2003年の日本経済はどうなるのか。深い「デフレの海」に沈むのか。それとも「デフレ脱却」のきっかけを掴むのか。
日本経済が長期不況に陥ったのは1991年春だった。以来12年間近くの長期停滞に陥り、いまなおデフレのなかで展望が開かれないままにある。94年末の東京協和信用組合・安全信用組合の破綻に始まる第1次金融危機以来、金融市場は波状的に危機に見舞われてきた。2003年においても、第4次金融危機がいつ起こっても不思議ではない状況にある。日本経済は「10年デフレ」をすでに経過し、「15年デフレ」さらに「20年デフレ」に陥ってもおかしくない状況だ。一体どうしてこんなことになっているのか。戦後の日本経済の成長過程を支えてきた「メインバンク制」と「株式持合い構造」が崩壊するもとでは、財政大出動も、銀行保有株式の買い取りという日本銀行の禁じて手も、竹中式金融再生プログラムも、しょせん中途半端で不整合な政策でしかなく、日本経済を混乱か衰退、あるいは墜落に陥れかねない。
本書は第4章に分かれている。第1章:「日本経済を救う“最後の方法”は何か」、第2章:「非常事態宣言による日本再生のプログラム」、第3章:「不良問題の本質」、第4章:「このままでは静かなる衰退へ」、以上である。
日本経済は1991年(平成3年)春に景気後退に陥り、そして2002年末の現在、相変わらずの停滞を続けている。日本経済は10年どころか、15年、20年にわたる長期不況に落ち込みかねない状況にある。この12年間に、政府の景気回復宣言が幾度か発せられてもいる。例えば、1993年秋に政府は「緩やかな回復」と景気回復を宣言した。それは94年末までの短い回復で終ってしまった。毎年同じことの繰り返しである。1991年の春から2002年末の現在までの12年近くの間に4度ほどの「景気回復宣言」が政府によって発せられてきている。しかしいずれも1年から1年半程度で景気は屈折し、結局12年近くにわたる長期不況に日本経済は閉じ込められている。
巷間で提言されているデフレ脱却の政策を整理すると次の4つある。Aの財政派、Bの金融派、Cの構造改革派、Dの不良債権処理加速派の4派だ。「財政派」はデフレ脱却の基本的政策は財政出動だと考える。代表的な論者には、亀井静香、麻生太郎、堺屋太一、リチャード・クーなどがいる。だが、この12年間の「呼び水」効果は一時的で、何度も何度も外から「呼び水(追加財政出動)」を繰り返した結果、公的債務残高はGDP(国内総生産)の140%を超える、異常な水準に達してしまった。「金融派」は、中央銀行がインフレ目標を公に設定し、国民や企業の間に「インフレ期待」を醸成させるという「インフレ目標設定」を強く主張する点で共通している。「構造改革派」は、2001年4月の自民党総裁選挙で立候補した小泉純一郎が「財政拡大でもない、金融緩和でもない、第3の政策・構造改革路線」を高々と掲げた。だが考えてみれば、郵政民営化にせよ、道路公団民営化にせよ、行政改革は中長期には日本経済に展望を開くが、足元の「デフレの罠」から経済を脱却させるにはほとんど効果がない。例えば不良債権の最終処理を断行すれば、大量の企業倒産および失業の発生は不可避だ。「不良債権処理加速派」、善い意味でも悪い意味でも財務官僚(旧大蔵官僚)は、財務規律の遵守に殉じる。日本国家は財政基盤が磐石であってはじめて成り立つ以上、国家財政の規律は死守していかねばならない、との強烈な意識だ。それは田中秀征が指摘する「財政家の目」だ。国家の運命を決する財政運営を政治家、企業、国民に委ねればどういうことになるのか、との危機感である。これが旧大蔵省の伝統的な精神的支柱だ。彼らは、不良政権処理は2010年度をメドに粛々と進めていけば、大掛かりな財政出動も必要がないと財務省や金融庁が考えても不思議ではない。D派はいわゆる「竹中3原則」に準拠する。(1)産査定の厳格化、(2)銀行の自己資本充実、(3)銀行経営のガバナンスの確立だ。この不良債権処理加速策は基本的にはバランスシート派とも言うべき、「金融家の目」、あるいは「会計士の目」を持つ経済観に準拠している点で、一面的で、経済実体面を軽視する性向が強い。
以上のことから重大な論点が浮き出てくる。問題の根源は政策当局者が、日本経済は90年代に歴史的に希有な「特異経済」に陥っていることを察知していないこと、この一言に尽きる。日本経済が特異体質に陥っているがゆえに、あらゆる財政政策や金融政策を、通常レベルを超えて推し進めても効果はほとんどないか、一時的な効果にとどまらざるをえないのだ。日本経済がここ12年近く陥ってきた「デフレの罠」を端的かつ具体的に示すのは巨額な需給ギャップ(デフレギャップ)の存在だ。各種推計があるが、最低でも15兆円最大で90兆円だ。国債発行枠30兆円突破といったレベルで需給ギャップは埋まるものではない。たとえ需給ギャップが埋まったとしても、それは一時的で、またまた次の大型予算の出番が必要になるのだ。
最後に残るのは「インフレ目標」設定だ。日銀は少し前からマイナス物価をゼロに戻るまで金融超緩和策を続行する、として前代未聞の量的緩和に踏み切っている。これは日銀による緩い形の「インフレ目標設定」と言って良い。つまり、「実質的インフレ目標策」が現実となっているのだ。だが、そうした「物価をマイナスからゼロへ」という目標ですら日銀は達成できていない。ましてや、こうした場合、おそらくインフレ目標設定論者は日銀の量的緩和策が不十分だとか、もっと異例な政策(預金封鎖での新円切り替えとか預金などへの課税)を行うべきだと主張する。だが、これらの超金融政策は経済の実態や人間並びに社会の心理を理解しない「机上の空論」でしかない。
これまで見てきたように、財政派の唱える財政大出動も金融派の超金融政策も、そして小泉式構造改革も、また竹中式不良債権処理加速策も、日本経済を「デフレの罠」から脱却させる決定打にならないどころか、かえって日本経済を深刻な真性デフレに陥らせるか、モラルハザードの混乱に追い込む危険な方法なのだ。
すると、日本経済を救う唯一の決定打、すなわち究極の方法としては、大胆な「発想の転換」によって経済一新をはかるしかない。それは日本経済の現状を平時ではなく、「非常時」とまず認識し、供給面から需給ギャップを解消する手段を探ることだ。そこで日本経済を「異常経済」から「正常経済」に転換させるための正面突破策は、基準金利を3%に引き上げることである。日銀が現行のゼロ金利を3%に引き上げることを決断するのだ。3%という正常金利を支払えない債務を超える企業は、「正常市場」から退出してもらうのが自由経済の鉄則なのだ。
筆者は、不良債権問題が「10年デフレ」の根本原因になっていると長年にわたって主張している。ただし、その論拠は、貸し手の銀行が信用供与を積極化せず、新たな資金の供給が鈍り、日本経済がクレジット・クランチ(金融収縮)に陥っているという故宮崎義一氏に代表される「金融デフレ論」にあるのではない。むしろ、借り手の企業が借金を返済できないばかりか、淘汰、整理されずに延命を続けている「債権企業デフレ論」(デット・デフレーション)こそ問題の本質だと考えている。本来、市場から退出して然るべきかなりの数の企業が、いまもなお居座り続け、結果として「オーバーカンパニー」状態が生まれ、「過剰競争」を繰り広げている。それゆえに、多くの企業が資本収益率の悪化や赤字経営に長期間陥っているのだ。これこそが、長期不況の本質的問題だと考えている。
日本の不良債権問題は欧米、とくに米国の不良債権と決定的に異なっている。だが、竹中大臣のシナリオは基本的に米国の不良債権問題の処理手法を前提にしている。本書の主張との決定的な相違はこの点だ。日本の不良債権はメインバンク制に深く関わっていることである。もう一点は、日本の不良債権問題とは「質的問題」であるとともにに、「量的問題」としても特異性をもっているということだ。それは、いわゆるバブル崩壊が桁違いに大規模であったことはもちろん、10年近くにわたって不良債権処理を先送りしてきた結果、量的に見ても、その最終処理は至難だということだ。
内閣府のデータから筆者が試算したところ、1兆円の不良債権処理によって発生する新規失業者数(限界失業発生性向)は3万人〜4.7万人だ。問題は、処理すべき不良債権額で発生する失業者の数は異なるということだ。不良債権とは銀行からすれば、貸し出し結果として回収不能、もしくは返済が停滞している状態になったわけだから、バランスシート上の「ウミ」なのだ。一方、不良債権とは、多くの企業が遊休化した工場や機械設備、未使用の土地、収益率の低い投資という不稼動資産を持っている「現実」を示してもいる。これは企業部門、すなわち実体経済が「過剰供給力」を抱え込んでいることを意味する。とすれば、この不良債権が象徴する「供給過剰状態」が、実は物価水準に不断の下方圧力を課すデフレの「原因」になっているのではないか。
「右肩上がり」の時代はなぜ終わったのか?その理由は、戦後の日本経済が2つの基本的な経済環境要件に支えられていたからである。ひとつは欧米先進諸国へのキャッチアップ過程にあったことだ。もうひとつは冷戦構造のもとで、欧米諸国は国家戦略の最優先度を対ソ軍事力の強化に置いていたから、世界市場で日本はほぼ一人勝ち状況を享受できたことだった。戦後におけるこれら2つの経済環境要件が日本の経済システムに「右肩上がり構造」を組み込み、「メインバンク制」と「グループ的取引関係」の形成と強化を通じて、日本経済の頑健性を担保したのだった。だが、日本経済が1985年にキャッチアップ過程を完了するや、右肩上がりの基本要件の一角が崩れはじめ、従来の官僚型統治が機能不全をきたすようになった。そして、89年11月にベルリンの壁が崩壊するに及び、もうひとつの右肩上がりの基本要件が崩れてしまった。
そこで、90年代前半のみならず、90年代後半を含めた約10年以上の長きにわたって、マクロ政策が景気の自律的回復に対して無効だったのか、である。それは、「10年デフレ」としての平成不況について、「正しいカルテ(診断書)」が書かれず、したがって「正しい処方」がなされてこなかったためである。その基本的原因は2つあると筆者は考える。2つとも経済現象を分析、解剖する思考様式にかかわる点で本質的な問題である。ひとつは、やや表層的な次元の問題だが、戦後半世紀の日本経済にかかわるゆえに、「戦後的思考構造」そのものが問われていることだ。もうひとつは、より深層の次元の問題で、世界史的にみて「60年から100年に一度の異常事件」にかかわる、「経済大災禍」に起因するものである。本書の「非常事態シナリオ」が政策選択の表舞台に登場するのは早くて2003年秋だが、2004年中にはおそらく日本経済にクラッシュ・シナリオが現実化し、「非常事態シナリオ」が政策論議の俎上に上ってくるのではないか。
以上が本書の主旨内容である。モルガン・スタンレー証券のチーフ・エコノミスト兼マネージング・デレクターである、ロバート・フェルドマンは、日本国の対処の仕方をみて「日本はCRICサイクルの繰り返しである」と述べている。どういうことかというと、「問題が大きくなって危機(crisis)が来ると、あわてて応急処置(response)をする。それによって状況が少し改善(improve)すると、すぐに安心(compliance)してしまう。このサイクルの繰り返しである」と指摘している。現実の日本はこの指摘通りであり、政府が100兆円以上もつぎ込んでもダメであったように小手先の処理というよりも、原因分析のない、処方箋のないままの応急処置ばかりで、結果13年もの歳月を費やしてしまったといえる。
私は経済学者ではないので、本書の指摘が正しいのか、そうでないのかはハッキリわからないが、本書の内容には説得力がある。まず、右肩上がりの時代はなぜ終ったのか?その理由は明快であるし、いろいろな論者に対し、こうゆう理由でダメだとも述べている。そして、「正常経済」に転換させるためには、日銀が現行のゼロ金利を3%に引き上げることを決断すべき、が筆者の結論である。今年の秋から2004年にかけて見守ることだ。
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