経営の正解は1つではない。企業というものは企業の数だけ顔も姿も違う。つまり解決しなければならない問題が違う。問題が違えば答えは違ってくる。いま日本が気づいたことは、80年代にアメリカが後退した本当の理由である。アメリカは脱工業化社会、ポスト工業化社会の苦しみを舐めていたのであり、その苦しみを乗り越えた姿が情報と金融サービスに偏向して甦ったいまのアメリカの姿だ。キャッチアップの時代を終えた日本も、工業化社会から知識情報産業化時代に入った。値段と品質の勝負から“何をつくるか”、“何を付加価値とするか”、“どんなハイタッチを提供できるか”が戦場になった。ただモノをつくればよい時代から、モノにどんな衣装を着せ、どんな楽しみ・癒しの効果を演出するかの時代に入った。それがソフトの時代、ハートワークの時代である。別の言葉で表現すれば、“モノではかれる時代”から“ハートではかる(顧客満足度)時代”になった。
東京オリンピック当時、世界無敵の日本女子バレーボールチームは“東洋の魔女”と呼ばれた。確かに、日本の女子バレーボールチームにはガンバリズムもあったし、根性もあった。だから、オリンピックでも金メダルが取れたが、現在までを視野に入れると史上最強のチームとは言えない。その理由は、簡単。当時は世界にプレーヤーが少なく、世界的な競争状態になかった。最強はソ連一国で、キューバも、ブラジルも、中国も、韓国もまだまだレベルが低かった。アメリカなど、バレーボールに関心がなかった。その日本の強かった分野に次々とプレーヤーが現れた。それが世界総資本主義化の時代、世界大競争時代。日本がいま悩まされているデフレの正体もこの世界大競争時代の産物で、こらからまだまだ世界的なデフレが進行する。デフレと言うより“国際的な価格標準化の動き”といった方が正確だが、世界中から安い食品、安い衣料、安い家電製品がぞくぞく入ってくる。世界的大競争に参加するプレーヤーが増えたことで、日本の製造業が苦境に陥った。いまパソコンのトップは中国、あるいは台湾だろう。造船、鉄鋼、半導体では、韓国が日本にもう半分勝っている。韓国企業の成功者の方程式は面白い。いわばオリンピックと同じ方式で挑んでくる。西欧諸国に勝てない競技には選手を派遣せず、日本との争いになりそうな種目ばかりを集中的に狙ってくる。冬季オリンピックのスケートでは、長距離よりはショートトラックに絞ってくる。日本人と同じような体格だし、日本に勝てそうな種目に戦略的に人とお金を投入する。目標は日本。日本に追いつけ、追い越せと頑張ってここまできた。
日本の優良企業もアメリカの優良企業も自前の経営仮説、つまりオリジナルの儲ける仕組をきちんと持っているところは強い。そのことで優良企業であり続け、結果として従業員と株主を大事にしている。日本が採るべき戦略は何かということになる。勝てない理由は、新しいビジネスモデルがつくられていないことにある。いまトヨタ、ホンダ、ソニー、キャノン、信越化学、武田薬品といった企業が勝ち組になっているが、こうした企業は自社だけのビジネスモデルをさっさと構築した企業だ。第2の復活ポイントは、生産者優位の幻想を捨て、需要創造能力を身につけることである。
ベネチアの衰退は繁栄に奢った結果ではない。大航海時代がはじまって喜望峰を経由するアジア貿易が盛んになり、地中海貿易に依拠するベネチアの優位性がなくなってしまった。構造変化の時代にプロセス改良ではもう追いかけられない。いまは、2番手主義は機能しなくなってしまった。経済の成熟とは必要なものがどんどんなくなっていくという裏面をもつから、経済成熟の加速は商品のブランドを短命にしていく。だから商品ブランドはいつか死ぬし、経済成熟時代には企業ブランドが大事になってくる。
大企業、名門企業が相次いで倒産していく。その浮沈の激しさを見て、2つのことを認識して欲しい。企業は時代適応業であること、時代に適応しない企業はつぶれるということ。そして難しいことに、時代に過剰適応し過ぎるとその成功に復讐される。
日米の企業比較論として、日本企業は長期発想でアメリカ企業は短期発想と言われ、これも日本的経営とアメリカ的経営の違いの1つともされた。しかし、そのどちらも正解ではないし、特に日本企業は長期発想が強いというのは半分フィクションである。10年という長期にわたって日本企業は収益が落ちていることこそ、その証拠だ。バブル崩壊後、日本企業は長期発想をしていたのではなく、実は問題の先送りをしていた。そして10年にわたって収益が落ち続けていることは、従来型の経営の仮説、ビジネスモデルが通用しなくなった証明以外の何ものでもない。ポスト工業化社会=知識情報産業化時代に入ると、長期発想はもっと難しくなる。何しろ一寸先が読めない時代だから、10年、20年スパンの長期計画はどんどん修正が必要になり、短期の計画でいくしかなくなってしまった。
渋谷のビットバレーが失敗した理由は、ITという名前を出せば、いくらでも化けられて、事業計画も技術もないのに、アメリカのウォール街資本主義よろしく株式上場計画を目論んだところがつぶれただけの話である。彼らはビジネス計画ではなく、株や上場計画をつくっていただけ。IT時代、デジタル革命に関して、まず言っておきたいことが2つある。1つは、盛んに取り沙汰されているデジタルデバイドだ。中高年に“デジタルデバイド症候群”が蔓延しているようだが、デジタルデバイドなど生じない。中高年に言いたい。英語とパソコン、インターネットは必須と言うけれど、デジタルデバイドは企業が中高年を追い出したいために言っているだけのことだ。デジタルデバイドが生じない理由は明確だ。ITはしょせん道具であり、それを使いこなすのは人間の知恵。デジタルデバイドが大問題になるとすれば、ファミコン・ボーイが最も優秀な世代ということになる。考えればすぐ分かるように、そんなことは絶対ないし、かつてジャック・ウエルチなど、eメールは嫌いだと公言していた。ITを使って何をやるかは人間の知恵の勝負であり、だからこそ私はハートワークの時代と言っている。英語も同じだ。英語のできることがビジネス必勝の資格なら、米国の移民地だったフィリピンがアジアをリードしていなければならないが、現実は一番遅れている。とは言え、英語が不必要というのではない。グローバル化する経済シーンで活躍するために道具としての英語は必要だし、身につけておいて損はない。その英語を活かせるか活かせないかは、その人の知恵、器量、教養にかかってくる。
これからの時代、長所をどう出していくか、得意な分野を発見してどう勝負しておくかが企業の大きなポイントになる。これが選択と集中である。
エコノミック・アニマルと揶揄されながら、日本全体として儲けることが下手になってきた。だから、いま日本の企業は困っている。大阪がだめになった理由はいくつもあるが、第1に繊維、金融、商社、証券、食品などのしたたかな企業、強い経済力を持つ企業がみな東京にいったことがある。東レ、伊藤忠、住友商事、野村證券、大和證券、UFJ銀行になった旧三和銀行、三井住友銀行になった旧住友銀行、サントリー、ハウス食品など、みな儲かる東京にシフトした。保険のガリバー・日本生命など実質、東京が本社のようなもの。大阪が弱くなったのではなく、大阪の強い企業が東京に出てしまった。日本の強い企業が海外進出して現地生産に踏み切り、体力のない弱い企業が国内に残った構造と全く同じだ。第2に、製造業でも大阪は重厚長大型とその系列の中小企業が中心だったことがある。東大阪あたりに小粒だがすばらしいオンリーワン企業はあるものの、やはり下請けが多い。工業化社会に最適応した産業構造だったために、知識情報化社会に移行してからもITという新しい産業が育たなかった。おまけに家電関連産業の海外への移転。かつて新しいビジネスは大阪発が多かったが、いま大阪発の新しいビジネスはない。第3が、大阪は値切りがうまいと言われたが、一番うまいのは無形のものに対する値切りだった。うまいと言うより、うますぎて失敗した。大阪では、情報、デザイン、アイデアといった無形のものは限りなくタダに近いと考えている。勉強やセンスをみがくというコストがかかっていることを認めない。だから例えば、第一線のデザイナーは大阪では活躍の場がないから、東京で活躍している。もっとはっきり言えば東京の方が値段が高いからである。3年前にオープンしたUSJも、ちょっと儲かり出したら変なところで値切ろうとした。モノ不足の時代であれば許容範囲だった事柄も、いまはもう許容範囲ではない。
厚生労働省によると、役員を除く約5000万人の雇用労働者のうちの約3割、数にしてほぼ1500万人がパートタイマーや派遣社員、それにアルバイトなどで占められている現実がある。そのうちパートタイマーは740万人、派遣社員(契約社員・嘱託などを含む)は405万人になっている。ワークシェアリングでオランダに見習え、という声もある。しかし、オランダとちがって、日本は1億2000万人だから事情が全く違う。日本のサラリーマンが日本型のワークシェアリングで生きていくためには、もうちょっと製造業に勝ってもらわないといけないし、もうちょっと経済繁栄してもらわないといけない。資源のない、食糧自給率の低い日本は、貿易赤字を出すわけにはいかない。日本が狙うべき道は、製造業が成熟してしまったヨーロッパと金融資本主義で突っ走るアメリカの中間。日本人の好きな中庸。これが実現できればまだ生き延びられるが、世界的な高賃金体質は改善せざるを得ない。最近になってやっとストップしたが、デフレ下のベースアップをしていたのは日本だけ。「これから20%賃金ダウンして雇用を守りましょう」という会社も出てくる。ともあれ日本では正社員の数は確実に減り、パートタイマーの重要度が増す。
以上が本書の概要である。著者があとがきで述べているが、大量生産、大量販売の画一的な工業化時代と違って、知恵を競うソフト会社の勝利の方程式は、千差万別、十人十色である。すなわち、現在は刺激的で面白い時代であるということである。第1章のはじめに書かれているように東京オリンピック当時の女子バレーボールチームの金メタルは、大いに価値あるものであるが、当時のオリンピックに女子バレーチームとして参加する国が少なかったことは、ある程度、日本の全産業にあてはまることで、国内のみで考えておればよかったのである。自動車産業、金融・証券など全てがそうであった。医薬品産業などは外資系が製剤をもって、日本企業に売ってもらっていたわけであるから、こんな良き時代はなかったということである。今日は「グローバル化時代」と言われるように、競争の土俵がまるで違うということである。しかも工業化社会から知識産業時代に変わってきているのであるから、いままでの延長線上のやり方ではうまくいくはずがない。本書が示しているように、だからこそ面白いということになる。新しい発想で、新しいビジネスモデルを構築することである。2番手商法がうまくいかない時代なのである。
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