本書の著者、滝田洋一氏は慶應義塾大学の大学院を卒業後、日本経済新聞社に入り、現在経済部の編集委員である。本書は6章の構成になっている。
日本は過去に蓄積した金融資産を食い潰しながら、いつか事態は好転するだろうという希望的観測に浸ってきたのだ。「為すべきことを為さない」ことを不作為という。出る杭は叩かれる日本社会では、目に見えにくい困難な課題が生じたときには、積極的に問題解決に打って出るよりも、傍観するという態度がとられがちだ。経営者が為すべきことを為さずに事態を悪化させたとすれば、それは「不作為の罪」と言うほかない。
ポール・オニール米財務長官が2002年5月2日、ニューヨークのジャパンソサエティーで、「日本は過去10年間、年平均1%の実質成長率にとどまった。仮に潜在成長率と見なされる3%成長を続けていた場合と比べて、日本は10年間で5兆ドル(600兆円)の所得を失った勘定になる」。そして、「問題は単に生活水準の低下にとどまらない。将来に対する投資が10年間で7600億ドル(91兆円)も減ってしまった。それは、将来への不安が個人消費を抑制し、防衛的な貯蓄を増やし、さらに経済を停滞させる。日本経済が陥った罠である」、と述べた。
2001年5月31日、自民、公明、保守の与党3党幹事長がワシントンの米連邦準備理事会(FRB)に、アラン・グリーンスパン議長を訪ねた。そのとき、グリーンスパン議長は、「日本では金融仲介機能が基本的に銀行のみによって行われている。銀行が仲介機能を果せなくなると経済がだめになり、デフレにもなる。米国では証券会社やモーゲージ(住宅担保金融)会社といった副次的な金融機関が、銀行の仲介機能を補完しているが、日本にはこれがない。銀行貸出の担保となっている商業地の価格下落によって、銀行の金融仲介がうまく機能しなくなった」、と述べている。銀行がうまく機能しないと、肝心の構造改革もうまく進まない。経済が成長していくためには、衰退産業から最先端の生産性の高い産業への移行を進めることが必要だが、これには銀行が重要な役割を担う。グリーンスパン議長の分析は明瞭である。10年以上に渡って続く日本経済低迷の原因が、銀行システムの不振にあることは明らかだからだ。だが明瞭な分析は理解できたとしても、不良債権処理の過程で生じる倒産や失業、デフレの深刻化などの副作用を緩和する処方箋は存在するのか、という問いが残る。
当座の倒産、失業に対する安全装置のないまま、不良債権処理を急ぎ、デフレ不況を深刻化させてしまうか。それともデフレの底なし沼におじけづいて、不良債権処理を棚上げにし、日本経済の改革を放棄するのか。高々と構造改革を掲げたことがブーメランのように跳ね返り、「門前の虎、後門の狼」という状況に小泉内閣は間もなく追い込まれる。
金融危機の発生、応急処置、事態の改善、慢心、そして新たな危機の到来。90年のバブル崩壊以降、日本経済はこんな「危機のサイクル」に特徴づけられてきた。モルガン・スタンレー証券のエコノミスト、ロバート・フェルドマンは、危機(クライシス)、応急処置(レスポンス)、改善(インプルーブメント)、慢心(コンプリーセンシー)の英語の頭文字をとって、「CRICサイクル」と呼ぶ。バブル崩壊の日本景況観には奇妙なアノマリー(季節特異性)が生じている。例えば、政府は2002年3月危機の回避に全力を傾ける。この危機を乗り切った直後には、偽りの楽観ムードが広がりやすい。92年の第1次金融危機を株価維持策(PKO)で乗り切った93年春がそうだったし、超円高と住専危機に見舞われた95年の第2次金融危機を何とかしのいだ96年春もそうだった。92年、95年、97年〜98年と、いったん深刻な危機が到来しても対症療法でやり過ごす。「CRICサイクル」を可能にしてきたのは、財政・金融政策による景気へのカンフル注射と銀行の株式含み益だった。その代償として財政赤字は雪だるま式に膨らみ、政府債務は国内総生産(GDP)の1.4倍に膨らんだ。政策金利は相次ぐ引き下げの果てに、金融の量的緩和という名のゼロ金利政策を採用するまでに至っている。株式の含み益はいまや底をつき、保有株式は含み損の拡大によって、銀行経営を揺さぶりつつある。「危機だ、危機だと言っても、危機なんか来なかったじゃないですか」。塩川財務相は3月危機をやり過ごした直後に胸を張った。危機を乗り切るたびに、この発言が繰り返される。その間に、日本経済の地盤沈下が進み、デフレと不良債権の糸はますますもつれていく。
92年3月現在、全国銀行の貸出残高422兆円のうち、不動産、ノンバンク向けが合計113兆にのぼる。株式と不動産に表される国富の喪失額は、2001年の株式資産価格は310兆円で、ピーク時である89年末の910兆円に比べ6割以上も減少している。不動産は2001年末で1450兆円、ピークの90年末の2420兆円より4割も少なくなった。国富のピーク時との比較では、株式と不動産を合わせた国富の総額は1339兆円減少したことになる。経済のルールからすれば、預金の簿価と時価のギャップは、結局誰かが負担せざるを得ない。ペイオフを凍結し、預金の全額保護を続けてきたことは、そのギャップに蓋をして、政府が国民の税金で損失を穴埋めするという経済行為にほかならない。
ここで素朴な疑問が残る。バブル崩壊後、総額130兆円に達したはずの財政政策は、なぜ一時的に景気の下支えをするにとどまり、持続的な景気拡大をもたらさなかったのか、という謎だ。この点では、財政配分の効率性の低下を挙げるのが通説的な見解となっている。地方に無駄な道路や橋を造り、人の入らないテーマパークや公共施設を造ったことのトガメがでている、との指摘が多い。高速道路の建設凍結は2002年夏の最大の政治イベントになったと言って良い。
過去12年間、日本は平均60兆円の貯蓄をしてきたが、727兆円という依然残っている国富の穴を埋めるには、なお12年間は貯蓄を穴埋めに回す「お礼奉公」を続けなければならない勘定となる。最大のリスクは、このままデフレが進んで国富の穴がさらに拡大することだ。物価が下がれば、資産価格も連動して下がる。穴埋め原資となる年間貯蓄額を上回るスピードで資産価格が下落すれば「お礼奉公」は12年よりもさらに長引く。穴埋めを早く終わられせるには、政府がその仕事を引き受けるほかない。その決断が遅れるほど、国民負担は増えていく。
外資系金融機関は、日本の金融機関がとれないリスクを引き受けて収益を上げてきた。典型例は不良債権ビジネスだろう。97年12月に東京三菱銀行が米穀物商社のカーギルに不良債権を売却したことが、日本におけるまとまった不良債権売却の始まりである。北海道拓殖銀行や山一證券の破綻など、金融界が騒然とするなかで外資系は投げ売りされた物件をタダ同然の値段で買い集めた。その後、2002年3月末までに民間金融機関が処分した不良債権は、簿価ベースで30兆円にのぼったと推測する。時価が簿価の10%とすると、時価では3兆円の取引が成立したことになる。処分された債権は破綻先と実質破綻先が中心。破綻懸念先や要注意先の債権は、簿価ベースで5000億円程度にとどまる模様だ。
マクドナー・ニューヨーク連銀総裁は、2002年3月26日ワシントンでの講演で「理論的に見てだが」と断りながら、「ドルは若干過大評価されている可能性がある」と語った。グリーンスパンFRB議長は、「最近のようなドル高が進むと、米企業の輸出競争力は低下する。雇用市場に与える影響という点ではマイナスだ」、と述べている。為替についての発言が揺れるので信認を失っていたオニール財務長官は、すでに「強いドル米国の利益」と語らなくなった。米国の為替政策は2002年3月の時点で、「強いドル」路線から転換期を迎えていたことになる。当時の円相場は1ドル130円台前半。米当局の真意を読めないエコノミストたちが、「140円」の円安見通しを唱える側からドルの上値は重くなり、円やユーロは対ドルでじりじりと上昇した。ドル相場が下げに向かった背景は、いくつかある。
- ドル高による米企業の輸出競争力の低下であり、経常赤字の拡大である。
- 米国金融・企業部門の揺らぎ、相次ぐ不正経理の発覚で信頼が失墜し、ドルが売られた。
- 欧州単一通貨・ユーロの高騰である。
95年1月に就任したルービン財務長官は、米国内外の生産性(競争力)格差を利用して、海外から投資資金を呼び寄せ、米経済の持続的な成長を促そうという作戦だった。この作戦は見事に成功し、米国経済は10年に及ぶ成長を謳歌したが、大きな副作用を残した。4000億ドルにのぼる経常赤字と、2001年末で2兆ドルを突破した対外純債務である。この調子でいけば、米経済は毎日20億ドルの資金を海外から集めなければ回らなくなる。ドル高の是正は早晩避けられない課題だったと言っても良い。
アメリカ国務省内にコピーが回っている。「小泉政権は末期に近づいている模様である。このため、われわれは政策の重点が多少変わる可能性を考え始めた」、と指摘するリポートである。「アングロ・サクソン国民がシェークスピア劇を鑑賞するのと同じような観点から、日本国民は政治を観ている」。このことは、小泉改革に重要な視点を提供する。株式市場参加者は希望を託したが、結局政策を主張する音色が少し変っただけだった。「演出と俳優は変ったが、その他は変らなかった」。
2002年1月にブッシュ政権に近いシンクタンク、アメリカ・エンタープライズ研究所が、「日本の金融システムの債務超過額は1兆ドルに達している」という論文を発表している。金融システムが崩壊した場合、政府・日銀は1兆ドルの財政資金を投入する必要があると指摘したうえで、財政赤字の拡大と政府のデフォルト(債務不履行)、円の暴落が起こる可能性に言及している。日本は「極東のアルゼンチン」になりかねない、というのが2002年初めの米英におけるメディアの論調だった。その認識が2002年秋になって強まりこそすれ、弱まったとは思えない。日本は長期的な衰亡の道から逃れることができるだろうか。バブル崩壊後の日本では自国経済に自信を失ったためか、賢者たちは再び海外にモデルを求めるようになった。規制緩和による高成長を達成したモデルとして、まずニュージランドやアイルランドが取り上げられ、次いで米国が情報技術(IT)革命に成功したと見るや、米国が経済モデルとして脚光を浴びた。さらにITバブルが崩壊すると、仕事の分かち合いを意味するワークシェアリングが流行語となり、この面で成功したとされるオランダがモデルとなった。つぎはぎだらけのモデルを求めた人たちは恥ずかしくないのだろうか。
バブル崩壊後10年余り、肝心のことが素通りされてきた。銀行経営を刷新して過去とのしがらみを断ち、“産業と金融の一体再生”を図ることがその課題だ。もちろん、金融再生の大手術に乗り出すからには、財政、金融面からの景気の底割れを防ぐ努力が欠かせない。国を挙げた包括的な経済立て直しが不可欠なのである。もちろん、不良債権の背後には資産デフレと一般物価のデフレがあるが、日本が付加価値を生み出す力が弱くなってきたという冷厳な現実がある。突き詰めたところ、企業は付加価値を生み出すことを目的とする経済主体なのであり、付加価値を生めない産業に一時的なカンフル注射を売っても効果は持続しない。日本の困難は、冷戦の崩壊を機にオセロゲームの白石が黒石にひっくり返るように、従来の強みが弱みになってしまったことに由来する。しかも、企業組織という結節点が機能不全を起こしていることで、国民の意識もバラバラになってしまった。それでも、高度成長期を知っている企業のトップたちや指導者たちは、成長復活の幻想を捨てきれないのかも知れない。韓国型の“金融と産業の一体再生”は復活のための現実的な処方せんだ。痛みを伴わない一発逆転の奇策などない。現在のように見当違いの方向で改革の痛みが増すうちに、国民が再びしゃがむようなら、その先に待ち受けるのは一世紀にわたるアルゼンチン衰亡史の日本版である。何よりも総力戦を戦うには、首相を要とした司令塔が必要となる。いま必要なのは、しがらみに囚われない人材登用と組織の再活性化かもしれない。今や自らの本当の姿を見つめ、動き出さなければならない。それは辛い仕事だが、誰かほかの人がやってくれるわけではないし、目を背けていれば病根が消えてなくなるものではない。かつて重力のない架空の島であるロードス島で、何百メートルも飛び上がるのを自慢したほら吹きたちに、哲学者のヘーゲルは言い放った。「ここがロードスだ。ここで跳べ」。そう、ロードスはこの日本なのだ。
以上が本書の概要である。非常に示唆の富んだ有益な本であると言える。本書のなかでも示されているが、小泉内閣は死に体だ。早々と亀井静香氏が首相選に名乗りをあげているが、もし彼が総理大臣になった場合、どのような手腕を発揮するかは未知数である。日本国民ももっと勉強して、自分達として国にどのような協力ができるかを真剣に考えなければならない。地元が潤うために代議士を担ぎだしていては、日本はよくならない。しかも、右肩上がりの環境で作り上げた制度はすべてが裏目になって出てきた。例えば、90年のピーク時の税収は約61兆円、2003年の税収予定は約41兆円、20兆円の開きがある。その原因は、所得税、法人税収入の減少である。税収20兆円は消費税に換算すると10%分である。現在の5%をプラスすると、15%の消費税を取って90年の税収と同じとなる。消費税導入は好むと好まざるにかかわらず、導入せざるを得ない状況にあることは避けて通れないであろう。生命保険、年金など、保険などの利回りも、高度成長期の利率では回らない。東証1部に上場されている企業数は約1500社であるが、バブル崩壊が始まった1990年1月に比べ、現在の株価の方が高い企業はわずか53社に過ぎない。その53社の特徴は一言で言えば独自性があるということだ。製薬企業でいえば、武田、山之内、エーザイ、藤沢、の4社は90年1月より株価は現在の方が高い。
企業もグローバル化の中で、自社の独自性を発揮していかなければ利益もでないし、競合企業に勝つことも不可能である。日本国家も日本企業も変らなければ、日本は途上国に転落してしまうであろう。
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