旅人がある町を通りかかりました。その町では、新しい教会が建設されているところであり、建設現場では、2人の石切り職人が働いていました。その仕事に興味を持った旅人は、1人の石切り職人に聞きました。「あなたは何をしているのですか」。その問いに対して、石切り職人は不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。「このいまいましい石を切るために悪戦苦闘しているのさ」。そこで、旅人はもう1人の石切り職人に同じことを聞きました。すると、その石切り職人は表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。「ええ、いま私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです」。
どのような仕事をしているか。それが我々の「仕事の価値」を定めるのではありません。その仕事の彼方に何を見つめているか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのです。
職場を見渡すと、誰もが忙しそうに働いている。一生懸命に働いている。けれど、その顔からは、なぜか喜びが伝わってこない。その理由は、おそらく、あの「寂しい言葉」にあるのでしょう。「生き残り」「勝ち残り」「サバイバル」。いま、我が国には「構造改革」という大きな荒波が押し寄せてきています。そして、その改革のなかで、「競争原理」や「市場競争」という言葉が、すべてに勝る金科玉条のごとく語られています。この「構造改革」は、日本という国の新生のためにも、何としても成し遂げなければならない国全体の課題。それを成し遂げるために、我々国民一人ひとりが、「改革の痛み」を覚悟して働くことが求められている。しかし、そもそも「改革」とは「希望に向かっての前進」ではなかったか。それにもかかわらず、毎日、我々の耳に入ってくるのは「生き残り」「勝ち残り」「サバイバル」の大合唱ばかりです。こうした「寂しい言葉」の洪水のなかで、我々は油断をすると危うい「思考停止」に陥ってしまいます。
「仕事の報酬」とは何か。多くの方々は、すぐに「2つの報酬」を思い浮かべるのではないでしょうか。第1が「給料」や「収入」です。第2は「役職」や「地位」です。それがなぜ、すぐ頭に浮かぶのか。それが「目に見える報酬」だからです。しかし、我々が忘れてはならないことがあります。仕事の報酬には、目に見えない「大切な報酬」があるのです。それは「3つの報酬」です。
まず、第1の報酬は「職業人としての能力」です。第2の報酬は「働き甲斐ある仕事」です。そして、第3の報酬は「人間としての成長」です。仕事に一生懸命に取り組むと「職業人としての能力」が磨かれるだけでなく、「働き甲斐ある仕事」ができるだけでなく、「人間としての成長」を遂げていくことができます。
「仕事の報酬」を考えるとき、「目に見える報酬」と「目に見えない報酬」という視点に加えもう1つ大切な視点があります。「自ら求めて得るべき報酬」と「結果として得られる報酬」という視点です。「収入」や「地位」は「結果として得られる報酬」に他ならないが、もし我々が、本当にプロフェショナルの道を歩みたいと考えるならば、「自ら求めて得るべき報酬」を考えるべきです。
日々の仕事の雑事に忙殺され、仕事に課せられた目標に追われ、競争の場での激烈な戦いに疲れ果て、自分は何のためにこの仕事をしているのか。自分はいかなる社会貢献を目指してこの仕事をしているのか。そのことを忘れてしまう。ではどうすれば良いのか。「働き方」のスタイルを変えることです。それは「社会貢献」ということを見据えた「働き方」のスタイルに切り替えることです。それは、具体的には「社会起業家」のスタイルです。その働き方は「社会貢献」や「社会変革」の志を持ち、「現在の事業の革新」や「新しい事業の創造」を通じて、「良き社会」を実現しようと考え働くこと。それが「社会起業家」の働き方のスタイルです。
多くの企業が収益を上げて存続することのみに目を奪われ、いつのまにか、この「社会貢献」という原点を忘れてしまったからです。現在、ネット革命によって「新しい事業を起こす」ことができるようになりました。社内で新しい事業を計画し、提案し、実現するときにもネット革命は優れた手段を提供してくれます。電子メールやイントラネットを使って、地方支社のメンバーや社外のスタッフの知恵も集めながら、効率的に進める。そうした形で、企業内で「新しい事業を起こす」ことも容易になりました。従って、これからの時代には「起業家」として働くということは決して難しいことではなく、小さな決意があれば誰にでもできるようになっていくのです。「起業家」という言葉そのものが、「社会貢献の志や使命感を持って新しい事業を起こす人」を意味している言葉である。
営利企業にも、「社会貢献」が求められる時代となるからです。これまで「営利企業」と称されてきた株式会社などの民間企業にも、「社会的責任」や「社会貢献」の姿勢を求めるようになってきています。第1の社会動向は「製造物責任」です。第2の社会動向は「環境共生」です。第3の社会動向は「地域市民」です。第4の社会動向は「文化支援」です。第5の社会動向は「社会貢献」です。
すべての人々が「社会起業家」となる時代です。その理由を再度整理すると次のようになります。
- (1)の理由…「社会貢献」の働き方を求める人々が増えている
- (2)の理由…営利企業にも「社会貢献」が求められる時代となる
- (3)の理由…非営利組織にも「事業性」が求められる時代となる
- (4)の理由…「起業家」という言葉が広い意味で使われるようになる
- (5)の理由…会社を創らずとも「起業家」としての活動が可能になる
- (6)の理由…「起業家」に必要な知識が容易に手に入るようになる
すなわち、これら6つの「社会的条件」が生まれてきたことによって、これからの時代には誰でも「社会起業家」を目指して歩みを始めることができるのです。
これからの時代には、「社会起業家」の新たなビジョンとスタイルが生まれてくる。これからの時代には、「起業家」という言葉が「新しい事業を起こす人」という意味を超え、「事業に革新を起こす人」という意味、さらには「社会に変革を起こす人」という意味に使われるようになってくるからです。そして、次の新たなスタイルが生まれてくる。
- 第1のスタイル―立志―「良き社会」を実現しようとの「志」と「使命感」を持つ
- 第2のスタイル―成長―自分自身の「自己変革」と「人間成長」を目指す
- 第3のスタイル―共感―多くの人々との「共感」と「協働」を生み出す
- 第4のスタイル―革新―「現在の事業の革新」や「新しい事業の創造」を行う
- 第5のスタイル―創発―事業の革新や創造を通じて「社会の創発」を促す
- 第6のスタイル―信念―生涯にわたって「社会変革の歩み」を続ける
- 第7のスタイル―伝承―次の世代に「志」と「使命感」を伝えていく
いま、なぜ、我が国の変革が進まないのか。それは、決して政治や行政の改革、経済や市場の改革が壁に突き当たっているからではありません。もう1つの大切な変革が忘れられているからです。それは何か。我々一人ひとりの変革です。我が国の変革を成し遂げるためには、「政治の在り方」や「経済の仕組み」の変革だけでなく、我々一人ひとりの「生き方」や「働き方」の変革が求められているのです。この国の変革は、何よりも我々一人ひとりの変革を通じて成し遂げていかなければならない。あの「石切り職人」のごとく、生きることの勇気と、働くことの喜びを伝える「物語」を「未来の世代」に残していかなければならない。
以上が本書の概要です。田坂広志先生の本は、この欄でご紹介するのは8冊目です。いままでに160冊のいろいろな先生方の著書を紹介させて頂いていますので、田坂先生の著書のご紹介は全体の5%に当ります。多く紹介させて頂く理由は、田坂先生の著書は本質論ですし、先生のお持ちになっている哲学的な思考から発しておられる。また、それが現環境から未来を読んだものになっているので説得力があります。読者にとっては示唆深い内容であり、我々の生き方にヒントを多く与えてくれるものです。本書もすべての人々が「社会起業家」となる時代に対する働き方を教えてくれています。
|