医療の特徴は、不特定多数の人に利益をもたらす公益性をもっていることと、サービス業であることである。この2つの側面をもった業種は、実はあまりない。医療・介護・福祉・教育・保育がその代表である。残念ながら最近の新聞報道を見るまでもなく、医療に対する不信はきわめて強くなってしまった。この不信を拭う解決策は何か。意外かもしれないが、私はこの解決策がマーケティング思考だと考えている。もともとマーケティングというのは生産者と消費者をつなぐ学問であり、手法なのである。だから、医療機関に勤務する人にはマーケティングを基にした考え方が必須だと思う。マーケティングの良い例が、医療機関の選択である。日本のような自由主義国家では、自己決定の権利が非常に重視されている。良い医療を受けるためにいろいろ考え、選択する権利と言えよう。
本書の構成は、第1章:「日本での医者選び」、第2章:「情報化社会の医者選び」、第3章:「マーケティングとは何か」、第4章:「医療にマーケティングがなぜ必要なのか」、第5章:「現代の医療がかかえる問題点」、第6章:「米国での医療マーケティング」、第7章:「日本の医療にもマーケティング思考を」、第8章:「マーケティング戦略で医療改革を乗り切る」、第9章:「患者満足度を高めるために」、第10章:「新しい医師・患者関係を求めて」となっている。
最近、医療界では「キュアからケアへ」というキーワードが使われることが多い。具体的には、「根治的治療(キュア)から日常生活の質を向上させる看護・介護へ」のシフトであり、「医師を頂点としたヒエラルキー型のサービス提供体制から医師・看護者・リハビリ・介護・ソーシャルワーカーなどによるグループケア」へのシフトでもある。そしてなによりも、医療提供者中心から患者中心への変化である。東京都が行った保健医療に関する世論調査(都内の満20歳以上の男女2200人を対象)によると、医院や診療所・病院で入手する情報を含めて、保険や医療に関する情報は足りていると思うかと聞いたところ、「足りている」46.8%に対して、「あまり足りていない」を含めた「足りていない」は52.6%と半数強を占めた。この足りていないと答えた人を対象に、何が不足していると思うかを聞いたところ、「どこにどのような医療機関があるかの情報」、「病気の症状や予防・治療に関する情報」、そして「薬の効能、副作用や服用方法等についての情報」が特に高い比率であった。
医療における消費者とサービス提供者の間には、かなり考え方の違いがある。これをどう埋めていくかを考えていくには、マーケティングとは何かをおさえて、それが医療とどうかかわるのかを考えていこう。マーケティングの教祖的なシカゴにあるノースウエスタン大学教授のフィリップ・コトラーは、「マーケティングとは、製品と価値を生み出して他者と交換することによって、個人や団体が必要なものや欲しいものを手にいれるために利用する社会上・経営上のプロセス」と考えている。1990年にJMA(日本マーケティング協会)が発表した新しい定義によると、「マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である」としている。
1950年ごろ、4Pというマーケティングミックスの考え方が始まった。4Pとは、商品(Product)、価格付け(Price)、流通(Place)、販売促進(Promotion)のことだ。その後1990年代になって、情報革命がマーケティングにも影響を与え出した。このころから4Pに変わり4C、すなわち、顧客価値(Customer Value)、顧客が払っても良いと考える対価(Cost)、利便性(Convenience)、コミュニケーション(Communication)といった顧客志向が強まり、双方向性、学習に基づいたワン・トゥ・ワン・マーケティングという考え方が出てきた。
その他、健康を扱う公衆衛生の領域ではソーシャルマーケティングという考え方が普及してきている。コトラーは、「ソーシャルマーケティングとは、人々の考えや習慣を変革するプログラムを企画し、実施し、管理するためのマネージメント技術であり、伝統的な企業マーケティングからのパラダイム変換をめざすもの」と考えている。ソーシャルマーケティングでは6Pが提案される。
- プロダクツ(Products):政府や公共事業体が標的採用者に提供する製品で、例えば物質的なものに限らずサービスの質、特性、パッケージ、ブランドや安心を含む保証などといった社会的プロダクツのこと。ここで市場の適合性の決定を行う。
- 価格(Price):標的採用者が負担するコスト。あるいは、公共サービスに対する生活者の投資(ソーシャル・インベストメント)、税金など。
- 場所・流通チャネル(Place):プロダクトが標的採用者に採用されるための場面、流通経路、サービスの拠点。
- プロモーション(Promotion):広報、広告、営業宣伝員などによる販売促進。これにはマス・コミュニケーシヨン、人的コミュニケーション、インセンテブ(誘因)などがある。
- パートナーシップ(Partnerships):マーケターは個人、グループ、ボランティア、NPOやユニセフなどの国連機関、環境省、厚生労働省、文部省などの公共セクター、企業、公共広告機構など、同じ社会目的、アイデア、行動をもつ潜在的パートナーシップを調べ、協働作用を発揮できる関係を成立させる技術を必要とする。
- ポリシー・基本的な考え方(Policy):公共の福祉を考え、人々の健康的で快適な社会を築くという大前提を共有して、さまざまな社会問題を解決すべく、コミュニティや社会全体の認知、態度、動機、行動を改革させる。それは、共通の目的を確認し計画される。
このように、公共的なものにもマーケティング思考が広がってきているのが大きな流れと言える。
ブランド戦略は、今やマーケティングの世界では極めて重要な研究テーマになっている。しかしながら、医療の世界ではブランドに対する認識は極めて薄い。経営学者 野中郁次郎氏によれば、ブランドとはある製品やサービス、それらを提供する知識について顧客と企業が共有する知識であるという。米国では、企業株式の時価総額のうちブランドなどを含めた無形資産が7割を占めるという。製薬企業においては、従来ブランドというものについての認識が乏しかった。これは国内メーカーに顕著である。また、認識があったとしても、プロモーション対象が医師であったために、コーポレート・ブランドより製品ブランドに重きがおかれていた。最近のブランド研究では、コーポレート・ブランドは社員の意識の求心力にもなる。
医療機関では、医師が無形のサービスを提供するだけでなく、医薬品というモノを患者に提供して医薬品などの機能を交換する側面も持っているからである。医薬品自体はモノであるが、この医薬品の交換という部分でも医薬品をモノとしてとらえる視点より信頼財として考える視点が強くなる。これも医療の特徴ではある。医療サービスの本質について結論を出すと、医療サービスは経験を経ても真の価値がわかりにくい信頼財であった。提供されるサービスの多様さが価値のわかりにくさを増強していたが、信頼財としての位置は同じである。すなわち医療サービスは特殊な財ではなかったかと言える。そして、最近では疾病構造の変化により、一部のサービスについては経験財・探索財に移行している。これは、消費者にとって医療がわかりやすくなったことを示す。
消費者のニーズをどう解釈するか。消費者である患者にはニーズがあるはずだ。マーケティングではそれを浮き彫りにする商品分類がある。ニーズに対応した商品は、次の3つに分けられる。
- 変化ギャップ対応型――A:生活形態の変化、B:生活意識の変化に対応
- 消費者横断型商品開発――A:他商品機能移植型、B:技術・素材移転型、C:他ユーザーニーズの移転、D:無視された機能の見直し
- シーズからの開発(かならずしも消費者の状況からではなく、研究者からの発想による開発)
(1)は医薬品の世界では、脱毛症対応のリアップといったQOL対応型製品が代表だ。このようなものは従来、医薬品とはなかなか考えられてこなかった。(2)はバイアグラ(もともとは心臓用)、ロゲイン(もともとは高血圧治療薬)がこれに当たる。これまでの医療(特に医薬品)の世界では、(3)のシーズからの開発がほとんどであった。しかし今後は、ニーズからの製品が求められる時代になる。その意味では、常に患者と向き合っている医師や看護師など医療従事者が良い製品アイデアを出す可能性も高い。
次に医療の価格をどう考えるかの問題がある。一般的にサービス業は、製造業に比して効率化が難しいと言われる。それはなぜか。医療をサービス業と考えて分析してみると多くのことがわかる。例えば、思ったような医療を受けることができない、という不満をよく聞く。ただ、気をつけてほしい。商品はお金があれば買うことができるが、サービス商品はお金があっても買うことができないものが多い。しかし、サービス業の良いところもある。それは在庫がないことだ。でも医療機関の場合にはそれが裏目に出ている。なぜなら、医療に多く使う薬剤や医療材料には当然在庫が発生する。こんなところは効率化ができる部分だ。実際、カンバン方式やジャストインタイムで有名なトヨタが経営するトヨタ記念病院では、在庫管理にトヨタの方式を取り入れたという。
日本の医療法は1948年に成立した。本来は医療施設の基準を示したものだが、改正を経て医療の基本法と言えるような状況になっている。現在に至るまで、医療法は4回、大きく改定されているが、第1次医療法改正は85年に行われ病床数が規制された。この直前に駆け込みで増床が行われた。第2次医療法改正は91年に行われた。このときに広告規制の緩和、院内での掲示(診療科目、担当医、担当時間など)が義務付けられた。さらに、第3次医療法改正は97年に行われ、地域医療支援病院が制度化された。そして直近では2001年に第4次医療法改正が行われ、広告規制はさらに緩和され、医師や歯科医師の臨床研修が義務化された。もう一つ、制度的に特記すべき特定療養費制度というものがある。日本の制度は、保険診療は保険診療のみ、自由診療は自由診療のみと支払いが原則的に区分されているところに特徴がある。
日本の対GDP比の医療費は高くない。むしろ、いわゆる先進国であるOECD諸国のなかではもっとも低い部類に入ると言えよう。98年7.32%、アメリカは14.01%である。
日本の医療改革をみると、小泉純一郎首相の諮問機関である経済財政諮問会議は「小さい政府」を志向し、厚生労働省は「大きな政府」志向、医師会と健保組合は思想的にどちらとも言えず、業界の意見を代表している。医師会も健保組合も厚生労働省も、基本的に、経済財政諮問会議の意見に反対である。2003年4月からサラリーマンの本人負担が3割になる。患者の支払う額には限度があるので、あまり自己負担が大きくなると、望むときに医療を受けられない可能性がでてくる。
マーケティングのいちばん重要な点は顧客志向にある。サービスマーケティングではモノ製品と比べたサービス商品の特徴は、
- 無形性
- 生産と消費の同時性:タクシーに乗って移動の場合、タクシーからのサービス生産と顧客のサービス消費は同時に行われる。
- 結果と過程の等価的重要性:過程が重要ということ、治る過程の対応如何である。
- 顧客と共同生産
としている。マーケティング機能は商品を生産から消費にもちこむ機能である。生産者と消費者を結び付けるには、生産者と消費者の出会いの場を提供することと、価格と数量の交渉が必要になる。場合によっては質の交渉も必要になる。言い換えれば、マーケティングは品質が消費者にとって明らかになるような手段を提供しなければならないとも言える。
マーケティング戦略策定は以下の手順で行う。
- 理念を確立
- 適応戦略策定:成長・拡大戦略、集約・撤退戦略、現状維持戦略のどれを選ぶか
- ポジショニング戦略策定:差別化でいくかコスト重視でいくか
- 実行戦略を通しての施行
医療における「真実の瞬間」とは、顧客が企業の提供するサービスに接するときのことである。
- カウンセラー:顧客(患者)の問題点を明確化する
- インフォーマー:サービス提供者が提供できるサービスについての情報提供
- メディエーター:サービス提供者と顧客(患者)の仲介
- プロデューサー:サービス提供プロセスの演出
- アフター:サービス提供の実行
- コンサルタント:顧客(患者)の問題点を解決する
の6つの役割をこなさなければならない。
医者は5者でなければならない。
- 学者(科学的に正しい医療が提供できなければならない)
- 教育者(疾患と治療に対し、患者が理解することを助けなければならない)
- 役者(必要とあれば、患者を相手に怒ったり悲しんだりしなければならない)
- 芸者(ややもすると落ち込む患者の気持ちを明るくしなければならない)
- 易者(患者の病気についてその将来を正確に見立てなければならない)
医療サービスを消費する場合には、消費者にとって3つのポイントがある。それは、コスト(かかる費用)、アクセス(かかりやすさ)、クオリティ(質)の3つである。
以上が本書の内容概要である。最近の日本における医療に対する不信は極めて強くなっている。著者はこの医療不信を解決するには、マーケティング思考が重要だと主張している。だから、医療機関に勤務する人にはマーケティングを基にした考え方が必須だと説く。そして、医療に対する考え方として、経済学的な考え方プラス社会保障の考え方といった柱と、サービス財としての考え方という柱の2本の柱で医療をとらえるべきという考えである。ともかく医療のマーケティングに関する本はほとんどない現状である。
著者は医学博士であり、アメリカのコーネル大学薬理学研究員である。また、イギリスのレスター大学大学院でMBAを取得するなど、海外の医療にも詳しい。医療をグローバルの視点で捉えている。本書の中で次の指摘がある。日本の医師免許制度の問題点は、違反者への処罰が軽いことである。例えば、日本の医師の3倍弱である70万人くらいの医師がいる米国では、年間の免許取り消しは1600件、免許停止は7000件にのぼるという。日本では取り消しは数件、停止も40件程度である。最近のマスコミ報道を見ても、日本の医師が米国医師に対し、特にモラルが高いとは考えにくい。明確な基準をもって適切な判断を行うべきであろう、と述べている。
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