柳下公一氏は1958年東京大学卒業後、武田薬品に入社。人事部長、常務取締役、専務取締役などを歴任。現在、人事コンサルタントとして活躍中。
2003年の春闘では、ベースアップはおろか定期昇給見直しにまで切り込む企業が続出し、50年来の日本の労使慣行が大きく変わろうとしている。そして、そのいずれのケースでも「成果主義を徹底することにより…」と必ず解説される。正しい方向に動きだしたと考えている。しかし、肝心の成果主義が日本企業に定着するまでに、まだ相当時間がかかるようだ。成果主義は組織風土、あるいは、従業員意識の根幹にかかわるものであり、古い価値観を根底から変えることにつながる。成果主義がうまく機能するためには、こと仕事に関して、上司と部下とが対等な立場で対話できなければならないと考えている。
本書はプロローグに始まり、12章の構成とエピローグで閉じている。
武田薬品で制度改定が労働組合にも受け入れられ、全社員対象に1997年4月、新制度がスタートした。そんな時期、大きなショックを受ける出来事があった。98年4月22日のNHKのテレビ番組「クローズアップ現代」で、成果主義の代表例として取り上げられたときのことだった。関係者一同緊張し、延べ2日間、会社をあげて全面的に取材に協力した。労働組合のアンケートで10%近くあった反対意見も積極的に紹介することにした。ところが、これが裏目に出て、当日の放映では反対意見ばかりが集中的に紹介されてしまった。各地のOB、社員の家族から反応があった。いずれも「なんという会社にするのだ」、「なんて醜い制度だ」と非難囂々であった。それから5年経ち、最近になってようやく用語として定着してきたようだ。
成果主義は一時の流行ではなく、従来の能力主義・職能資格制度に代わる大きな時代の流れになっていくと考えている。10年後には日本での常識になっているはずだ。成果主義は、終戦直後の工員・社員の身分制の撤廃、1970年代職能資格制度の採用と並んで、人事制度面での三大変革になる可能性がある。
1947年、武田薬品を含む製薬7社による、製薬業職務給研究会が実際的検証の結果をとりまとめたのが、戦後初めてのケースである。しかし、これは研究したにとどまり、現実の制度化はなされなかった。やがて60年代に入ると、能力のうち会社が認めるのは「職務遂行能力」だけであるとして能力給を「職能給」に衣替えしていった。この時期、春闘が定例化していった。70年代は日本経済にとって狂瀾怒涛の時代であった。70年代前半の最優先課題は企業体質の強化であった。そのためクリアしなければならない課題は、組織効率の面では重層化・細分化による意思疎通・決定の鈍さをできるだけ簡素でフラットな組織に改め、競争に耐える体質にすることであった。職能資格制度はこの切り札として登場した。
1990年代、成果主義への模索がはじまった。最初の変化は年俸制の採用となって表れた。年俸制の採用は藤沢薬品が早かった。さて、その後の春闘の状況であるが、1991年、バブル期以降、生産性の伸びも低く、生計費の伸びも低くなり、にわかに賃金の決定領域が狭まってきた。さらに98年以降は生産性もダウン、物価もダウンという状況になっている。97年に武田薬品がためらいがちにではあったが、春闘からの離脱・ベア廃止を宣言した。
改革を行い、新しい制度をつくろうとするとき、現在を過去から見るか、未来から見るかによって、大きな違いが生じてくる。10年先でも正確に読もうとすれば難しい。だが、10年先の未来なら、いろいろな仮説を立て真剣に考えれば、何とか読めてくる。武田薬品の「95〜00中期計画」では2005年を想定し、そこから引き戻して2000年の形を考え、あるべき姿と現実とのギャップを埋めるために95年には何をするかということであった。
成果主義は単なる賃金制度の改革ではない。経営トップの自己変革から始まる経営改革そのものにつながると考えている。
- 成果主義は単なる人事制度の改革ではない、経営トップから始める組織風土の改革である。
- 組織の簡素化・機能体への脱皮をはかる。
- 成果を把握する方法を確立する。
- 目標管理を制度改革の中心に!
- 「成果」と「昇進」は別の基準で!
グローバル化、IT化の時代を迎え、企業には現状維持はあり得ず、成長・拡大か、ジリ貧状態になって経営破綻をきたすか、2つに1つの道しかない。
すっきりした組織でなければ目標管理は機能しない――これまでのマネジメントからの脱却をはかろうとするとき、組織の見直しが必須になる。肥大化した組織、重層化した職位の整理統合をはかり、指揮命令系統のシンプルな機能体に生まれ変わることだ。成果主義を導入し目標管理を厳密に行おうとするとき、職能資格制度の下で、処遇中心に肥大化した組織は致命的欠陥になる。原点に戻るためには「この仕事は何のためにしているのか白紙から考えてみること」から始めることである。IT化の進展は、企業の組織、仕事の進め方を大きく変えていく可能性がある。そのとき会社は「人」中心から「職務」中心に考えを変えていかなければならない。
「共同体から機能体へ」とは、93年に武田薬品で「本社部門の簡素化と機能強化」のタスクフォースの中から生まれたスローガンであった。短期業績評価が成果主義の1つの大きな問題であるとされる。短期の業績評価は本質的な生産性の向上を見失う、職場の連帯感が失われる、部下や後輩の育成が軽視される、などが指摘されている。しかし、会社の仕事は半期ごとに決着をつけていく必要があり、その中で働く社員が別の暦で動くわけにはいかない。成果は短期で評価し、長期的な人材育成プランは別にもたなければならない。
成果の大きさとは「“期待する成果”ד期待の達成度”」となる。成果主義を導入・定着させるためには、まず企業が職務に「期待する成果」(アカンタビリティー)を明確にし、その職務を担当する社員が「何をすべきか」をはっきりさせることから始めなければならない。あらかじめ企業が「期待するものは何か」が示されないと、成果を正当に評価することはできない。ヘイ・システム(1943年エドワード・ヘイ氏が始めた)では仕事の大きさ(ジョブサイズ)を3つの視点から測定する。
- まずその職務を遂行するにはどの程度のノウハウを必要とするか。実務的専門的ノウハウ、マネジメント・ノウハウ、対人関係スキルの3要素から、仕事をするうえで必要な知識と経験を問う。実務的専門的ノウハウについては、仕事をするうえで必要な知識・経験・技術・見識等を見る。部下のいない研究の専門職でもノーベル賞クラスの専門知識があれば、その部分が突出して高くでる。研究職についての納得性が高かった。
- 次に、このノウハウをどのように使って、仕事上遭遇する問題を解決するかを見る。その際に、思考の自由度と思考の挑戦度の両面から問題解決の難易度はどうかを測定する。
- 最後に、アカンタビリティー、創出する成果の大きさで、職務遂行に際しての行動の自由度、その職務行為が会社に及ぼす金額的影響の大小、影響は直接か間接かの面を評価する。
武田薬品ではこれをAPS(Accountability & Performance System)として評価制度の骨格にした。アカンタビリティー(A)の遂行はどうであったか、パフォーマンス(P)をみていくシステム(S)で、これを直接給与・賞与に結び付けていくこととした。
成果主義と目標管理とは表裏一体のものである。成果主義に対してなされる批判・誤解の多くは、いま多くの企業で行われている目標管理の弱点を突かれたものと考えることができる。私が提唱する目標管理を成功させるための7つの原則は次のようになる。
- 目標管理は経営幹部から始める
- 目標管理の対象は限定される
- 成果イメージを共有してスタートする
- 客観性より納得性を重視する!
- 絶対評価が人を育てる。「できたか、できなかったか」であって、プロセスは評価の対象にならない
- 目標の適切なレベルを考える
- 一次評定を重視する
武田薬品では幹部社員(非組合員)の賞与の50%強を「業績賞与」として部門利益に連動させている。部門方針の決定に参画できる可能性の高い層ほど、業績への責任も重くする、成功すれば成功報酬も大きいという考え方で、組合員に比し幹部社員の業績賞与のウエイトは高くした。自由裁量の余地のない仕事についての目標はノルマになってしまう。「目標管理は、自己統制・自由裁量の余地の大きい職位でなければやってはいけないのであって、部門長というには、まさにそうした職位ではないか。だからこそやる必要があるのだ」。しかし、評価の要素にはしないが、それ以上に大事なことは「できなかったときこそ、プロセスをよく聞いてやる必要がある」ということである。
アメリカでのコンピテンシーの使い方を見てみると、給与に反映させるものではなく、社内人材育成の有力な手段としてリテンション・マネジメント(優秀な人材の引きとめ策)、サクセッション・プラン(人材育成計画)に組み込んでいる。
昇進・昇格の基準として取り入れてきたコンピテンシー理論は、学んでいるうちにいろいろな使い道があることがわかってきた。(1)採用活動、特にキャリア採用、(2)社内公募、(3)本来の用途である昇進・昇格のアセスメント、(4)コーポレート・オフィサー(執行役員)と(5)取締役の選任基準、それに給与面への適用としては、(6)幹部社員の昇給考課、(7)成果目標を提示するのが適当でない組合員について行動目標として組み立てる、等である。
武田薬品で給与制度を変更したとき、「定期」昇給ではなく「業績」昇給としており、業績によって上がる人も上がらない人も出る仕組みになっている。定期に見直すが定期に上げていく制度ではない。このウエイトが月額制給与のすべてを職務給にした幹部社員(非組合員)では100%であり、組合員については70%とした。
成果主義は給与に差をつけるためのものではなく、まして人件費を抑制するためのものでもない。ただ単に「賃金は成果の対価である(Pay for Performance)」という、言ってみれば当たり前のことを確認するに過ぎないのである。成果主義は時代の流れになっている。今後、業績が好調であるとか不振であるとかにかかわらず、多くの企業に導入されていくことになろう。導入のときが対話の手始めになる。
「今日企業が必要としているのは、社員一人ひとりの責任と権限に広い裁量の範囲を与えることと同時に、彼等の意欲や努力に共通の方向を与え、チームワークを確立し、個人目標と全社共通の利益とを調和させるような経営原理である。これらのことをよく成し遂げられるのは、目標と自己統制とによる管理しかないと考える」
以上が本書の概要である。本書のなかに記述されているが、「武田薬品の成果主義は成功したか?人事制度は生き物で、10年持たせるつもりで設計しても5年もすればどこかに不都合が出てくるもの!ということ。本質を見失うことなく、その都度上手に改定していって、始めて10年もつ制度になりえると考える」、とある。松井証券の松井社長は、「“給料をもらって働く人”と、“働いて給料をもらう人”はまったく違う。前者は会社に従属する奴隷に過ぎないが、後者は主体性をもった“個”だ」、と述べている。この両者を同じに考え、給与に差がないとすれば悪平等になる。人間はその人によって、「知っている、知らない」、「できる、できない」、「人間関係構築が上手、うまくない」といった差は必ず存在する。この個人差によって業績には大きな格差がつくことは歴然である。年功序列から新しい経営のあり方が求められる今日、従来の延長線でいいわけがない。著者は言う。「成果主義は当たり前のことを当たり前にするに過ぎない。とは言うものの、これまでとは違った発想に基づき、制度を構築し、定着させるには相応の労力と時間を必要とするようだ。定着させるまで5年、10年の歳月を要するのかもしれない。しかし思い切ってスタートしない限り何年待っても変化は生じないのだ」、と結んでいる。
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