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人は50代60代に何をなすべきか表紙写真

人は50代60代に何をなすべきか 「老前」の生き方が「老後」の生き方を決める

著  者:鈴木 健二
出 版 社:グラフ社
価  格:1,600円(税込)
ISBNコード:4−7662−0822−6

鈴木健二氏はNHKの現役時代はどの番組を担当しても台本なしで何でもこなしており、“記憶力の天才”と呼ばれていたことを覚えている方も多いかと思う。1988年に退職後は熊本県立劇場の館長、後青森県立図書館長として幅広い地域振興運動で功績を残す。そして、2004年からフリーになる。

資料によると、20代、30代には盛んであった自由や権利への欲求が、次第に日常生活と妥協して衰え始め、50代からは年老いた親への孝行心や人への恩返しの念が反比例して増えてくるのが日本人である。この交差点で老いが始まり、さらに孤独感が襲う75歳からが老後の出発であることを読者に伝えたくて、鈴木健二氏は筆を執ることにしたと述べている。

本書は、第1章:50歳は老いへの曲がり角、第2章:自分の仕事を面白くするのは自分、第3章:人生には第1も第2も第3もない、第4章:“老後”とは心で生きる時間、以上の構成になっている。

日本の社会では、学校で習ったことが直接職業に役立つ人は実に少ないのだと、22歳の時に世の中へ出てすぐに私は実感した。かくして私は、25歳の時には完全に学歴無用論者になっていた。どこで学んだかは問題ではなく、人間として何を学んだか、あるいは学んでいるか、の方が遥かに有用であると思った。

いま世界中で、「人間は2度生きる」という言葉が行き渡っている。1度目は母の胎内でのおよそ260日の生命で、1つの受精卵から人間としての体を創り上げ、やがて時満ちて誕生するまでの命である。2度目は、その誕生から死ぬまでの時間であるが、ここでは生まれたときの体を成長させながら生きる。生まれた後で、手や足がもう一本生えてくることはない。この世の中で最も大切なのは、自分がしっかり生きることである。

「教うるは学ぶことの半ばなり」。中国の古典「老子」の中にある言葉で、私が処世訓の一つとしているものである。人に教えるようになって、やっと勉強は半分まできたというのであるから、あとの半分は教えながら学ばなければならないことになる。この半分を私は50歳に置いている。残りの半分は定年まで10年しかないのである。つまり、3倍もの働きを要するのだ。肝心なのは、この10年間の3倍の働きが可能になる場が与えられるかどうかである。

蓄積したものを使うのは老後である。75歳からである。それまで「負い」続けるのである。その袋を大きくするのが「老前」なのだ。青春時代に描く夢は、自分中心に勝手に描き、そのイメージのフィナーレのシーンに向かって絵を仕上げていき、やがて現実の作品とするのだが、50歳で描く夢は、自分中心であることには変わりはないが、素材は自分の周囲、あるいは自分の50年間の体験の中から取っていくのである。

50歳の「老い」に続くのは、25年間の「老前」であり、その向こうにあるのは、その3分の1程度の年数の「老後」である。そして、終点で両手を広げてお待ちしています、と言っているのが「死」である。人生は煎じ詰めれば、お金と健康と心なのである。このグループと、仏教で言う「生・老・病・死」の団体との戦いが、人間の一生なのだ。

峠を十合目とすると、これからまた十合を下ればよいはずだが、人生の峠道は自然の山を人間が勝手に等分して何合目と決めたのとは違って、合と合の間は等距離ではない。50歳が十合目なら、逆算しても55歳が七合半であり、60歳が五合目、65歳が二合目、70歳が一合目で75歳で一般道路へ出て、この道が十万億土、西方浄土に連結しているのである。肝心なのは、滑り落ちないように、一歩一歩を確実に踏みしめることである。ことに最初の55歳までの二合半は、ここがそれ以後の人生劇の最後のリハーサルだと思って、しっかり稽古をしておくことである。

運命もそうである。ぼやっと突っ立っていたのでは、運命の神様のお告げに従うしかないが、人間には運命を自分で運勢に変える力があるはずなのである。女性・男性を問わず、自分の仕事を面白くするのは、経営者や管理者でもなければ組合でもない。自分である。何十年も勤めているのに、廊下の壁際を申しわけなさそうにうつ向いて歩いている人もいれば、入って間もないのに、廊下の真ん中を肩で風を切って颯爽と歩いている社員もいる。上向きの時期が入社入庁から定年までに一度も訪れてこなかったら、勤め先は自動金銭販売機みたいなもので、入れた金額の品物しか出てこない。労働の基準分しかくれない。

現在の中高年齢層の調査を見ると、「60歳の定年以後も妻が必要であるか」という質問に、90パーセント近くの男性が「はい」と答えているのに対し、「夫が必要か」と聞かれた妻たちで「はい」とうなずいたのはわずか15%で、その開きはあまりにも大き過ぎる。気が付くのは、一人きりになった女性は、夫と呼ぶお荷物をさっさと下ろして、青春時代に夢見ていた女の自由を、残された人生で楽しんでおきたいと考えていることだ。「老前」に入れば、妻や夫は自分が所有する人間ではない。生まれてから50年間に、1つの人格を作り上げてきた人間なのである。しかも、これからの4分の1世紀に渡る時間をかけて、「老後」の自立へと助け合って生きていく最も信頼できるはずの人である。

人間は生きているうちにしなくてはならないことが山のようにある。恩返しもその1つだが、これだけは生きているうちにしかできない。自分の心と体を直接使わなくてはならないからである。そして、時間も必要とする。没後に、遺言で残したお金で橋がかかったり、有意義な奉仕活動団体の援助をしたりして社会への恩返しをされる方もいるが、この場合は、思いやりの心とお金は確かに使うが、時間は一秒もかかっていない。

親の葬式代は息子が全額負担しなくてはならない。“親孝行したい時には親はなし”とはよく言ったもので、葬式を出す時に親はもうこの世の体ではなく、柩の中で仰向けになって寝ているのである。つまり、「老前」前は子供の結婚について準備をする。そして「老前」に入ると同時に、例外の人もいるが、親の葬式の費用をかなり見込んで用意し始めないと、世間様に恥をかく始末になるのだ。

人生は1つの生命が連続しているのである。定年だからと呼吸を止めるわけにはいかない。しかし、定年がもたらす生活と人間関係の変化には対応しなくてはならない。本来、人生論は他人に聞くものではなく、自分で決めるのが正しいやり方なのである。それだけの自信を持って生きてきたはずなのだから、折り目節目、あるいは迷いや深刻な悩みにあたっても、自分のことは自分でやるのがいいのである。最高の資料は自分なのだ。自分なんて何の才能も能力もないと初めに思ってしまったら、立ち上がるのは容易ではない。例えお人好しと言われても、まず自分を、ここまで生きてきた素晴らしい存在だと明るく見ることだ。生きるための必要条件は、お金と健康と心の3つしかないのである。ただし、この3つを、3つともよりよい状態にするには、時間をかけて努力することが求められる。

人間には共通した心理がある。それは心豊かに生きたいという願いである。お金があるのも幸福だし、健康であるのも幸福である。しかし、お金も健康も幸福であることの目安はつくが、心が豊かで幸福であるのは、どこに基準があるのかわからないし、儲かったり、貯金が増えたり、体が日に日に丈夫になったりする途中経過も見当がつかない。むしろ努力と呼ばれる苦しみの連続だったりする。しかし、お金で最後に必要なのは、三途の川の渡し賃六文だけだし、健康の終わりは死に決まっている。だがその直前に、多くの人に「ありがとう」を言い、また「ありがとう」を言われる幸福こそほんとうの幸福であり、豊かさなのだ。

よい思い出をたくさん持った人が、幸福な生涯を送った人であると私は信じている。そういう人は、恐らくいつも温かい微笑みをたたえた表情をして生きているに違いない。美しく老いたいと誰しも考えるが、それを実践できている人は、こうした表情が自然に滲み出ているのではあるまいか。それは女性でも男性でも同じである。

以上が本書の概要である。最後にある「良い思い出をたくさん持つ」、それが幸福な生涯を送った人とあるが、よい思い出は自分一人では持てない。誰かとの出会いの中で生まれるものである。すると、その出会いの中で自分が相手からよくされるには、自分が相手に対して好印象を与える何かの行為があるはずである。一言で表現すれば、他人に対して尽くす気持ちがなければならない。すなわち、「心」の問題である。著者が言う、生きるための必要条件3つの1つが“心”である。人間は一生かかって自分の「心」を鍛え、本物の人間と言われるように、少しでも近づいていくことである。著者が言う「人のために生きてこそ人」である。そんな自分でありたいものである。


北原 秀猛

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キーワード
•  老後
•  老前
•  幸福な生涯


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