「小泉改革はパフォーマンスばかりで、構造改革は一向に進まない。財政改革にも踏み込まない。不良債権問題も進捗しない。要はナイナイ尽くしである」と著者はいう。
小泉政権が誕生して以来、第1次基本方針(骨太の方針)、改革工程表、第1次デフレ対策、経済活性化戦略、第2次基本方針、第2次デフレ対策など、さまざまなペーパーが提出されている。基本方針と経済活性化戦略は経済財政諮問会議が、デフレ対策は与党が、それぞれ取りまとめたものである。どれをとっても聞こえはいいが、その反面、大変にわかりにくい。なぜかといえば、具体的なアクションに乏しく、活性化もデフレ対策も奏効していないからである。
2002年1月〜3月期のGDPは1.4%のプラス成長に転じている。しかし、これは家計調査のうち単身者世帯の消費額を多めにみて、下駄を履かせた数字であることは周知の事実である。4月〜6月は1.1%で、政府は年率でプラスとはいかないまでも、ゼロ成長は達成することができる、と楽観的な予想をしている。しかし、秋以降の落ち込みを考えると、私にはとうてい年率でプラス成長に転じるとは思えない。ゼロ成長も無理で、マイナスを余儀なくされるはずである。私は平成14年度のGDPは実質にして1%程度のマイナスになると見ている。これに加えて物価が下がっているため、名目成長率でいうと、おそらくマイナス2.2%くらいになる公算が高い。日本は平成10年度から平成13年まで4年連続でマイナス成長を続けたことになり、これで平成14年度が私の予想通りだとすれば、5年連続マイナス成長という大変な事態になる。これは記録的なことなのである。
マスコミがどのように報じようとも、日本経済はデフレの真っ只中にある。要するにデフレーションとは、自覚症状がなかなかでないものの、「通貨の価値が上がる病気」であり、死に至る病である。そもそも日本のデフレは何に起因しているのか。一番の病巣は銀行信用が縮んでいることだ。すなわち信用デフレである。銀行信用が収縮すれば実体経済もおのずから縮小する。マネーサプライの変動が実体経済の変動をひき起こすことは、経済の動かしがたい原理だからである。この信用デフレがなぜ発生したかといえば、理由は2つある。ひとつは、山のような不良債権を抱え、銀行の財務内容が悪化し、リスクテイクができなくなったということ。もうひとつは、グローバル化の流れに乗るために、BIS(国際決済銀行)による自己資本比率規制をクリアする必要性から、貸し渋りが起きていることである。信用が収縮している局面で、景気の回復など望みようがない。貸し渋りにせよ、貸し剥がしにせよ、いずれも信用収縮がもたらす現象なのだ。信用デフレから脱却するためには、1分1秒でも早く不良債権問題を処理するしかない。
日本の公的債務残高は平成13年末で693兆円である。GDPをざっと500兆円とすれば、この借金はその1.4倍だ。国家予算81兆2300億円のなかで、歳入に占める国債の割合は37%もある。3分の1以上を国債でカバーし、歳出全体の20%以上を過去の借金と利息の返済に充てている。たとえば税収をおよそ47兆円として公的債務を割ると実に14.7倍、実際には税収をすべて返済に充てることなどが出来ないから、毎年その1割を返済していくとなると、100年単位の返済期間が必要になる。
輸出主導で経済を回すというのは、発展途上国の発想だ。外にエンジンを求めるばかりでは、いつまでたっても経済成長の持続性を保つことができない。世界第2の経済大国というのであれば、やはり国内需要の創出を軸にしていかなければならないのだ。しかし、その知恵を政治家も官僚も持ち合わせていない。知恵のない者は直ちにその職務から去って、後進に道を譲っていただきたいと思うが、この手の輩は最後の最後まで居座るものである。市場の論理で経済を運営していく時代にあっては、いままでのような政治主導の経済再生はない、ということである。
ウォールストリート・ジャーナル紙が社説で、アルゼンチンの経済崩壊より、緩やかに進む日本の危機にもっと注意を払うべきだと指摘した。「日本の金融システムが抱える不良債権が130兆円を超え、デフォルトや円急落に陥る可能性がある」と指摘する米国のシンクタンクもある。円はもう安心して持っていられる通貨ではない。そういう形で日本への信認が崩れると、円の独歩安が進む。日本の国債は急落し、長期金利が跳ね上がる。このところの株安にも拍車がかかる。円安、株安、債権安のトリプル安が進む。
市場の論理からいえば、優秀な頭脳は魅力のない国から離れていき、魅力のない国は国際競争力を失い、モラルの低下を招き、国民の労働意欲の喪失を呼び込んでしまうのである。かつての王者ダイエーが産業再生法の適用を受けた。これには適用条件がある。それは、3年かけて経営再建を行い、その時点での有利子負債残高が10年で返済できる額にまで確実に圧縮できる確信に満ちた再建計画を示さなくてはならない。ダイエーの連結有利子負債はカード子会社を除いても1兆8000億円ある。450億円の営業利益しか上げていない会社が、毎年1000億円に上る借金の返済を今後10年にわたって、どうすればできるというのだろうか。旧経団連は、債権放棄は「必ずしも経営再建につながらず、経営者のモラルハザードを招くだけ」と厳しく批判した。
一方ゼネコンの問題には、3つある。まず、バブルの頃に経営を多角化し、ゴルフ場やホテル事業などにのめり込んだという点だ。このとき購入した土地の資産価値がバブル崩壊で大暴落し、バランスシートの悪化をまねいた。第2は、有利子負債が膨大であるにもかかわらず、営業利益は思うように出せないことだ。第3は公共事業に対する依存度が大きいことだ。
ここにきて政府は将来の増税路線を明確に打ち出している。配偶者特別控除や特定扶養控除などと、外形標準課税を取り入れることである。現在法人税を納めている企業は、全体の約3割でしかない。残りの7割の赤字法人に外形標準課税をするのである。それにしても、この税制改革案は、政も官も自ら変ることなく、いまのシステムを温存し、それこそ100年という時間をかけて、延々と生き延びようという姿勢である。そこには、構造改革の片鱗さえ読み取れない。しかも、タイミングが悪すぎる。これでは国民が思わず身構えてしまう。税制改革の狙いは財政再建だということがあからさまで、増税を目指すものであることは明白だ。くすぶっていた将来不安に火がつき、デフレ心理に油を注ぐ結果になる。まして、国内の7割の赤字法人に外形標準課税を行うという既定路線は、経営者のマインドを冷やし、消費者のマインドを凍らせる。塩川財務大臣は、外形標準課税は増税ではない。投資減税や研究開発減税を合わせてやるのだからというが、回るべき金融が回っていない地場の中小企業が、設備投資や研究開発投資を活発に行うとは考えにくい。
市場に身をゆだねることは、時代の価値基準に従うことだ。政治も本来、同じはずであるが、意思決定にいたる議論は尽くせないにもかかわらず、時間もコストもかかりすぎている。デフレの下では借金が時間の経過とともに重くなっていく。これがデットデフレーション効果だ。要するに、同じ金額の借金であっても現金の価値が上がっていくのだから、借金の重みも大きくなる。最終処理に至らない不良債権は、借り手企業の側にとってどんどん重い借金となってのしかかり、同時に貸し手の銀行にとっても大きな負担となっていく。まだまだ、不良債権の総額自体は増えていく流れである。
トヨタは今年の春闘で「ベアゼロ」の回答をした。経常利益が1兆円の大台を突破し、日本一儲かっている企業の従業員でさえ、ベースアップなしという「異常事態」を受け入れなければならなかったのである。このことが示す端的な意味は、企業の業績に関わらず、給与が上がらない時代に突入したということだ。この先、万が一にも景気が回復し、経営環境が好転しても、所得アップには結びつかないのである。その背景には、マクロで見た経済が、ゼロ・インフレかデフレの世紀を迎えたことを、指摘することができよう。
また、企業の海外移転が進んだ結果、リストラされた人たちの雇用を実現できる業種も限られてくる。第1次、第2次産業はすでに斜陽化しているから、雇用を吸収できるのは第3次産業以外にない。しかし、一般に、第3次産業でカネを稼げる職種は、研究開発、情報通信などの限定された分野である。そこで求められる人材は、その分野で高い専門能力を持ち、その技術によって高い成果を上げられる人たちに限られてくる。その他の分野では、低賃金に甘んじなくてはならない。
厚生労働省の付属機関である国立社会保障・人口問題研究所が、超長期の人口推計を発表しているが、それによると、21世紀末、つまり2100年の総人口は、高位の推計で7200万人、中位では6700万人、低位では5800万人だという。現状がおよそ1億2500万人だから、大雑把にいえば半分に減少するということだ。5年前の推計では、2007年をピークにして総人口が減っていくという見通しが、今年1月30日の発表では2006年に1年前倒しされた。今年6月7日に発表された人口動態調査では、2001年の合計特殊出生率は過去最低の1.33に下がっている。空港、港湾、道路、橋、図書館やスポーツ施設、保養所など、公共施設の維持にしても、1人当たりのランニングコストはどんどんアップすることになる。
すでに国土交通省は、2030年をピークに自動車の交通量が減少すると試算して、高速道路の償還計画の抜本的な見直しを迫られている。GDPをマイナスにしないためには、1人当たりの付加価値生産額を高めていく以外にない。そのためには、付加価値生産性を上昇させる余地の大きい産業を、できるだけ多く日本経済のなかに取り込むことである。たとえば、ナノ・テクノロジー、遺伝子技術、バイオ・テクノロジー、情報通信、新エネルギー、航空・宇宙といった分野がそれである。
人口は減少する。産業は空洞化する。トレンドとしてみれば国民の個人金融資産はこれ以上伸びを期待できない。とすると、日本はこれまでの貯蓄を取り崩しながら生きていく他はない。1400兆円の個人金融資産の存在に過大な期待を寄せるのは、どうしても楽観的過ぎると言わざるをえない。しかも、このカネは、どこかの金庫に眠っているという性格のものではない。基本的には、使ってしまったカネだ。郵貯や簡保のカネにしても、財政投融資で、たとえば本四架橋になったり、関西国際空港になったりする。もちろん、郵便局や銀行の窓口に行けば、カネをおろすことができる。しかし、その実態はというと、まとまったカネを何かに消費する、という形にはならない。まとまった預貯金を取り崩して消費するような、これといった“甘い水”も生み出せそうにない。
市場に身をゆだねて経済運営をしていかなくてはいけない時代になったということは、旧来のシクミを変え、新しいシクミをつくる、という問題だ。しかも可能な限りのスピードで構造を変えなければ、大きく取り残されるということだ。日本は10年という時間をかけて金利の自由化を行った。しかし、市場にすべてをゆだねるための規制撤廃は、いまだに何一つ行われていない。市場主義は、純金と直接的にも間接的にもリンクしない。いわば「新しい資本主義」の形を模索する取り組みであるといえる。それは資本主義がいよいよ崩壊過程に入り、次の経済原理が求められているということであるかもしれない。先進国はおしなべて、長引く不況と低成長に悩まされる運命にあるが、このような問題意識を欠いたまま、小手先の経済運営を行うとしたら、日本は完全に没落することになるだろう。
以上が本書の概要である。日本はIMD世界競争力イヤーブックによる評価対象49ヵ国の中でのランキングは2002年度で26位である。1990年に1位であった地位が毎年下がり続けている。現在の日経平均株価は9000円前後で低迷している。その理由は外国人投資家が日本株を手放しているからだ。それに金融庁が空売り規制など売り規制を導入したが、結果的に自由な売買を縛ってしまい効果はでていない。すなわち、市場経済を無理やりに捻じ曲げることを平気でやるのが日本政府である。2002年3月末の大手銀行の不良債権は1年前より49%増えて26兆6000億円になっている。日本経団連は、2007年には消費税を現行の5%から10%に引き上げる必要があるとしている。そして、2025年には消費税を18%〜28%との予測をしている。本書の中にあるように、合計特殊出生率が2001年度1.33であり、2100年には日本の人口が現在の約半分になる。経済を成長させるのは至難の業である。GDPの約6割を占める個人消費が、給与が伸びない、そのなかで消費税が18%を超えていくとすれば伸びる可能性は薄いとなる。頼みのアメリカ経済も株価の低迷、財政赤字は1650億ドルに達するなど問題は山済みである。そんななかでイラクへの制裁が実行されれば、著者は「世界経済並びに日本経済は破断界を迎えるのは必至」という。ともかく日本は大変な状況にあることは間違いない。日本の国は別にしても、個人として自分の将来を考え生きる道をさがし、具体的な行動をしていかなければならないだろう。
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