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クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門表紙写真

クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門

原   題:It’s Baaack! Japan’s Slump and Return of the Liquidity Trap
著   者:ポール・クルーグマン、ラルス・E・O・スヴェンソン
編訳・解説:山形 浩生
出 版 社:春秋社
定  価:1,600円
ISBNコード:4−393−62166−2

「復活だぁっ!日本の不況と流動性の罠の逆襲」。このふざけた題名の論文には、すべてがある。理論、歴史的分析、定量的な裏付け、政策的な検討、代替案。これさえ読みこなせれば、もう何もこわいものはない。

本書は日本の景気回復策として取りざたされている、調整インフレ論とかインフレターゲットとかインフレ目標論とかリフレ策とか言われるものについて、その火付け役となったポール・クルーグマンの決定版論文を中心に、まとまった形で紹介しようとするものだ。

インフレ期待によって景気を回復させようというのが調整インフレ論であり、インフレターゲット/インフレ目標というのは、その調整インフレを実現するための手段として、中央銀行が「何がなんでも3%のインフレを実現する!」という目標値をたてて、それをしゃかりきに達成しろ、という話だ。

日本についての論者の多くは、ゼロ金利にもかかわらず投資に対して貯蓄が明らかに過剰だという現状に対する解決策は、日本が貯蓄の余った分を海外に投資すればいいだけだ、と論じてきた。経済が本当に流動性の罠にはまっていることを認めたら、マクロ経済学の従来の知恵は、かなりの部分がもう適用できなくなる。それどころか、基本的には伝統的なモデルを流動性の罠宇宙に適用すると、かなり伝統的でない結論が導き出されることになる。

ぼくは特に2つの結論を強調しておきたい。1つは、マネタリー・ベースと広義の金融総量の乖離をもとに結論を出すときには注意してやる必要がある、ということだ。金融総量が伸びないのは、通常の意味で中央銀行の職務怠慢を示すものでは必ずしもない、ということだ。流動性の罠経済では、中央銀行は原理的に、広義の金融総量を動かすことができない。同じ理由で、中央銀行が金利をばっさり切ってマネタリー・ベースをがんがん上げても、広義のマネーサプライが伸びなかったという観察は、必ずしも銀行システムに問題があるということを意味するものではない。2番目に、状況の詳細はどうであれ、流動性の罠はいつも必ず信用問題の産物だということ。つまり国民が、現在の金融拡大が維持されないと信じ込んでいるということから来るものだ、というわけだ。構造要因は、なぜ経済がインフレ期待を「必要とする」のかは説明できる。でも信用できる形で維持された金融拡大が役に立たないことを、構造要因から主張することは不可能だ。

日本は1991年までの急速な成長の後で、長期にわたり成長の遅い時期を通過している。こうしたおなじみの陰気な数字には驚くべき特徴が2つある。1つは、その停滞ぶりの大きさだ。1981〜1992年の期間には、日本は平均で3.7%の成長を遂げていて、しかもその開始時と終了時で失業率は変わらず、インフレ率はかえって下がっている。つまり、この期間には実際の産出だけでなく、潜在的な産出も年率3.7%で成長していたらしいということだ。もしこの成長率をそのまま真っ直ぐ伸ばしたら、1998年の産出予想は実際より14%も高く見積もることになっていただろう。2番目に驚くべき特徴は、近年の低金利だ。日本のマネー市場金利は、1995年以来1%を下回っている。この経済は明らかに流動性の罠条件のかなりよい近似になっている。この流動性の罠は、成長の低下と現在の停滞においてどれだけ重要な役割を果たしているのだろうか?原理から言えば、経済停滞の大部分は潜在産出成長率の低下に応じたものなのかもしれない。この場合には、うまい刺激政策をやったとしても、その見返りは小さいので、この経済を流動性の罠から解き放つのは、別に急ぎでもなんでもなくなる。だから、実際の産出と潜在的な産出とのギャップを推定するのが大事になってくる。

1991年以来の日本とアメリカの消費/GDP比率は、1991年日本57.1、アメリカ67.1、1997年日本60.6、アメリカ67.9、である。まず、日本の消費比率はアメリカに比べるとかなり低い。

日本の経済的苦境は、基本的には政治的なものだという見方が広まっている。日本の政治家がここで一発腹をくくれば、日本はまた動き出すだろう、というわけ。でも、日本が腹をくくってずばり何をすべきなのかは、実は全然はっきりしないのだった。つまり問題は、実は政治的ではなく、考え方の問題なんだということだ。

日本はいま、不景気だ。これは誰しも認めるところ。さらに、日本の金利はほとんどゼロに近い。これも見れば明らかだ。そして金融拡大も財政出動もほとんど効果が見られない。さて、これは経済学で言う流動性の罠とよばれる現象とよく似ている。でもホントにそうなのか?いま日本が直面しているのがホントに流動性の罠かどうかによって、それに対する対策はまったく変わってくる。そして、「ホントに流動性の罠かどうか」は、理論的にそれがあり得るのか、という話と、それが日本に適用できるのか、という2段階に分かれることになる。この論文で検討されているのはそういうことだ。

金融拡大とは、とにかく中央銀行がいまお金を狂ったように刷りまくれ、というものだ。でも、流動性の罠においては、これは効果がない。金利がゼロなので、刷ったお金の行き場がないのだ。次に財政拡大。もともとIS−LMモデルに基づく流動性の罠議論では、そこから抜け出す定番の策は、政府が借金して公共事業をたくさんやることだった。あるいは減税でもかまわない。一時的に公共事業を増やすと、それが呼び水になって景気が回復するという議論だ。普通の財政拡大は、一回使われたお金がどんどんまわって、何倍も大きな支出につながり、それが景気を刺激する。ところがこのモデルでは乗数効果が効かずに、つぎ込んだ金額分がそのまま増えて、そして公共事業が終わったら、元の木阿弥だ。ちょっとも呼び水にならない。だから財政拡大による景気回復はできない。急降下しないように、下支えを続けることしかできない。財政拡大だけに頼るなら、景気が回復するまでそれを続けろ、という話になる。長期的には景気は回復するんだが、その長期的が何年になるかはほとんど見当がつかない。あと10年?20年?いまの日本の財政事情で、それが可能だろうか、ということだ。そして最後に出てくるのが本命の、インフレ期待を盛り上げろ、という話になる。

日本が流動性の罠にはまっていることは、ほぼ確実のようだ。それは単に金利やGDPの状態を見ても言えるし、また各種の政策の効き具合を見てもわかる。それらすべて、クルーグマンのモデル通りだ。日本人が金を使わなかったのは昔からのことで、その傾向はあまり変わっていない。むしろ、大きく変化したのは投資の方だ。消費が少ない日本がこれまで流動性の罠に落ち込まなかったのは、投資が多かったからだ。そして1990年代になって投資が大きく減ったからこそ、日本は流動性の罠にはまった。いまの日本は、本来あるべきGDP水準の5%超も下で動いている、とクルーグマンは試算している。いまなら、10%に迫っているかもしれない。いま、日本人の多くは、景気回復といっても多くを期待していないだろう。まあそこそこ2〜3%成長ができれば御の字、という感じだろう。だが、もし調整インフレがうまく行けば、バブル並みの成長もあり得る。

日本は目下、平和時の財政による景気刺激策として、史上最大のものをやっていて、財政赤字はGDPの10%に達している。そしてこの刺激策は、デフレスパイラルという目前の危機を取りあえずは抑えて、ちょっとばかり経済成長を生み出したという狭い意味ではうまくいっている。一方で、これだけの規模の財政赤字は、いつまでも続けるわけにはいかない。日本の公的債務はいまや、イタリア級(あるいはベルギー級)になっていて、さらにはその人口の困った年齢構成と絡んで、日本は実質的に巨額の支払い義務を抱えている。だから、いまの戦略が広い意味で成功するためには、それが経済をジャンプスタートさせられなくてはならないわけだ。つまり、いずれは自律的な回復を生み出して、刺激策をなくした後でもそれが続くようになる必要がある。

これまで政府が大量の公共投資をやってきたことが、日本の景気の下支えという意味で大きな役割を果たしていたことを、クルーグマンは高く評価している。問題は、それがいつまで続けられるか、ということだ。そしてそれと同時に、下支えをすること自体は、直接の景気回復をもたらさないということ。下支えはいいんだけれど、支えているうちに、上の方の修理をきちんとしないとダメだ。さもないと、いずれ支えきれなくなるぞ。

景気回復には、新規産業を育成しなきゃいけない、というのも時々聞く議論だ。但し…その新規産業って一体なに?どうやって見つけるの?というのが大きな疑問だ。優れた新規産業が出てくればいいけど、それは一朝一夕には出てこないだろう。そして見つけるのも難しいはずだ。なぜか?だってそんなに簡単に見つかるものなら、とっくに誰かが見つけてやっているだろうから。

デフレが有害だ、というのは多くの論者が主張する通りだ。デフレは人々がものを買う気をなくさせる(だって来年まで待つともっと安くなるし、何か買っても資産価値が目減りするからおもしろくない。現金で持っているのが一番得だもの)。だからデフレ下で消費や投資が喚起されて景気回復が実現する見込みはまずない。またデフレは人々の所得も下げてしまう。それも、全員が均一に下がるわけじゃない。またデフレは人々の所得も下げてしまう。それも、全員が均一に下がるわけじゃない。勤務先の倒産、あるいはリストラ、という形で、不均一に下がり、弱いところに大きなしわよせが行く。調整インフレの導入は、こうしたデフレの欠点も解消してくれるだろう。ところが、クルーグマンは各種の論文の中で、デフレの害という話は一切していない。なぜか?それは、彼が最初の論文から一貫して主張しているように、デフレ退治だけではダメだからなのだ。デフレを止めるだけでなく、それを進めてインフレ期待まで持っていかなくてはならない、というのが彼らの大きな主張だからだ。

日本が流動性の罠にはまっていると考えると、これらの現象が一貫性を持った形できれいに説明できる。流動性の罠とは、名目金利がゼロで、金融拡大/金利引下げによって景気刺激ができない状態。細かく言えば、貯蓄と投資がマッチせず、お金(そしてそれにともなって各種のリソース)が余っている状態。

構造改革は、それ自体として進めるべき。それを景気対策として行う、というのが変だ。不良債権処理も、新規産業探しもどんどんやるべき。ただし、それを短期的な景気対策としてやるのは疑問。また構造改革などを進めつつ期待インフレを醸成できない理由はまったくない。従って、構造改革等をすべきだというのを根拠に、調整インフレ策を否定するのは変。まして、景気回復すると構造改革するインセンティブがなくなる、なんてのは本末転倒もいいところの暴論。よって結論。調整インフレ策(インフレ・ターゲティングでも呼び名は何でもいいけれど、それに類する流動性の罠を脱出するための策)をとるべき。理論的な裏付けも非常にきちんとしている。メリットはすさまじく大きいし、デメリットはほとんどない。また、他の施策とも共存できないものじゃない。

以上が本書の概要である。クルーグマンの調整インフレ論について、反対論をかざしているのが木村剛氏である。「学者としての信条をかけた、本気の議論じゃないと思いますよ。ちゃらちゃらと言っているだけでしよう。自分の国じゃないから、無責任に主張しているだけでしょう」。しかし、本書を読むと木村剛氏の理解が間違っていることに気付くはずだが、最終的には読者が判断することになる。木村剛氏の主張は、「日銀は緩和しちゃいけません。円安にしちゃいけません。そんなことになったら日本からお金が逃げてしまいます」ということだ。本書の要旨は「インフレ期待によって景気を回復させようという調整インフレ論である。インフレターゲット/インフレ目標というのは、その調整インフレを実現するための手段として、中央銀行が「何がなんでも3%のインフレを実現する!」という目標値をたてて、それをしっかり達成しろ」ということである。

2004年度の国債発行額は36兆5,900億円である。うち赤字国債が30兆900億円であり、国債発行総額は162兆3,407億円に達する。しかも、短期国債の比率は30.3%、2年もの国債の比率が18.6%である。国債発行額の約半分が2年以内に返済すべきものである。短期国債は金利の影響をもろにかぶる。誰かが格付けのA2から見て危ないと考え、売りに出せば、金利は高騰することになる。この辺も考えておく必要があるのではないか。


北原 秀猛

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•  日本の不況
•  流動性の罠
•  インフレ


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