタッフも歴任、米ハーバード大学の名誉教授である。

本書は第1章から第7章までの構成になっている。1人当たりの「国民総生産」を日本とアメリカで比較してみると、1990年から92年にかけてアメリカは平均25.852ドルであったのに対して、日本の同期は、36.739ドルである。また、1999年は日本がバブル崩壊の底なし景気低迷であり、「10年不況」という言葉が囁かれていた時期でも、1人当たりGDPは34.362ドルという高水準を維持していた。同じ時期のアメリカのGDPは33.508ドルであり、ドイツは25.728ドルに過ぎなかった。日本の底力がいかにすごいものであるかが、伺えよう。

日本および日本人には恐るべき「底力」が秘められているのだ。この限りないポテンシャル・エネルギーを本気で発揮すれば、そして、1億3000万人もの優れて知的水準の高い、平和をこよなく愛する国民が自信に満ちあふれ、一致団結して猛反発力を噴出させれば、日本は必ずや「世界でもトップ・クラスの力強い指導国家」の座に復帰できる。日本人は「個人」としては言うまでもなく世界一優秀な国民なのだが、いかんせん「政府」の指導者たちがあまりにもミクロ的な視野でしかものを見ておらず、マクロ的な長期にわたる将来展望や、「百万人といえども吾往かん!」という確固たる信念や理想を欠いているからだ。

1981年1月20日に発足したレーガン政権の「レーガノミックス」と総称される一連の経済政策は、「富の供給側」、すなわち大資本や大企業など金持ち階級の利益を擁護しようとするものであった。しかし結果的には、このような「レーガノミックス」は大失敗に終った。最大の問題点は、一方で「小さい政府」を標榜しながら、他方では極端なまでに軍事費を増やしていったという点にある。国債の増発等による「政府」の資金需要の増加が市中金利を上昇させ、それによって「民間」の資金需要が抑制されたのである。ちなみに、レーガン政権第2期目の1985年、アメリカの国防支出額は実に3393億ドルにまではね上がり、国民1人当たり1418ドル負担となったのである。

「サプライ・サイド」(供給側)のインセンティブや利益を重視するという考え方は、取りも直さず「デマンド・サイド」(需要側)、すなわち消費者、とりわけ貧困層に対する結果的な増税や、福祉サービスの削減などを伴う大幅な負担増となって重くのしかかってくる。事実、レーガノミックスが始まってから2年目、1982年11月のアメリカの失業率は過去最高の10.7%にまで上昇した。アメリカの労働者の平均賃金は、日本を100とすれば、何と55.9という水準で低迷していたのである。その必然的な結末としての「大崩壊→大不況」を招きよせてしまった。

今にして思えば、非常に悔やまれてならないことだが、日本の指導者たちは、「バブル」はさておき、なぜその後の「大崩壊」に対する然るべき公的な措置をスピーディーに講じようとしなかったのか?日本の為政者たちは「為すべきときに、何も為し得なかった」という、大きな過ち(不作為の罪)を犯したのだ。「政府が先頭に立ってわれわれを失業と倒産の恐怖から救い出し、かつての繁栄と栄光を取り戻すために、確かな何かを決然として実行に移してくれているのだ」、という確信を国民に与え、国家や政府に対する信頼を回復させること。そして一丸となって景気回復と構造改革に取り組む勇気と実行力を奮い起こさせることなのだ。

小泉政権発足以来すでに400日以上にもなる今日、もはや理想論や夢を説いている場合ではない。まさに、「アクション・ファースト」、スピードとダイナミックスをもって、まず眼前にある危機を具体的に粉砕してみせることだ。「何が何でも“国債の発行は30兆円”以内に抑える!」、というような原則論ばかり押し通し続け、なかなか眼前の「失業」や「倒産」などといった緊急事態に対して、自分が与えられている国家的な権力や強制力を発動しようとはしないのだ。なぜなら、自分たち上層の支配階級はまだまだ直接的な“痛み”を実感するには至っておらず、それよりも「持てる者」や「サプライ・サイド」に比較的受けのいい、「彼こそは真の自由主義者だ」といった賞賛や評価を維持し続けるほうが、はるかに心地良いからだろう。こうしたあえて泥をかぶる勇気の無い為政者たちは、どんどん民心から乖離していき、やがては、自分が予期していたよりもはるかに醜い汚名を着せられながら、一時期の時代の泡として消えていく以外に道はなくなるのである。

アダム・スミスの最も基本的な考え方は、「私利」の追求が価格機構の「見えざる手」に導かれて公共の利益を促進する、というものである。ちなみに“国富論”の中に、次のように説かれている。「われわれが夕食をえることができるのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲によるからではなく、彼らが自らの利益を重視しているからである。われわれは彼らの人間性に訴えるのではなく、彼らの自己愛に訴えているだけなのだ。人間というのは、“見えざる手”によって導かれ、自分がまったく考えてもいなかったような目的を結果的に達成するように仕向けられることが多いのだ。私の知る限り、公共の利益のために商売をしているのだなどと気取っている連中は、たいして役に立つようなことをしていない」という内容だ。

ガルブレイス教授は小泉首相に対し、「“私の言う通りにならなければ自民党をつぶす”とか、“国会を解散するぞ”だけではダメである。やはり、本気で初志を貫徹するつもりなら、自らも骨がらみになっていたかつての自民党が、なぜ「バブル経済」を引き起こし、いかにその後の対応に大失敗を繰り返し、そのあげく日本国民全体を「15年不況」の絶望の底に引きずりこんでしまったのか。その歴史的事実と真摯に向き合い、本当に「自分(すなわち自民党)の責任」として最終的な決着をつける勇気と決意を示すことが、絶対に必要不可決なのではないだろうか。ここで、権力の座に恋々とするあまり、いい加減な妥協や譲歩をしたりすれば、それこそ末代まで汚名を残すことになるだろう」、と述べている。

また、そもそもなぜ日本の為政者たち(特に小泉政権)は、にわかに「郵政事業の民営化」や「医療費の自己負担分の値上げ」など、「何とか少しでも政府の財政負担を軽減したい!」という方向、すなわち「チープ・ガーバメント」化をめざしてスタンピードし始めたのか。この根源的な疑問を本格的に追求すれば、やはり日米両国がレーガン政権時代の「供給側重視」の経済政策に引きずられ過ぎたまま今日に至ってしまったという「重大な過去」に触れないわけにはいかない。すなわち、猛烈な勢いでアメリカに追いつき追い越し始めていた経済大国ニッポンにたいして、アメリカの大資本や大企業が、「金持ちのための政党」と言われてきた共和党政権を通じて、どれだけ激しい圧力をかけたか、賢明なる日本の人々は今でも鮮明に覚えているだろう。問題の「プラザ合意」や「ルーブル合意」なども、今にして思えばそのような「アメリカ・ファースト」的な文脈から出てきたことは、疑う余地もない事実である。つまり、「聖域なき民営化」とか「赤字財政の抜本的改善」などと言えばいかにも聞こえがいいが、実際は、「供給側重視」の経済体制に、アメリカともども日本をも引きずり込んでいかなければ、とても共和党政権はもたないという危機感と強迫観念に、当時のレーガン政権やサプライサイダーたちは取り憑かれていたのだ。日本の指導者たちもほとんど盲目的に「アメリカからの指導・助言」に追従したという。

いま、日本は空前の「大不況」に見舞われており、その苦闘の中で、国際社会からも、「なぜ、日本人はもっと活発にカネを使って経済を活性化しようとしないのか!」、などといった憤懣や怨嗟の声を直にぶつけられることも多くなってきている。しかし、よく考えてみれば、いまや日本人は世界でも有数な「豊かな社会」の住人となってしまっているのだ。ということは取りも直さず、自動車も、テレビもパソコンも、それこそ豊かな生活を心ゆくまでエンジョイするために必要なモノはほとんどすべて手に入れてしまっているということである。「金を借りてきてでも、政府はじゃんじゃん公共投資に精を出し、有効需要の拡大に専念すべきである」、などという原理・原則だけを振りかざして「景気回復」を迫ってみても、なかなか国全体にエンジンがかからず、ややもすれば、「ツゥー・リトル、ツゥーレイト」と揶揄されるくらい動きが緩慢になってしまうのも、ある意味では無理からぬことかも知れない。著者は言う、「政府の指導者というものは、その時々の社会や経済情勢に合わせた的確な政策を、スピード感を持って積極的に打ち出す必要がある」。この言葉は、著者がルーズベルト大統領やケネディ大統領のような卓越したリーダーたちを、間近で見てきたからこそ言えるのである。

小泉首相がいま直面している問題は、「日本はすでに、十分過ぎるほどの豊かさを手にしてしまっている」という事実だ。いかに不況とはいえ、一般的な日本人は現在の生活に基本的には満足しており、生活レベルをより一層上げるために必死に努力しようとしているわけではない。これが日本の「消費停滞」の最大の要因である。いま日本政府が公的資金を投入すべき最大のターゲット、すなわち「社会的インフラストラクチャー」(経済基盤)は、言うまでもなく「技術」や「芸術」などを支える人材を育成するための「教育」面でなければならない。いまや世界は人材開発競争の時代に入っており、こうした面での立ち遅れは、国家としての将来展望などまったく開けなくなってしまうからである。

先ほど、「日本人は十分に豊かになった」と指摘したが、それでもなお生活に満足できるだけの収入を得ていない人々がまだまだ沢山いるという厳然たる事実からも、決して目をそむけてはならない。言葉の真の意味における「政府の役割」とは、まさにここにあるのだ。こうした低所得者層の生活水準を引き上げるような政策を徹底的に実行し、「すべての人々が満足できるような生活」を保証すること。これなくして「一流国家」などとは、口が裂けても言えないはずだ。いまこそ本当の「豊かな社会」を実現する絶好のチャンスなのである。小泉内閣は、財源不足を補うために、失業保険の支給額を減らしたり、健康保険料率をあげたり、負担を増加させたりしている。このようなやり方はまったく主客転倒であると断ぜざるを得ない。老齢年金や医療保険、介護システムといった社会保障制度の充実なしに、国民が生活の不安や恐怖から解放されることなどあり得ないのであって、そのような後ろ向きの政策を取れば取るほど、総需要は停滞する一方であり、社会全体がますます暗くなってしまうのではないか。貴重な財政資金を集中的に投入する本当の「公共事業」とは、このような福祉面でのより一層の充実を図ることをいうのではないだろうか。

一方、莫大な公的資金を手に入れた大銀行が、率先して「貸し渋り」や「貸し剥がし」に狂奔している。これではせっかくの「政府の経済への介入」も裏目に出るばかりで、かえって「大企業」や「大資本」の利益になることしか考えていないといった悪印象を与え、一般国民の不満を増大させるだけである。「痛みなき利得などない。明るい明日を迎えるために、今日はみんなで痛みを分かち合い、頑張り抜こう!」などとどんなに威勢よく呼びかけてみたところで、もはや後についていくものなど誰もいないだろう。小泉首相はことあるごとに、「構造改革なくして景気回復なし!」と絶叫する。しかし必ずしも拙速な「構造改革」を図らなくても、日本国民が本当にその改革のための政治姿勢を信じて、莫大な貯蓄を「有効需要」に振り向ける気になりさえすれば、「10年不況」など一気に雲散霧消してしまうのだ。要は「政治不信」の徹底的払拭であり、それさえ実現できれば、意外に早く日本を覆う陰鬱な雲は晴れるのではあるまいか。

日本人は平均的に言うと、収入(可処分所得)の4分の1を「貯蓄」にまわす。ところがドイツ人は10%、アメリカ人の場合はほとんどゼロに近い。逆に「投資」の方はどうかというと、日本人は7%しか株を買わないのに対して、アメリカ人は50%以上を株に投資する。もし、日本人が畳の下に隠していて動かない700兆円の死蔵金のうち、ほんの1%でもいいから株式市場に投資してくれたら、たちまち株価は上昇し、銀行は豊かになり、貸し渋りがなくなり、企業も資金調達をしやすくなるであろうというのが、日本から恨みを呑んで撤退した欧米の金融機関の泣き言である。しかし前述のように、国民が政府を信頼しないような状況下では、そのような退蔵金は永遠に「有効需要」という形で「生きた金」になって回ることはないだろう。

以上が本書のあらましである。ガルブレイス教授は、1945年日本がポツダム宣言を受諾した日から数日後、ハリー・トルーマン大統領から「直ちに日本に飛んで、爆撃による被害状況をつぶさに調査し、これからの日本をどう再建し復興させるかについての具体的な青写真を示してもらいたい」と頼まれ、若干35歳で来日している。マッカーサー元帥が、「連合軍最高司令官」として乗り込む2週間前のことである。しかもガルブレイス教授は日本の敗戦と復興の道筋をつけるにあたって、最も重大な役割を果したポツダム宣言の現場にも居合わせているのである。彼の根底にあるものは“自由民主主義”と“思いやりのある資本主義”の心であり、それらを支えている平和主義に対する飽くことのない帰依と信奉の姿勢である。

本書の中で、ガルブレイス教授は「いまこそ日本および日本人は先人たちが命がけで構築しようとした様々な知的インフラストラクチャーを再検討し、その叡智を凝縮し止揚すべき時なのだ。その確固たる土台の上に立って初めてアダム・スミスやケインズを超克したまったく新しい「日本モデル」が構築できるのであり、そのため懸命に努力し、模索し、それこそ「官民あげて」本当の構造改革と経済復興を達成するために邁進すべきなのである」、とメッセージしている。本書を読むと読まずとにかかわらず、日本には問題が山積していることはわれわれが一番感じていることであるが、では、具体的にどうすべきかとなると言葉が詰まってしまう。その点においても、本書の中で解き明かされている。後は、われわれが行動を起こすだけだ。企業の業績が悪く、法人税収はピーク時の2割減であるし、個人個人を取り上げても、諸悪の根源は政府にあるとばかりに、自分達の出来得ることに対しては無頓着である。札幌元町店の西友が国産と偽って売った輸入豚肉の代金を返すと決めたら、濡れ手でアワとチンピラ風までもが列をなし、返金は販売額の3.5倍にもなった。西友のずさんな返金システムにも問題があるが、日本人の心が消え失せてしまっているのが今日である。

今年94歳になるガルブレイス教授が、「これからの人類社会の羅針盤となるべきものは“日本型モデル”しかない」と言い切ってくれる言葉に、われわれは奮起しなければならないだろう。


北原 秀猛

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•  ジョン・ケネス・ガルブレイス
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