本書は月刊「経kei」の2001年11月号〜02年12月号に「グローバル経済の本質」として連載された原稿に加筆修正を施し、新たな書き下ろし原稿を加えてまとめたものである。
本書は序章、第1部:第1話から第3話、第2部:第4話から第6話、第3部:第7話から第9話、第4部:第10話から第12話、そして最終章という構成になっている。
私たちが日常生活しているローカルな経済は、さまざまな意味でグローバルな世界とつながっている。国際経済の動きが私たちの周りの経済に及ぼす影響を理解することは、日本経済を理解することにもつながる。ローカル経済とグローバル経済、この2つを切り口に経済の動きについて考えてみたい。
90年代以降、アメリカの産業は見事な復活を遂げた。しかし、それはかっての鉄鋼、自動車などの分野ではない。マイクロソフト、インテル、シスコシステムズなど、それまで名前を聞いたこともなかったようなハイテク企業がアメリカ復活のシンボルとなった。そうした企業の多くが本拠地を置くカリフォルニアのシリコンバレーは、強いアメリカ産業の象徴となったのだ。
日本の政府が発行している債券である長期国債の最近の評価は、主要先進国のなかでは最も低いレベルとなっている。それどころか、パレスチナ問題で揺れているイスラエル並み、アフリカのボツワナ以下の評価しかされていないという。
2002年3月、大手スーパーの西友が世界最大の小売業である米ウォルマートの資本参加を受け入れると発表したことで、業界全体に大きな衝撃がはしった。西友といえば、ダイエー、イトーヨーカ堂、旧ジャスコ(現イオングループ)、マイカルなどと並び、戦後日本の小売業の成長を支えてきた存在である。セゾングループが抱えてきた巨額の債務負担から脱することが、西友の重要な経営課題となっていた。マイカルが破綻し、ダイエーが厳しい状況にさらされているなかで、大手スーパー業界は生き残りをかけて厳しい競争を繰り広げている。イトーヨーカ堂とイオングループが先行するなかで、西友の行方が注目されていた矢先のことであった。
日本は急速に高齢化している。いま、工場で一生懸命に汗を流して仕事をしている30代の労働者は、20年後には50代になる。だが、それを受け継ぐ若者の数は減少している。こうした人口構造の変化のなかで、現在の規模の製造業雇用を支えることは不可能である。高齢化に向かう日本経済にとって近隣の国々の成長は、実は有利な経済環境を提供してくれているのだ。これらの国の若い労働者に汗を流す仕事を一部引き受けてもらい、日本はより付加価値の高い分野にシフトしていくのである。こうした動きは、欧米の主要先進国では常識的なものとなっている。製造業がスリム化せざるを得ないのは、産業社会の大きな動きによるものだ。非常に乱暴な言い方をすれば、先進工業国の社会はモノ重視の経済から情報やサービス中心の経済に大きく変わろうとしている。規格・大量生産型で労働集約的な製品をいくら生産しても、そこから生み出される付加価値は大きくない。ITの進歩は、あっという間にインターネットの世界をつくり上げてしまった。そのインターネットも、いまやブロードバンドに接続している回線の数は、2000年末には3000回線しかないと言われていたが、2003年内には1000万回線になるという予測まで出ている。情報革命はインターネットの普及にとどまらない。遺伝子の情報さえもコンピュータで解析される時代だ。こうした技術が医療・食品の世界に及ぼす影響には計り知れないものがある。
中国が急速な勢いで成長している。そうしたなかで、世界の企業が中国への直接投資に強い関心をもっている。直接投資とは、現地での生産や販売を目的とした海外企業による投資のことだ。中国の潤沢で低廉な労働力、技術力の高いエンジニアの充実、そして無限の可能性を秘めた巨大な国内市場は、多くの企業にとって魅力的な存在である。実は、日本から中国に向けての直接投資は意外と多くない。中国国際投資促進網のホームページの資料によると、2000年度における中国への直接投資のシェア(実行ベース)では香港が38%で圧倒的なシェアを誇るが、日本は7.2%で約11%のシェアを占めるアメリカやEU諸国に比べて相当小さい。逆に海外から日本に入ってくる直接投資は極端に少ない。経済産業省の資料によると、日本はGDP比わずか1.2%にすぎない。アメリカ27.2%、イギリス33.7%、フランス54.2%である。それは、エネルギー価格や地価に代表される日本国内の高コスト構造、海外の人にとって住みにくい生活環境、投資を抑制するような諸処の規制などである。アメリカや欧州のような先進工業国でも、州政府などの自治体は自分のところに海外の工場を呼び込もうとさまざまな誘致策を講じている。残念ながら、日本の地方自治体が大規模な外資系企業の誘致に成功したと言う話はあまり聞いたことがない。
外資系企業の日本市場参入ということで最近注目されたケースが、中外製薬とロシュとの提携である。2001年12月、中外製薬の株式の過半数を引き受けることによって、同社を傘下に収めた。バイオ技術などの進歩もあって、医薬品業界では巨大規模の研究開発合戦が繰り広げられている。医薬品開発に必要な研究資金は急速に膨れあがっており、研究開発競争に生き残るためには、世界レベルで市場を制するような企業規模が必要になってきている。今後、世界的な規模で医療の規制緩和や技術革新が進んでいけば、日本市場を守ることで生き残るのさえ難しくなってくるかもしれない。
為替レートの動きは、世界的な規模の資金の流れによって支配されている。ケインズは、外国為替市場の動きを「美人投票」というゲームに例えた。壇上に番号札をつけた女性に何人か並んでもらう。ゲーム参加者はこのなかから一番美人であると思う番号へ記名投票する。投票結果を集計して、一番多くの票が集まった女性に票を投じた人に賞金が出るというゲームである。このゲームの勝者は、票を一番多く集めた女性ではなく、その女性に投票したゲーム参加者である。さて、ゲームに参加して賞金を得るにはどうしたらよいだろうか。自分が美人と思う人に投票するのではなく、他のゲーム参加者が美人と思うだろう人に投票しなくてはいけない。さらに深読みすれば、ゲーム参加者の多くが他の人がどのような人を美人と考えるかという点についてどう考えているかを想像しなくてはいけない。参加者はお互いの心を読み合うのである。こうしたゲームを日々行っているのが、外国為替市場におけるマネーゲームである。
経済のグローバル化は一国の経済や国民の生活に多様な影響を及ぼす。南北格差(先進工業国のことを「北」と言い、発展途上国のことを「南」と言う)という観点で見ても、格差を縮めるような動きもあれば、格差を広げるような影響もあるのだ。グローバル化が進んでいる現在は明らかに「都市の時代」になっている。ヒト・モノ・カネ・企業・情報が国境を越えて動く時代に、国境のもつ意味は相対的に小さくなっている。一国内の経済活動や制度を海外の動きから遮断することが、非常に難しくなっているのだ。この点は重要なことであるが、グローバル化とはローカル性が喪失することではない。それどころか、グローバル化が進むほど、文化や生活に支えられているローカルな部分が重要になってくるのである。ただ、日本や欧米のような先進工業国の場合には、国家や宗教などよりも、生活圏である都市がローカルな部分の重要な要素となってきているのだ。
日本の空港には国家的な戦略というものが見られない。成田空港はハブ空港としての体をなしていないのだ。関西国際空港はハブ空港として機能を果しうるが、よく知られているように発着料が高すぎる。そうしたなかでこの狭い国土に100を超える国内空港が建設されているのだ。東京という世界有数の大都市が国際競争力をつけるためには、利用しやすい国際空港が必須である。
この10年から20年の動きを振り返ってみても、グローバル化が社会をどれだけ変えているかわかるはずだ。中国からこれだけ多くの商品が入ってくるようになったのはごく最近の現象だ。欧米の一流ブランドの店が銀座や原宿の街を埋め尽くすようになったのも最近のことではないだろうか。企業は生き残りをかけて海外企業と提携や合併を繰り返している。10社以上ある日本の自動車メーカーでも、外資系の傘下に入っていないのはトヨタとホンダぐらいである。日本人の海外旅行者の数は毎年確実に増加しており、世界のどこで事故が起きても日本人が巻き込まれている。インターネットの普及は世界の情報システムを一体化させ、フイリピンのコンピュータマニアが作成したコンピュータウイルスが瞬く間に世界中に広がってしまう。
市場経済の実態が複雑になるなかで、国境を越えた経済活動も複雑にならざるを得ない。もはや国際経済社会の動きを無視して、国内の経済問題を論ずることは不可能になっている。国内市場が世界の動きと連動しているということが、現代のグローバル化の実態なのである。
市場経済について洞察の深い分析を行い、ノーベル経済学賞を受賞したドイツの経済学者ハイエクは、市場メカニズムについて次のような考え方を展開している。「意識的な方向付け(制度をつくること)をうるさく言う人――すなわち、立案なしに生成したもの(そしてそのメカニズムさえ理解できないもの)が、私たちが意識的に解決できない問題を解決できるなんて信じられないという人――は、次のことを考えるべきだ。重要な問題は極少数の人の意識のコントロールの範囲を越えて資源を利用するということなのだ。…私たちがここで直面している問題は、決して経済学にだけ特有なものではない。言語や私たちの文化的継承の多くもそうした現象である。…文明は、私たちがそれ(の全体像)について(意識的に)考えることなく行える活動の範囲を広げていくことで進歩していくものなのである」。言語なくしては社会生活が成り立たないように、市場経済なくして経済社会を運営することは難しい。仮に、政治的に規制や管理で市場経済を封じ込めようとしても、所詮は歪んだ形での市場経済の支配を受けるだけである。少数の人間の知恵だけで管理したり封じ込めたりすることができない存在だからこそ、市場メカニズムは私たちの社会の資源を私たちの意識を越えたところまで広げているのだ。私たちに求められるのは、市場経済の猛威から一人ひとりの個人を守る仕組みを構築するとともに、市場の活力を最大限に利用する方向に動くことである。
以上が本書の概要である。本書で強調されているように、グローバル経済の動きはわれわれに多大な影響を与えている。日本におけるデフレもこのグローバル化経済ゆえに起きていると言える。その日本国家は本書でも指摘されているように、あらゆる面で大きく遅れをとっている。例えば、小泉首相は外国から日本への投資を2008年に13兆円にすると言うが、現在、日本への外国勢の投資はGDP比わずか1.2%でしかない。フランスの54.2%、イギリスの33.7%などと比較してもあまりにも低すぎる。低い原因の解決なくして外国勢を呼び込むことは不可能である。ハブ空港にしても日本では大阪の国際空港だけとはいかにも寂しいし、そのハブ空港も発着料金が高すぎる欠点を持っている。あらゆる面で我が国を見ると、日本政府に大きなビジョンを打ち出す能力がないということもあるが、日本国民の無理解やエゴから来ているとも言える。成田空港も中途半端であるし、この狭い日本に100を超す空港があったりするのも、選挙のときの票ばかり気にして狭い考え方から脱却できない政治家と選挙民に問題ありである。国全体を考えないから魅力ある国ができないとも言える。本書にある「国際会議開催件数の主要都市比較表」をみても2001年度で東京は33位である。トップはパリ、第2位はロンドン、日本はパリの開催件数と比較すると5分の1に過ぎない。韓国のソウルは東京の2.3倍である。「群盲、象を撫ず」の思考では未来の日本はないと言える。
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