養老孟司氏は、1962年東京大学医学部卒業。1年のインターンを経て、解剖学教室に入る。1981年東京大学医学部教授。95年に退官。96年北里大学教授。2003年3月退官。現在、東京大学名誉教授。最近出版した『バカの壁』が好評をはくしている。それは、自分が知りたくないことについて自主的に情報を遮断してしまう、このように知らず知らずのうちに自分の周囲に作ってしまうのが“バカの壁”であるという。その養老氏と日下公人氏が、ホテルの一室で長時間にわたって対談してできあがったのが本書である。日下氏曰く、「養老先生と対談して、先生の主戦場である医学の世界や昆虫の世界を想像して楽しい散歩をした。それから、頭の使い方を知っている人は何についても的確な意見を持っていると驚嘆した」と述べている。
本書の構成は、第1章:経済学者を決して信じてはいけない、第2章:“マクロ経済学”はきわめて幼稚な学問である、第3章:脳から見た世界と日本の病状、第4章:日本と世界が抱える問題を解剖学的に診る、第5章:人間に優しい共同体のルールが復活する、第6章:日本共同体が21世紀の世界を救う、の6章構成になっている。なお、どなたが話したかについては、日下公人氏は(K)、養老孟司氏は(Y)、とした。
マクロ経済学はアメリカの大不況の前後に生まれた経済学ですから、需要はいくらでもあったが、金がないという時代の貧乏経済学です。供給過剰の時代となったら、マクロ経済学の理論は通用しません。だから、「エコノミスト」と言われる人たちの予測が当らないのは当然です(K)。お金が兌換券ではなくなったということは、政府が自由にお金を作ることができるということです。お金には何らかの価値の根拠はありませんから、お金がちゃんと通用するためには、使う方と使われ方との共通認識が必要です。つまり、現代社会では、完全に「信用経済」になっているんです(Y)。
このところ、ユーロが最高値を更新しています。現在はドルよりは健全な通貨になっています。そもそもイラク戦争が始まったきっかけも、フセイン大統領が石油の取引を、「今後、ドルではなくユーロで決済することにする」と決めたために、アメリカが怒って戦争になったようです(Y)。
地方に講演に行くと、聴衆は一生懸命に聞いています。だけど、それを商売に結びつけようとはしません。商売に役立つ話より、聴衆が求めているのはもっと崇高な話なんです。なぜかと言うと、「受け売り」をしたいからです。「今日東京から来た有名な人の話を聞いてきたぞ」と周りの人に自慢するためです。そのための仕入れであって、本人の仕入れではありません。私は、「高度情報化社会」というのは嘘だと思っています。そうじゃなくて、「高度受け売り社会」です。一つも身についていない。全部、駄目です(K)。
生き物というのはいろいろな原則をもっていますが、その一つがいらないものはどんどん省略してしまうことです。筋肉も例外ではありません。使わなければ全然発達しないし、どんどん衰えていきます。脳も同じです。アウストロピテクスと呼ばれる最初の猿人の脳は450cc、北京原人が1000cc、現代人の脳は1350ccと肥大化してきました。一番近い霊長類であるチンパンジーの3倍まで人間は脳を大きくしてしまったから、脳を退化させずに使うために、しようがないから頭の中をぐるぐると無駄に回していくことがどうしても必要になりました。神経細胞のやり取りを頭の中だけでやるようになったのです。常にテレビを見たり、ゲームをしたりして刺激を与えています。これが哲学者や数学者となると、刺激がなくても自分の頭の中で刺激を作って回すことができるようになります(Y)。
需要×供給曲線をマーケット理論というのですが、それには、参加者がみんな正しい情報を共有していることとか、いろいろな前提が必要です。ということは、経済共同体が先に存在するんです。しかし、そういう前提が成立する市場は現実にはありません。さらにもう一つ、悪意の情報を流す人が存在していて、判断を乱す場合があります。そういうのはすべて経済外的要因といって考えないことにしています。「情報」は英語でインフォメーション(Information)です。Formというのは「型」という意味だから、所有者が代わっても変わりません。つまり、データです。情報処理というと偉そうですが、実はデータ処理です。本当に偉いのはデータを取ってきたり、データを作ったり、そこから何かを発想する方です(K)。
かつてケインズは、「経済学はいずれ死ぬ。みんなが満足して欠乏がなくなってしまえば、経済学はいらない。それは金利が1%になったことによって分かる」、と言っています。だから今、経済学は死にました。ケインズ経済学派の人はみんな失業していないといけません(K)。
銀行の問題となると必ず出てくるのが「不良債権」という言葉ですが、あれは「不良借主」のことでしょう。債権というニュートラルなものに、不良品があるという感覚を押し付けていますけど、結局は借金を返さないっていう奴がたくさん出てきたというだけのことです(Y)。
以前、ロシアに行ったとき、モスクワ大学のある教授からこんな笑い話を聞きました。あるとき、国家から配給されるパンがやたらと売れる地方があったそうです。教授たちは、もしかしたら、そこに飢餓が発生しているのではないかと考えました。しかし、実際に現地に行ってみてわかったのは、パンの値段が非常に安いから、豚に食わせてハムにして売っているということで、結局、統計数字だけを見ていたのでは現実は分かりません(K)。
「デフレ」対策は、「薬漬け医療」とまったく同じである。「効かない」「治らない」と悩んでいるときに、「いや、これで治る」とばかりに、大量に薬を与えていくやり方です(Y)。銀行の経営が危なくなると、「公的資金を投入する」という話がすぐ出てきますが、「公的資金」は「税金」でしょう。本質を見えなくしているんです(Y)。
70年安保のころ、学生運動の騒動の真ん中にいて、朝日新聞が記事を書くたびに状況が悪くなりました。ジャーナリズムは事件の当事者なんですが、書いている記者自身に、自分に当事者だという意識がない。それが大問題。自分たちが書くこといで、情勢が影響を受けるということがわかっていない。今では新聞は積極的に影響を与えようとしている。末期的な症状です。読売新聞なんかはその典型でしょう。イラク戦争のときも、始まる前に朝日新聞が、「7割5分の人が戦争に反対している」という調査結果を出して、始まったら今度は読売新聞が「7割5分の人が戦争に賛成だ」という結果を出した。それだけ見たら、日本人はいったいどうなっているんだと思います。これは答えを誘導しているに違いないと誰だって思いつきます(Y)。
僕は昔から、「論文は患者のスルメだ」と言っているんですが、生きているイカが患者なら、論文はスルメです。つまり、スルメはもう止まっているものです。論文ばかり書いていたり、カルテばかり書いていたりするような医者は、「スルメ作りの専門家」だと僕はいつも言っています(Y)。
アカデミックな研究の欠点は話が遅くて暗くなることです。証明の成否が大事ですが、まず前進するのは現場です。ようやく最近になって、本当に生きた話をしてほしいと、多くの日本人が思うようになっていますから、養老先生のお書きになった“バカの壁”が売れているんです(K)。
今、アメリカでは結婚式が形骸化しています。「健やかなるときも、病めるときも愛し続けます」と神様の前で約束して、10年後には半分が別れています。言葉よりも実体の方が重要であるという良い例です。実体は変わるものだと認識しなければいけないのに、「私は私」という錯覚がいまだに支配している(Y)。
そもそも日本はアジアの吹き溜まりでした。大陸で食い詰めて、日本まで来たけど、向こうは太平洋だからもう行くところもない。行く場所がないから留まったという人の子孫が日本人です。たまたま江戸時代に300年の間、鎖国したために、日本が故郷となっただけです(Y)。日本とアメリカで1つ大きな違いがあるとすれば、日本はメンバー固定性で、アメリカはメンバー入替制です(K)。
日本人の倫理観を突き詰めていくと結局のところ、美的感覚に行き着きます。よく「そんな汚いことなんかできません」と言うでしょう。その反対で日本語には「潔い」という言葉がありますが、英語には「潔い」に相当する言葉はない。アメリカに「潔い」という言葉がない理由は、「結局、負けは負け。それを飾る言葉なんてない」ということに尽きます。潔くても、誰も褒めてはくれないのです(K)。
北朝鮮は「ソウルや東京くらい火の海にできる」と言っていますけれど、備蓄した砲弾はあるでしょうから、それくらいはできるとしても、一時的なものです。長い目で見たら、あの国が戦争して持つわけがない。本当にやる気になれば今の自衛隊でも十分です。パラシュート部隊を送り込んで、金正日を捕まえればそれで終わりです(Y)。
日本が使う全エネルギーの中で、石油の割合は今49%くらいにまで減っています。10年前は60%くらいありました。脱石油は進んでいます。その49%がアラブに集中している理由は安いからです。戦費負担で高くつくのなら、アラブの石油は買わないと言ってほしい。それが言えないのが恐米病、親米病です。自分の実力を知れと言いたい。日本にはソ連を崩壊に追い込んだくらいの力があるんです(K)。
日本も将来を考えた改革を何かしなければいけないとしたら、「参勤交代」はどうかと僕は思っています。日本人全員が都会と田舎に2つ住居を持って、一年のうち半分は都会に、半分は田舎というふうに参勤交代をすればいいです(Y)。
先日、ある国際会議で、ベルギーの女性が「日本は専業主婦が多いことを恥ずかしがるが、とんでもありません。ベルギーの女性はみんな専業主婦になりたと思っている」と言う。だけど、「旦那の給料が安いから働かなければなりません。誰か専業主婦にしてくれる人はいませんか」と言っていました。つまり、日本は豊かなのです。
以上が本書の概要である。日下公人氏は日本長期信用銀行の取締役を退任後、多摩大学の教授、その後ソフト化経済センター理事、東京財団理事などを歴任されている。さすがに教養、見識に優れた対談になっている。養老氏も医者であるにもかかわらず、対談では医者らしさより、一人の教養人としての面目躍如であり、独自の発想や視点での切り口には脱帽である。大変面白く、一気に読める本である。
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