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逆説の日本企業論表紙写真

逆説の日本企業論 欧米の後追いに未来はない

著  者:松岡 真宏
出 版 社:ダイヤモンド社
定  価:1,600円(税別)
ISBNコード:4−478−31210−9

松岡真宏氏は1967年生まれ。東大経済学部卒後、野村総合研究所入社。企業調査部の証券アナリストとして主に小売業界を担当する。その後、UBSウォーバーグ証券会社(現UBS証券)などを経て、2003年7月より産業再生機構勤務。1999年、日経アナリストランキング小売部門第1位、「エコノミスト」アナリストランキング小売部門第1位。2000年、「Institutional Investor survey」Retailing General部門第1位など、日本で屈指のアナリストとして知られる。

本書は2001年12月から2003年7月にかけて、「週刊ダイヤモンド」およびダイヤモンド社の広報誌「経」で行った連載に加筆・修正を施したものである。内容は、時には経済や経営の範疇を超え、社会論や教育論にまで言及しているが、全体のベースには、客観的な経済合理性という座標軸を置くことを心がけた。

本書は第1章:日本企業が欧米より遅れているという誤解、第2章:日本の流通には競争力がないという誤解、第3章:日本的システムへの自虐的にすぎる誤解、第4章:先進的な経営者が陥る効率化追求の誤解、第5章:“売れない”原因が不況にあるという誤解、第6章:数字の分析で見えてくる“常識”の誤解、の6章構成になっている。

企業の存在理由は、その企業への投資によって生まれる利益率が、預金や国債への投資によって生まれる利益率よりも高い(あるいは将来的に高くなる)ことである。つまり、預金や国債よりも高い利益率の事業があれば、その事業にどんどん資金が流れ込み、反対に、その事業に参入障壁や差別化がなければ、最終的にはその事業の利益率は預金や国債の金利並みへと低下するはずである。もし、欧米の経営手法を取り入れことで、ある企業Aが収益性を上げられたとしよう。それを横目で睨んでいた競合他社Bは、必ず同様の戦略を取ってくるため、結果としてA社が引き上げた収益性はB社との競合によって霧散するはずである。そうならないように、ほとんどの産業における各社間の利益率格差は、各社が所与の経営資源をいかにうまく利用して、同業他社との差別化(あるいは潜在的な参入者に対する障壁)を築いているかということだけに依存することになる。

われわれは、「システムの問題」と「国民性の問題」を混同しがちである。日本人がリスクを取るかどうかというのは、その典型例である。どんな民族でも、合理的なシステムが設置されれば、期待リターンに見合ったリスクを取ることができるはずである。これ以外にも、システムの問題を国民性の問題にすり替える議論は横行している。例えば、日本人の経営者が利益を重視できないとか、日本人は新しい企業を興すことに長けていないという言い方がある。しかしこれらは、国民性の問題ではなく、すべてシステムの問題なのである。

日本の学者の著書や論文には、アメリカや欧州での研究総集を翻訳し、求めることで何かを作り出したような気になっている例が少なくない。脚注が英語論文だらけだったり、著者紹介で「○○理論を初めて日本に紹介した学者」とあったりするのはその証左である。悲しい話ではあるが、日本における学問の多くは単なる「輸入学問」、あるいは「翻訳学問」の域を出ないと思われる。これは、物理学や化学といった自然科学の分野、経済学や経営学など社会科学の分野でも同様である。

日本でいま進めようとしている構造改革は、既に他の先進国で80年代に行われたことであり、欧州ではその反省もなされている。つまり、彼らと比べると10〜20年遅れなのである。これも、翻訳学問をベースにした経済政策や経済閣僚の弊害だろう。

日本企業の経営者は、「日本のIRは欧米、特にアメリカに比べて遅れている」というデマを信じている。そもそもアメリカでは、会社側が新しい期の利益について予想をまったく発表していない。それだけではない。例えば、私の担当する流通業界で言えば、アメリカの企業は、出店数や閉店数の予想といった基礎データさえ公開していない。IRをすれば株価が上がるのではない。基本的には、利益や利益率を引き上げることで株価は中期的に上昇するものであり、IRはそれを助ける1つの手段でしかない。

アメリカにおける資本主義の歴史を紐解くと、公正な経済とはほど遠い現実が炙り出されてくる。20世紀の最初の数十年は、現在では考えられないほどの独占・寡占が蔓延っており、これが今日のアメリカ経済の基礎となる資本蓄積を可能としたと言える。数年前に、ビル・ゲイツのマイクロソフト社による独占が話題となったが、彼の生み出した富などは、石油王ロックフェラーの3分の1、鉄鋼王カーネギーの2分の1(いずれも時価換算値)に過ぎない。また当時は、全米の資産の85%を4000人が保有するといった異常な寡占状態であった。

実力主義と終身雇用といった仕組みの相違を、デジタルにどちらが絶対的に正しいと断じることの危険性である。どんな戦略にもメリットとデメリットがある。要は、各企業に与えられた環境や経営資源をベースにして、より業績が高められる仕組みを比較検討して採用するしかない。アメリカ型資本主義を全面的に正当化することも、否定することも愚考である。日本型についても同様と言えよう。

日本の物価は本当に高いのだろうか。少なくとも生活必需品に関しては、「日本の物価高」は幻想、あるいは誤解にすぎない。日本の小売業は、欧米に比べて極めて高い家賃や人件費を強いられているにもかかわらず、欧米に比べて若干高いだけでの値段で生活必需品を提供できていると言える。つまり、生活必需品の内外価格差は、小売業を行うためのコスト差よりもはるかに小さい。この意味で、日本において小売業は消費者にとって効率的であり、生活必需品は安いと言える。

外資系企業の日本進出がうまくいかない時に、必ず出てくる日本の流通業への批判は「規制」や「閉鎖性」といった単語である。私に言わせれば、これらは外資系企業にいる経営陣の質の低さを転嫁するための言い訳に過ぎない。90年代を通した大規模小売店舗法の規制緩和によって、日本の流通業は先進国の中では最も規制がなくなったと言える。外資系であろうが、日系であろうが、企業の盛衰はすべて経営能力次第であり、外部要因は市場の参加者すべてに平等である。

日本は、先進経済国の中で、最も中小企業が多い国である。ドイツなども同様の状態である。一方、歴史的に最も大企業支配が行われている国はアメリカである。前者で銀行システムが中心の金融が行われ、後者で株式市場をベースにした金融が花開いたという事実は歴史的に意味があるのだ。90年代に入ってのメインバンク・システムの崩壊は、実はシステムが絶対的に悪かったり、後進性があったりしたことが原因ではない。単純に、銀行経営がプロフェッショナルでなかったこと、あるいは銀行による企業情報の調査活動が十分でなかったことなどが問題なのである。

日本は大企業中心で活力がなく、アメリカは隆盛するベンチャー企業が経済を支えていると言われるが、これは虚構である。大企業の寡占度は、先進国中で日本が最も低く、アメリカが最も高い。だからこそ、日本では健全な競争を背景に各産業に余剰利益がたまらず、消費者はその恩恵に浴してきたと言える。

セブン−イレブン・ジャパンは、他のコンビニチェーンと比べて格段に優れた技術力を持っているわけではない。セブン−イレブンと同業他社との利益率格差の要因を情報システムの格差に求める経営評論も少なくないが、これは誤りである。他のコンビニチェーンとセブン−イレブンのシステム自体の大きな格差なない。ポイントは、情報システムによって得られた顧客情報を使って、どのような商品戦略、店舗展開戦略、物流戦略を組んでいくかという、極めてソフトなマネジメント力の格差が、あれほどの収益力格差を生んでいるのである。経済回復の一つの鍵として日本に足りないものは「モノづくりの能力」ではなくて「マネジメント力」であると結論づけられる。

日本の百貨店の1平方メートル当り売上が、アメリカのそれの10倍であること。アメリカでは経営戦略の失敗で倒産が相次いだコンビニが、日本では優れた経営によって街のインフラになっていること。マーチャント・バンクとロジスティックスの機能を併せ持つ「商社」という世界でもユニークな存在が、新規ビジネスを担う経済主体のリスクヘッジを可能としていること。こうして数え上げれば、日本経済が世界に伝えるべき本質は少なくない。

人間には「同質化」と「異質化」という、まったく対立する2つの態度がある。前者は他人と同じものを持ちたいという欲求であり、後者は他人と異なるものを持ちたいという欲求である。消費者の心は、実はこの「同質化」と「異質化」の狭間で揺れ動いている。ある目新しい商品が発売され、自分の周りの人間がそれを買い始めると、人間には「同質化」の態度が強まる。そして、他人と同じ流行のものを購買しようというインセンティブが働く。こうしてブームは演出されていく。しかし、ブームとなった商品が一般化して、自分の周りで、あまりに多くの人間が同じ商品を持つようになると、人間は逆に「異質化」の態度が強まってくる。そして、その商品を買うことをむしろ避け始めるようになる。結果として「飽き」が蔓延して、ブームは終焉するのである。ブームになった商品に対する消費者の態度が「同質化」から「異質化」に変わるのは、どれくらい商品が浸透した時点なのであろうか。実は、青山商事のスーツも、ユニクロのカジュアル衣料も、数量ベースでのマーケットシェアが16〜18%となった時点で売上減速が始まっている。つまり、約6人に1人の割合で商品が浸透すると、消費者の態度は「同質化」から「異質化」へと変更されると言える。

日本の多くの産業において、低生産性が問題だと指摘されることが多い。加えて、日本の労働者の賃金は、生産性が低い割には高いとも言われる。そして、高賃金に見合うよう生産性を引き上げるか、低生産性に見合うよう賃金を引き下げるべきだと論じられる。しかし、こうした議論には2つの問題点が含まれている。第1の問題点は、「労働生産性は生産性と同値か」ということである。小売業を例にとると、確かに労働生産性は、日本はアメリカと比べると30パーセント低い。しかし、売場面積1平方メートル当りの売上や粗利益額といった「設備生産性」は、日本の方がはるかに高い。百貨店業界に至っては、日本はアメリカの10倍近い設備生産性がある。このように「労働生産性=生産性」という議論はかなり乱暴で一方的なものと言える。実際、日本の小売業を俯瞰すると、労働生産性を引き上げて利益を伸ばした企業は、ほとんど見当たらない。むしろ多くの利益成長企業は設備生産性が向上し、それを原資にして優秀な人員を同業他社よりも若干高い賃金で雇用し続けている場合が多い。

ここ4〜5年のITブームを背景にして、「商社無用論」が喧しい。その多くの論調は、「ITを駆使すれば、売り手と買い手との直接的な情報交換や取引が可能となるために、商社は不要になる」、といった類のものである。総合商社6社(三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事、丸紅、日商岩井)合計の税引後利益と日本の名目GDPとの決定係数をとってみると、80年代は81%という高い数値を示したのに対し、90年代は8%となっている。また、6社間における収益の相関性もここ10年で消失してきている。前述の6社で、税引後利益動向の相互の決定係数をとってみると、80年代は各商社間で70〜80%という高い相関が見られたが、90年代ではほぼすべての商社間での決定係数が、5%有意水準(統計的に意味のある最低水準)の60%を下回っている。つまり、総合商社業界の業績は、もはや日本経済の動向に受動的に連動して上下するものではなくなってきているのだ。また、各社間の収益の動向も一律ではなく、自律的に行われている各社の戦略の当否によりさまざまな方向になっているということである。この背景には、各社の売上内訳の変化とビジネスモデルの変化がある。大手総合商社では、単にモノやサービスの取引から口銭を得るというトレーディング事業の利益構成比が低下してきている。むしろ、各商社に流れ込んでくる数多の情報をベースにして、リスク資産に対して投融資を行うことで金融収益を稼ごうという動きが活発化している。特に三菱商事と三井物産の基礎収益のうち60%前後が投融資による利益となっている。つまり、これら2社はもはや「卸売業」としてカテゴライズされるべき企業ではなく、「金融業」として認識されるべき存在となっている。

アメリカ経済は、「各産業内での競争が熾烈で、勝ち組と負け組の格差が拡大するダイナミズムを持っている」と日本のメディアでは言われている。逆に日本経済は、「競争が激しくなく、各産業内が横並びになっている」と言われている。そして、日本における規制緩和、人件費や地価など固定費の低下を背景に、今後はアメリカなどから外資系企業が日本に本格的に参入して、“これまでぬるま湯につかってきた”日本企業は淘汰の波にさらされる、といった論調が花盛りである。しかし、果たしてそうだろうか。まずは、日・米・英・独・仏の5ヵ国における食品小売店の店舗を見てみる。英が最も少なく7万6000店、次いで仏が少なく8万4000店となっている。独と米はほぼ同数であり、それぞれ17万8000店と17万5000店である。これらに対し、日本は圧倒的に店舗数が多く、52万9000店も存在している。人口1万人当たりで見ると、米が最も少なく7.3店、続いて英の12.9店、仏の14.3店、独の21.7店となっている。そして、日本はなんと41.9店となっており、人口比で見るとアメリカの約6倍の店舗数が存在していることになる。国土1平方キロメートル当たりでは、米はわずか0.02店、仏が0.15店、英が0.31店、独が0.50店であり、日本はなんと1.43店となっている。日本の流通業は長年にわたって「ぬるま湯体質」と揶揄されてきたが、以上のような数値結果がしめしていることはまったく逆の真実である。

以上が本書の概要である。本書の題名が示すように「逆説の日本企業論」は今までわれわれが考えていたことを否定し、いかに日本人が一方的な見方をしているかを説いている内容である。われわれの視点に対し問題を提起した本であると言ってよい。日本人はどちらかというと、風評とか、一般論を何にも疑問も持たずに信じてしまう傾向があると言える。もう一度「ホンとかなあ?」と自分自身で考えてみる必要があるのではないか。


北原 秀猛

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