過去10年にわたる日本経済低迷の根本原因は、経済全体における構造改革の欠落よりも、企業レベルにおけるバランスシート問題に起因するところがずっと大きい。現在、日本の企業の70〜80%は、ゼロ金利であるにもかかわらず、借金返済を急いでいる。結果として、日本の企業部門は今、銀行と資本市場に対し、年間総額20兆円、国内総生産(GDP)の4%におよぶ資金純供給者となっている。しかも、この借金返済への動きは何年も前、日本がまだインフレ状態にあった時に始まっているのである。さらに重要なのは、時として大多数の企業が利益の最大化ではなく債務の最小化を目指すことがあるということになれば、従来の経済理論とその政策的含意を、そのような状況に対応できるように改めなければならないということだ。
経済学全体からみれば、大多数の企業が利益の最大化ではなく、債務の最小化に走るという可能性は、ケインズ理論でずっと抜け落ちていた重大な論理の隙間を埋めることになる。同時にこの可能性は、マネタリズムの明らかな限界を示すものである。またバランスシート不況論は、従来から「流動性の罠」を説明するために使用されてきたケインズの「投機的貨幣需要」論よりも、はるかに高い説明力を持つ。
バランスシート不況という視点から見ると、日本はひっそりとではあるが、人類史上最大とも言える経済実験を行っている。ここで行われている実験は、政府が積極財政で経済活動を維持することで、企業が資産価格の暴落から生じた膨大なバランスシート問題を解消できるか否かということだ。現在までのところ、過去10年にわたる資産価格の大幅な下落によって、1200兆円以上の富が失われた。この数字は、バブル経済最後の年である1989年の日本のGDPの2.7倍にあたる。このバランスシート不況であることに気づいていないのは、このような不況が起こりうることを学校で教わっていないことも一因だろう。しかし経済学の教科書にないから、このような事態は起きないということにはならない。しかも、現在アジアや欧米の多くの国々が同様のバランスシート不況にあるということは、この問題の先輩格である日本には、このような不況下においては何をなすべきか、そして何をなさざるべきかをこれらの国々に伝える義務がある。
本章は第1章:日本経済が陥っているバランスシート不況、第2章:財政の下支えなしにバランスシート不況は克服できない、第3章:金融政策は今の日本にはきかない、第4章:財政出動の功罪、第5章:マクロ経済理論の再構築、第6章:不良債権処理を急いではいけない、第7章:誤解を理解すること――本当の話、第8章:4種類の金融危機と全額保護の役割、第9章:アジア経済への挑戦、第10章:アメリカ経済が日本の教訓に学ぶこと、第11章:日本経済が本当にチャレンジすべきは何か、以上11章の構成になっている。482頁という力作である。
日本経済は、根の深い構造問題を抱えている。世界最悪とも言える非効率的な土地の利用、不充分な競争政策、そしていまだに存在する多くの貿易障壁は、高コスト体質と、それに伴う深刻な産業の空洞化をもたらしている。従ってこれらの問題はすべて早急に是正する必要がある。小泉内閣を含む多くの人々が、構造改革の必要性を訴えているが、彼らの言う構造改革とは、1980年代以降アメリカとイギリスが推し進めてきたようなサプライサイド改革のことである。
日本の今の状況を見ると、金利は長短とも限りなくゼロに近いという人類史上最低水準である。インフレではなくデフレが蔓延し、労働ストライキのわずかな気配さえ感じられない。人々は、たとえ昇給はなくとも仕事があるだけでありがたいと思っている。その一方で今なお、日本の貿易黒字は世界最大級であり、円は日銀の巨額な為替介入にもかかわらず、極めて強い通貨である。これはどう見ても、供給過剰・需要不足の世界であり、20年前のアメリカ・イギリスとは正反対の状況である。
日本には3500社の上場企業があるが、今の日本ではゼロ金利状態であるにもかかわらず、社債の償還の方が新規の発行より多いというショッキングな事態が続いている。日本経済発展の車輪には2つがあり、1つは日本人の家計に占める貯蓄率の高さである。もう1つは、日本企業の高い投資比率である。1980年代末までの日本企業の投資比率や借金依存度は、世界的に見ても大変高かった。このひときわ高い投資比率が家計の高貯蓄率とうまく噛み合うことによって、日本は世界でナンバー2の経済大国となったのである。
倒産には2種類ある。第1は、本業に失敗し、財務内容が悪化して倒産状態にある企業である。もう1種類は、本業はまだ健在だが、資産価格の下落を受けてバランスシートが債務超過になってしまったケースである。今の日本を見ると、多くの企業は第2のカテゴリーにあり、バランスシートは傷んでいるものの本業はまずまず良好に営まれている。このような企業は、あらゆる部分で極力コスト削減に努め、そこで浮いた資金を借金返済にあてるだろう。問題は、多くの企業が一斉にこうした行動をとり始めた時に、いったいどういう事態が経済全体に生じるかということである。その資金を設備投資や新商品開発などの事業拡大に使っていた状況に比べ、経済全体の需要は減少する。総需要が縮小すれば景気は悪化する。景気が悪化すると資産価格はさらに下がり、そうすると企業のバランスシート問題はいっそう悪化する。するとまた、企業側はコスト削減と借金返済努力を一層強化しようとする。しかし、そのような努力をすればするほどさらに需要は落ち込み、景気は雪だるま式に悪化していくのである。
つまり個々の企業は正しく責任ある行動をとっているにもかかわらず、みなが同時に債務の最小化を目指すことで、景気が悪循環に陥り、どんどん悪くなっていくという事態は充分に起こりうる。このような状況を、経済学では「合成の誤謬」と言うが、これがまさに今の日本で起こっていることなのである。
マスコミに登場する評論家の多くは、財政出動がなかったらどうなっていたかに気づいておらず、「政府は過去10年間に140兆円も景気対策を打ったが、結局景気が上向くことはなかった。だから同じことを繰り返しても意味がない」と言っている。この考え方は日本でも海外でも広く受け入れられているが、これほど見当違いで危険なコンセンサスはない。このようなことを言う評論家は、過去10年間で日本が年間GDPの2.7倍に相当する国富を失ったことに気づいていない。失われた国富の大きさについて言えば、現在の日本は1930年代のアメリカの大恐慌を大きく上回っているのである。
日本の財政出動に異を唱える人々は、財政に経済活動を維持する効果があるとしても、そのような支出で中長期的に何かが好転するわけではなく、それは「カンフル剤」に過ぎないと言う。一時しのぎの注射を打っても、経済が自律成長に入るために克服すべき構造問題の根本治療にはならないという論法である。しかしこうした評論家たちは、政府の財政出動のおかげで多くの企業が借金の圧縮に成功したという点を見逃している。さらに重要なことは、大多数の企業が後ろ向きの借金返済に走っている国の経済が自律回復に入るということは、絶対あり得ないということだ。全体の8割の企業が後ろ向きで資金が逆流しているような経済では、どんなに残りの2割が頑張っても経済全体が自律回復に入ることは不可能である。経済が自律回復に入るには最低限でも8割が前向き、2割がもしかして後ろ向きという比率が不可欠だろう。企業がバランスシートの修復に成功するということは、経済が自律成長に入るための必要条件なのである。
バランスシート不況は民間対民間の問題であることを忘れてはならない。誰かの負債は別の誰かの資産である。貸し手は、借り手がスケジュール通りに返してくれるからこそ、自分の融資は優良債権であると考える。返済が滞れば、それらは不良債権となる。民間のいたるところでバランスシートが損なわれている場合、唯一の解決策は、それらの民間企業や家計が借金返済にあてる所得や収益を確保できるよう、政府が経済活動の水準を維持することである。所得が維持されれば、それらの企業や個人は借金返済ができる。そうすれば、経済の全体的なバランスシートはたとえゆっくりだとしても改善に向かうことができる。また、そのような政策は経済を大恐慌に押しやる債務不履行や倒産の連鎖反応に陥る危険性は最小限にとどめることができる。
日本国の経済はゼロ成長を保つためにGDPの6%を超える財政赤字を必要としているのである。政府からの巨大な財政支援がなければ、日本はいつデフレスパイラルに落ち込んでもおかしくない。前述のように、実際には140兆円が使われなければ、日本の経済はずっと以前に大恐慌に陥っていたのである。
一般の経済学書では、ハイパワードマネーと信用乗数とマネーサプライとは以下のように結び付けられて説明される。中央銀行が1000円相当の国債をある民間金融機関から買うことで、1000円のハイパワードマネーを民間に供給したとする。現代の制度では、銀行がこの1000円を貸し出すには、その一部を準備金として手元に残しておかなくてはいけない。例えば、この準備金が10%だとすると、この民間銀行は中央銀行から受け取った1000円のうち100円を手元に準備金として残し、900円を融資に回すことになる。この民間向け信用である900円は、最初の借り手がそのお金で何かを買い、その代金を受け取った人が売上金900円を銀行に預けることで再び銀行に戻る。この資金を得た銀行は預金として得た900円のうち、その90%、つまり810円を民間向け信用に回せる。この810円を預金として得た銀行は730円を融資に回せる。このプロセスは、中央銀行から供給された1000円のハイパワードマネーがすべて銀行の準備金になるまで続けられる。こうして預金と融資が繰り返された結果、最終的に銀行の預金は1万円増える。この1万円がマネーサプライと呼ばれるものである。1000円だったものが1万円を生み出すゆえに、中央銀行の供給する1000円はハイパワードマネーと言われるのであり、この場合の信用乗数は10、つまり規定の準備金率の逆数で表される。これが経済の参考書にあるマネーサプライ創出の説明である。ところが現在の日本では、お金を借りようとする企業がほとんど存在しないため、銀行の融資額が望む額に達しない。その結果、日本の信用乗数は準備金率の逆数を大幅に下回っている。企業の負債返済額が毎年20兆円にのぼる現状では、(民間部門の)限界的な信用乗数はゼロ以下ともいえよう。
日本のマネーサプライのデータを見ると、ここ5年間、企業の借金返済で銀行の民間向けの信用がマイナスになっているにもかかわらず、マネーサプライは増加し続けてきた。これは政府がカネを借りていたからである。家計が貯金しても企業が借りないことで発生するデフレギャップが年間40兆円近くもある今の日本で、政府が財政赤字を出してこれを埋めなかったら、毎年、この金額分だけ総需要が減少し、今ごろ日本経済は間違いなく大恐慌に陥っていたということである。
デフレには2種類あると考えられる。1つは世界的な価格水準までの低下と、もう1つは、世界的水準を下回る低下である。前者は一物一価への健全な構造的変化を表しているが、後者は危険的なほどの総需要の縮小か不適切な金融政策を表している。今の日本では、大部分の価格低下は前者のカテゴリーに入り、後者のカテゴリーに入るものはほとんどない。結局のところ、今でも日本の物価は国際的な水準に比べればまだ高い。しかし価格の低下がほぼ前者のカテゴリーにあるなら、中央銀行を含む政策当局が心配してもしようがないことになる。一物一価への流れを止めることはほとんど不可能だからである。
バランスシート不況下では、政府が充分な財政支出を行わず、経済活動の大幅な低下を許せば、次世代の生活水準は大幅に落ち、しかも財政赤字は大幅に増えてしまうのである。政府が積極的な景気対策を採っていれば1000円で維持されていたはずの所得が、政府が処置を怠ったために500円に落ちてしまったとするなら、政府は必要な財政支出を行わなかったために経済の成長率をマイナスにまで落とし、次世代の生活水準を大幅に落としたことになる。したがって、バランスシート不況時の積極的な財政赤字は、「良い財政赤字」と呼ぶことができる。つまり、財政赤字は、中長期的な成長率や所得水準を上げることも下げることもあるということである。
日本の検査体制は、銀行資産を査定できる検査官が500人しかおらず、極めて貧弱だった。これに対してアメリカでは8000人のプロの検査官が同様の職務に就いている。ここで“プロの”という意味は、この仕事は高い専門性が要求されることから検査官は通常の官僚より高い給料をもらっているということである。検査対象となる両国の銀行の総資産はほぼ同じだから、日本の検査官はアメリカの検査官の16倍弱の仕事をこなさなければならない。加えて、日本の検査官のなかで実際に資産の査定能力を備えているのは日銀出身のわずか200人しかいないとも言われている。その結果、当局は各銀行に勧告すべき充分な情報を持たず、資本投入に際しては個々の銀行が申請してくるのを待たねばならなかったのである。
バランスシート不況や金融問題に対する理解力が決定的に不足している小泉内閣は、当初1996年から実施されている預金の全額保護を解除(ペイオフ解禁)するよう強く求め、日本経済を著しく弱体化させてしまった。構造改革派の要求するペイオフの解禁とは、預金の全額保護をやめ、上限1000万円までしか預金保険が保証しないというものである。2001年の後半以来、このペイオフ解禁に関する議論は全国的に銀行預金を不安定化させ、その結果、銀行側も預金の安定に確信が持てなくなり、貸し出しを渋るようになってしまった。竹中平蔵大臣は何年にもわたって、ペイオフこそグローバル・スタンダードであり、諸外国では預金保険の上限以上の預金は保護されていないという誤った印象を国民に与えてきた。また国内の不勉強なマスコミもそのような印象を国民に与えてしまった。そして竹中氏が入閣した小泉政権は2001年10月、「日本の銀行は何の問題もない」と断言して預金全額保護の解除(ペイオフ解禁)を発表したのである。ところが、国内の銀行預金は2001年後半から著しく不安定になった。
現在の日本とアメリカを比較して、アメリカが最も優れているのはおそらく政治的リーダーシップの分野だろう。小泉政権は、市場に現れているあらゆるバランスシート不況の徴候を無視して、サプライサイドの構造改革が経済再建の鍵であるという立場をとっている。以上の話をまとめると、政府は現実的な財政政策でもって経済の安定を保つとともに、構造改革を推進して、バランスシートのきれいになった企業が魅力的な投資機会を国内で多数見つけられるよう努力するべきである。また。政府は家計部門をも説得して彼らの貯蓄率を下げ、デフレギャップを埋めるようにしなくてはいけない。そうするためには、政府が率先して、日本経済発展に見合ったライフスタイルの構築に取り組む必要がある。
以上が本書の概要である。概略を読んでお分かりだろうが、バランスシート不況が現在の日本の姿であり、政府の積極的財政投資が必要であることを理論整然と説いている。その彼に反論する人間もいる。ある銀行の調査部長によると、「クーさんは、企業全体として借金の返済を優先すると、日本経済は毎年需要を失い縮小していくような悪循環に陥るという。少なくてもこの議論は間違いだ。借金の返済額なり所得からの返済比率が毎年大きくなっていくというなら別だが、企業全体として借金の返済主体になっても、経済が均衡することは可能だ。低迷は避けがたいとしても、放っておけばGDPがどんどん減っていくなどと、善良な国民を脅してはいけない。それはともかく、私には気にいらない点が2つある。1つは、彼の言う財政出動は時間稼ぎに過ぎず、問題の解決策ではないことだ。確かに5兆円の財政支出を実行すれば、それが5兆円の最終需要となり、したがって5兆円の所得を生み出すことは事実である。しかし重要なのは、その財政支出によって民間の需要がどれだけ引き出せるのかという点だ。それと、足りないのは本当に需要なのかという点だ。潜在需要を掘り起こす供給がなされていないから需要が出てこないのだと言いたい」、といった意見もある。私はエコノミストでもないので、判断は読者に任せることになる。人の意見なども参考にして、自分なりの判断をするしかない。言えることは論理的に説明できるものを持つことである。
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