企業風土は会社の浮沈を握る重大な問題です。私はテルモという医療機器メーカーの経営を担うようになって10年ほどになりますが、その間、必死になって企業風土の改革に取り組んできました。ビジネスに携わる皆様に多少なりともご参考になればと考え、テルモという企業の“診断と治療のカルテ”の全てを正直に語る決心をしました。
2004年3月期の連結業績では、売上高2152億円で10期連続の増収を続けており、10年前と比較すると、売上は約2倍、利益は約30倍になっています。
テルモの歴史は1921年(大正10年)、北里柴三郎博士を中心として医師たち24人が集まり、国産体温計の製造を目指して「赤線検温器株式会社」という企業が設立されました。それから40年ほど専ら体温計製造を行っており、「体温計のテルモ」として全国に知られるようになりました。60年代に入ると、戸沢三雄社長の強力なリーダーシップにより、事業の多角化を図り、日本初の使い捨て注射器の製造をはじめとし、血液バッグ、ソフトバッグ入り輸液剤、人工臓器、カテーテルなど、多様な医療機器を扱う総合メーカーへと脱皮しました。それに伴い業績も急成長を遂げ、日本の医療機器メーカーでトップの地位につくことができました。ところが、80年代の後半になると、この成長にも衰えが見え始めます。そして、90年代の初頭には3期連続で、連結決算の赤字を出してしまうのです。そうした時期にあった1989年、私は、戸沢社長の要請でメインバンクの1つである富士銀行(現・みずほ銀行)からテルモへ派遣されることになったのです。そして、93年に戸澤氏が病気で急逝し、当時、副社長格として研究開発センターを率いていた阿久津哲造氏が社長として就任することになりました。しかし、阿久津氏は人工心臓の世界的な権威ではありますが、ビジネスの世界に生きた人ではありません。そのため、経営の実務は代表取締役専務として私が担当することになり、翌年には副社長、2年後の95年からは社長へと就任します。その頃のテルモは、ワンマン型の経営体制と極端にアメリカ的経営手法がたたり、企業風土に数々の問題点を抱えていたのです。そこで、私は経営を担うようになって、直ちにテルモの企業風土改革に着手しました。
企業経営で私が最も大切にしているのは、企業活動の目標となる「志」です。私の場合、「志」として特に重視しているのはミッション、すなわち「社会的な使命感」です。人を中心にして経営を考えるというのが私の信条なのですが、「社会的な貢献をするという使命感」が、企業にとっても、そこで働く人にとっても最高の目的なのであり、また、企業風土の中核をなすものだと私は考えています。
テルモの場合、創業以来の理念があります。「医療を通じて社会に貢献する」。私はこの社会的使命感こそが、テルモに働く人を最も活き活きと動かせるエネルギー源だと考えており、社員も企業もこれを志として成長できるのだと信じています。
私が当時の企業風土について、特に問題だと判断した点を列挙してみます。
- 指示待ち体質
- セクショナリズム
- 評論家体質
- 時代や社会状況を見ようとしない
- 人を使い捨てする
そこで、部長以上の幹部社員たちを集めて経営合宿を行い、企業理念を再認識させ、彼ら自身の間でオープンな議論を重ねるように促しました。そして、この合宿で新しい経営方針を打ち出し、企業風土改革の軸とすることにしました。それが次の3つです。
- アソシエイト経営:一人一人がこの会社の主役という気持ちで働く
- 人を軸とする経営:人は財産である
- グローバル経営:高く広い視野から物を見る
企業にはそれぞれの歴史があり発展段階がありますから、そうした発展段階に応じた経営の方法があるはずです。テルモが1000億円の壁を越えて成長したいのならば、ワンマン的なオーナー型経営から脱却し、企業全体が真に機能する経営体制へと転換していかなければなりませんでした。私が経営の重責を担うようになった頃、テルモは長いオーナー的な経営を終えた直後であり、いくつもの危機的な問題を抱えていました。私はそれらを「5つの壁」と呼んでいます。その1つ目は「売上の壁」です。2つ目に直面していたのは「商品開発の壁」でした。3つ目は「財務の壁」、4つ目が「海外展開の壁」、最後にして最大の問題点が「体質の壁」です。
企業風土改革のために行ったのが全国行脚でした。そして、映像メディアを風土改革に活かしました。ビデオ社内報を使って、各部署の仕事の内容を紹介、各種の目標や計画の説明や周知、それらの進捗具合のレポートなどが含まれています。
私は1993年にテルモの経営に携わってから企業風土改革に本格的に取り組み、95年からは売上が再び上昇に転じ、98年にはテルモ単体で1226億円となりました。これは、5つの壁の1つである「売上の壁」を越えたことを意味します。
これからの企業は「顧客志向」という意識をもつことが不可欠になるでしょう。重要なのは、「顧客志向」が社会的な使命感へとつながる点です。顧客のためを考え、それを通じて社会に貢献する。このことが人の心に大きく作用し、自分の仕事への誇りをもたらし、その仕事の質を上げてくれます。顧客志向こそ、人にとっても企業にとっても成長の糧となるのです。
企業は抽象的な議論ばかりしていても変わらないし、活性化もしないものだと思います。経営者が様々な意見や社内の様子に敏感に反応してすばやく動くことが肝心で、社内の活性化もその蓄積が基盤になります。社員の声が社長に届けば、それに社長が反応してくれる。社員がそう思ってこそ、会社の空気は変わります。
私はいつも営業マンたちにこう言っています。「商品を売るんじゃないよ。自分を売るんだよ」。セールスでは、相手の求めていることをきちんと把握することが必要です。相手の価値観や背景となっている文化を知り、それを大切にしながら話を進めていかないと、商談は成立しません。そして、お互いの信頼関係ができて、顧客にとって有益な人間だと認められるようになると、「あの人が言っているのだから買おうか」と思ってもらえるようになります。そうなるだけの信頼を勝ち取るには、相手に対してきちんとしたアピールをしなければいけないわけで、私が「自分を売れ」というのはそういう意味なのです。自分を売るには、自分を磨かなければいけません。
現在のように企業間の競争がグローバルに展開されている時代には、海外戦略が重要なことは言うまでもありません。しかし、今後の戦略を考えるとき、見落としてはいけないのは足元にある日本市場を固めることの重要性です。これは、これから成長する商品分野と、既に成熟した商品分野とのバランスをどう考えるのかということとも関連してきます。
これからの時代は、人や企業としての意思や志、すなわち「いかに生きるか、何を目指して生きるか」という美意識が重視されるようになると私は考えます。創業以来、テルモには「医療を通じて社会に貢献する」という理念があります。この志を明確に意識した経営が、今後の成長のカギを握っています。そして、この理念を具現化した施設が、2002年神奈川県中井町に完成した「メディカルプラネックス」です。「プラネックス」とは、練習、熟練という意味の「プラクティス」と別館を意味する「アネックス」とを融合させた造語です。この施設は医師や看護師など医療関係者が、高度な医療機器を用いる際の訓練を行えるように設計されています。プラネックスの内部には、実際の病院さながらの手術室が用意されており、そこには最新鋭の医療機器と医療トレーニング用の専用機器が完備されています。この訓練施設を病院関係者などに開放することで、テルモは医療技術の発展に寄与したいと考えています。新しい時代の日本企業にとって、自分たちが社会に対してどのような使命感を持って活動していくのかということが、ますます重要な指針になると私は考えているのです。テルモは2001年に創業80周年を迎えました。私はその式典の場で、「テルモはユニークな輝く技術で、人にやさしい医療を実現します」というビジョンを掲げました。
「人生にはたった一つの無駄もない」。もし、それが無駄になっているとしたら、無駄にしているのは自分自身ではないでしょうか。嘆くことではなく、覚悟を決めることで活路は開けます。
以上が本書の概要です。読んでいただくとわかりますが、和地社長の理念・経営哲学がひしひしと伝わってきます。経営とはかくなければならない、と感じると思います。最初に掲げた「5つの壁」もすべてクリアーしていますが、著者はこれでもういいと思ったときから衰退は始まりますと自分を戒め、改革もまたその途上にあるとの認識です。本書のなかに何回も出てくる「使命感」を強く持つことが、よき経営の基本のように思います。
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