日本は今、苦しい状況にある。経済の成長力が萎え、景気が悪い。企業は儲からなくなり、倒産や閉業も増えた。給与は下がり気味で早期退職者が増え、失業率は高くなった。株価も地価も下落し、国民の資産は減った。銀行は巨額の不良債権を抱えて四苦八苦、ゼロ金利状態が3年も続いている。国の財政も大赤字、国公債の残高は700兆円に届こうとしている。悪くなったのは経済だけではない。世の中の状況も悪化した。犯罪認知件数は増えたのに、容疑者検挙率は落ち込んだ。通りも公園も汚くなった。個人の感覚からも、組織の運営からも、清潔感が減退している。学校生徒の学力は低下し、学級崩壊が拡がっている。官公庁でも大企業でも、事故隠しや虚偽報告が増えた。それでいて目を見張るような新しい文化は乏しい。その上、日本の国際的地位は低下し、外国での日本に関する報道は減った。日本は、経済でも政治や文化でも、世界の中枢から外れ、「アジアの田舎」になりつつある。世界一の繁栄を誇った80年代後半とは大違いだ。どうしてこんなことになったのか。これからどうすれば良いのか。それを考えるのが本書の目的である。
「未来」を探るには「過去」を知らねばならない。「日本の行く道」を理解するためには、「この国の来た道」を知っておく必要がある。平成に入って14年、この間11人の総理大臣が登場した。そしてそのすべてが改革の旗を掲げ、それぞれに一定の役割を果した。民間企業でも、80年代後半の円高に対応する合理化、90年代の経営改革、そして90年代末からのリストラと、改革を続けてきた。だが、まだ日本の改革は成功していない。それは一体どうしたことか。どこがどう間違っていたのだろうか。それは、これまでの改革が、仕方(テクニック)の変更、仕掛け(システム)の改革、仕組(ストラクチャー)の改造にとどまっているからだ。日本を新しい多様な知恵の時代にふさわしい知価社会に変えるためには、体制(レジューム)を変え、生き方(体質)と考え方を改めなければならない。
1989年(平成元年)、日本は「人類史上最高」ともいえる近代工業社会を形成していた。まず、経済は大いに繁栄していた。1人当たり国民総生産(GDP)は、2万3626ドル、人口1000万人以上の国では世界最高だった。しかも経済成長は続き、80年代の10年間で68%も拡大した。それでいて物価は安定し、貧富の格差は縮小していた。
企業の経営状態も良好だった。この年度(90年3月期決算)の企業利益(東京証券取引所上場企業統計)は11.6兆円(営業利益)に達した。円高不況の予測を跳ね返して、「企業利益史上最大、倒産件数近年最小」を記録した。当時の日本全国土の地価総額は約2100兆円、面積では25倍もある米国の3倍にも達した。89年末の失業率は2.2%、実質的にはゼロに近い状態だった。何しろ、求人倍率は1.3倍であった。
1989年(平成元年)、日本が世界に誇り得たのは経済だけではない。治安の良好さも、社会秩序の安定性も、基礎教育の普及と水準でも、街並みや商品の清潔さも、「世界最高」と自慢することができた。日本の治安の良さは、犯罪件数の少なさにも、容疑者検挙率の高さにも示されていた。この年の犯罪認知件数は167万件、人口当たりでは世界有数の低さだった。その一方、容疑者検挙は46%という世界に誇り得る高さだった。特に、殺人強盗などの凶悪犯は少なく、その検挙率も約85%に達していた。日本は安全な国、夜中に女性が1人で歩くことも、戸締りをしないで眠ることもできた。その頃の日本は、泥棒と乞食のいない国でもあった。
ところが、95年を境に逆転、2001年末には1ドルが131円に下落した。円高から円安へ趨勢が変った。その背景には、産業の国際競争力の低下がある。スイスの経営開発国際研究所(IMD)が発表した日本の製造業の国際競争力は、90年の世界1位から2002年には30位まで低下している。企業経営の悪化は目を蔽いたくなるほどだ。12年前には、「企業利益史上最大、倒産件数近年最小」の繁栄ぶりだったのに、2001年度(2002年3月期)東証上場企業全体(金融機関を除く)で3696億円の赤字になった。一方の倒産件数は、89年度の7234件(負債総額1兆2322億円)に対して、2001年度は1万9164件(負債総額16兆5196億円)、件数では2.6倍、負債総額では13.4倍である。上場株式時下総額で見ると、1989年末には611兆円だったものが、2002年9月末には262兆円へと、低下している。この間に新興有望株の上場などが盛んに行われたことを考慮すると、実質的な下落はずっと大きい。
国土交通省が発表する地価指数によれば、1985年を100として、全国宅地は90年には145だったが、2002には114になり、バブル景気の前87年頃に戻っている。特に東京や大阪の商業用地はピークの2割というほどの大暴落をした。日本の国土の総価格は、90年には2450兆といわれたが、2000年には1530兆円と縮小した。日本の土地資産は10年で900兆円以上も減少したわけである。
2001年度の予算では、国債発行額を無理やり30兆円に抑えたが、それでも国債依存度は34.3、そのうえ、激しい不況に耐えかねNTT株の売却益を補正予算財源に当てるなど2.5兆円の隠し赤字をだした。さらに2001年度には不況と企業の経営不振で、約2兆円の税収欠陥も生じた。結果としては実質34兆円の財政赤字となった。自治体の財政赤字刃それ以上だ。
1990年から12年間に悪くなったのは経済だけではない。日本が誇りとした「3大美風」も著しく劣化している。第1が治安の悪化、第2は教育、第3が社会の清潔さ、である。
もう一つ、平成の重大問題は、日本が世界の中核からズレ落ち出していることだ。留学生も日本に来なくなった。それに名門や有力者の子弟がほとんどいない。1990年以降、あらゆる面で日本は大幅に後退した。
黒舟によってもたらされた近代工業社会のメッセージ・・・「進歩と効率」を受け入れて、日本は明治維新を起こした。世界史上でも類例がないほど完璧に、前時代の倫理と体制と機構を否定した大革命である。その移行を成功させた条件は3つある。
- 資本の蓄積
- 工業製品が大量に売れる市場
- 近代工業に適した労働者の大量養成
戦後の日本では、「物財がたくさんあることが幸せだ」という物質文明の発想が広まった。「効率」「安全」「平等」――この3つが正義になったのは、戦後日本の大きな特徴である。そのことが戦後の社会と文化を決定することになった。そして、日本は新しい国家の基本方針を決定した。その1つは「日米同盟を基軸として西側陣営に属し、経済大国、軍事小国を目指す」という外交コンセプトであり、もう1つは、「規格大量生産型の近代工業社会を築く」という経済コンセプトである。日本の戦後体制は1955年頃に確立した。これによって日本経済は、復興から成長の軌道に乗ったと言える。つまり、「成長の循環」が出来上がったのである。
戦後の日本がつくり上げた最適工業社会には、3つの際立った特色があつた。第1は官僚主導・業界協調体制、第2は日本式経営、そして第3は職場にのみ忠実に帰属する職縁社会体質である。日本式経営と並んで、日本経済の特色をつくったものに企業系列がある。大企業の企業系列の構造を見ると、まず真中に大手銀行(メインバンク)があり、その横に総合商社と基幹メーカーがある。
1970年代に日本は一段と工業化を進め、80年代には人類史上でも最も完璧な近代工業社会を作りあげた。ところが、そのころ既に世界の先進地域では、近代工業社会のパラダイムが揺らぎだしていた。アメリカやイギリスでは規格大量生産型の産業が萎えかけている時に、日本は規格大量生産型の産業と、それにふさわしい社会体制を強化していたのである。その結果、80年代には自動車や電気機械、光学機器といった規格大量生産品では、日本は世界最高の生産力競争を誇るようになった。加えて80年代に入ると、石油価格が下がりに転じたため、日本の交易条件は大幅に改善、貿易収支は大きな黒字になり出した。当然、日本の為替レートは上がった。これに勢いづいて、「日本こそ世界一だ、もはや欧米に学ぶものはない。日本型の官僚主導体制と日本式経営を世界に広めるべきだ」という主張さえ湧き上った。「日本人は傲慢だ」といわれたのも不思議ではあるまい。その結果、日本経済には金余り現象が生じた。それがバブル景気を生むことになる。
バブルには3つの原因があった。
- 第1は、資金の過剰、つまり金剰りである。
- 第2は、楽観的な予測が横行したことだ。
- 第3は、本当の投資対象は減っていた、という事実である。
バブル景気の罪と罰、その第1に銀行などの金融機関が土地や株の購入に対して行った巨額の融資が不良債権、つまり返済不能になったことだ。不良債権が増えれば自己資本は減る。従って銀行は急速に貸し出しを減らさなければならない。97年頃からは健全な企業からも返済を求める「貸し渋り」現象が拡がった。
日本経済の現状は「極めて悪い」。経済の状況を見るには、6つほどの尺度がある。
- 経済規模の増減
- 仕事
- 物価と賃金の高低、経済活動のバランスを示す価格の動き
- 金融
- 財政
- 国際均衡
以上6つについて、2002年の日本経済を見ると、すべての点で「極めて悪い」と言わざるを得ない。
では、どうすればよいのか。日本は今、何をすべきか。2001年4月に登場した小泉純一郎総理大臣は、「改革なくして回復なし」と言明、景気回復よりも構造改革を優先する姿勢を鮮明にした。だが、発足から1年半が経った状況では、さほどの成果は上げていない。むしろ景気の悪化と官僚主導へと逆戻りが目立つ。小泉内閣には、なお3つの点で改革の実行が期待される。政策金融機関の整理縮小、郵政三事業の改革、そして高速道路事業の民営化である。しかし、いずれの主題でも大改革は難しそうだ。決定の段階になると緩慢なものに引き戻されてしまう。
平成になってから14年間、11人の総理大臣が皆「改革」を唱えながら、なお「日本は大して変らない」のは何故か。それは、それまでの改革が、仕方(テクニック)、仕掛け(システム)、仕組み(ストラクチャー)の範囲にとどまっていたからだ。どうしてこうも、改革は挫折するのか。あるいは実効性の乏しいものになるのか。政治家や官僚の抵抗が強いから、というのでは回答にならない。およそ改革に政治的抵抗がないはずがない。要は、それを押し切れるほどの勇気と世論の支持があるか否かである。
そもそも日本の公共事業が(1)人口増加、(2)土地不足、(3)経済成長、(4)物価値上昇、(5)国債競争のない島国、という前提で行われていた。だが今は、この5つはことごとく逆転した。1.人口減少、2.土地余り、3.経済非成長、4.物価下落、5.グローバル化による国際競争の激化、である。
日本の社会が抱える「負の資産」は他にも多様だ。ここで重要なことは、国民各位が将来確実に得られる保証水準を明確にし、物価水準や金利との関係をはっきりさせることだ。
21世紀の日本が、人口減少のなかで経済と文化を大発展させる可能性は十分にある。日本人には、古来凄まじい創造力と学習力があるからだ。要はこの国の人と富と知恵を、効率の高い部分に流れ易くすることだ。知価社会とは、変化の激しい社会であり、それ故にこそおもしろい世の中である。
以上が本書の概要である。まず読んでみて驚くことは、日本の現在は、すべてのことにおいて最悪の状況におかれているということである。ある面では、官僚とか政治家のみに任すのではなく、国民の1人1人が、猛然と国に対しものを申す気概を持つ必要がある。この状況から抜け出すのは非常に難しいのではないかとさえ考えさせられる。
東大名誉教授の中根千枝氏が昭和30年代に「日本のタテ社会・ヨコ社会」という本を出版して大きな反響を得たが、中根教授は『「タテ組織」とは上位下達が機能するピラミット社会を意味するのではなく、逆にリーダー権力を発揮できにくい社会を意味している。特定の人に権限を集中させることに対して抵抗を示す。「場」を優先する社会では、1人1人の能力差に着目するという意識が働きにくくなる。場による集団では、明確なるルールを守るということよりも、お互いの人間接触で、その場、その場で都合の良いように組織を動かしていこうとする。』と述べている。政治家、官僚、民間企業の経営者、などすべてが、中根教授のいう通り、皆同じ感覚のなかにいて、同じ行動をとっているといえる。そう考えると、かなりの強力なリーダーシップを発揮できるリーダーの出現が待望されることになる。皆さんはどうお思いになりますか。
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