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生き方 人間として一番大切なこと

著  者:稲盛 和夫
出 版 社:サンマーク出版
価  格:1,785円(税込)
ISBNコード:4−7631−9543−3

私たちはいま、混迷を極め、先行きの見えない「不安の時代」を生きています。豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感がある。やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり、中には犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいます。

そのような閉塞感的な状況が社会を覆いつくしているのはなぜなのでしょうか。それは、多くの人が生きる意味や価値を見出せず、人生の指針を見失ってしまっているからではないでしょうか。そういう時代に最も必要なのは、「人間は何のために生きるのか」という根本的な問いではないかと思います。まず、そのことに真正面から向かい合い、生きる指針としての「哲学」を確立することが必要なのです。

生きている間は欲に迷い、惑うのが人間という生き物の性です。放っておけば、私たちは際限なく財産や地位や名誉を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。魂というものは、「生き方」次第で磨かれもすれば曇りもするのです。この人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなるのです。

 

「考え方」を変えれば人生は180度変わります。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
つまり、人生や仕事の成果は、これら3つの要素の“掛け算”によって得られるものであり、決して“足し算”ではないのです。常に前向きで建設的であること。感謝の心を持ち、みんなと一緒に歩もうという協調性を有していること。明るく肯定的であること。善意に満ち、思いやりがあり、優しい心を持っていること。努力を惜しまないこと。足るを知り、利己的でなく、強欲ではないことなどです。

人生はその人の考えた所産であるというのは、多くの成功哲学の柱となっている考え方ですが、私もまた、自らの人生経験から、「心が呼ばないものが自分に近づいてくるはずがない」ということを信念として強く抱いています。

面白いことに、事前に明確に見えることのできたものは、最終的には必ず手の切れるような完成形として実現できるものです。反対に、事前にうまくイメージできないものは、できあがっても「手の切れる」ものにはならない。これも私が人生のさまざまな局面で経験、体得してきた事実なのです。

DDI(現KDDI)が携帯電話事業を始めた時も同様です。「これからは携帯電話の時代がやってくる」と私が言い出した時は、周囲の人たちはみんな首をかしげるか、そんなことはあり得ないと否定論を口にしたものです。当時、京セラで手がけていた半導体部品などの事業を通じて、私は半導体の技術革新の速度や、そのサイズやコストの変遷について十分な経験知を持っており、そこから類推して、携帯電話という新しい商品の市場の広がりを、かなりの精度で予想することができたからです。

志を高く持つことは大事ですが、それを実現するには、やはり目標に向かって一歩一歩積み重ねる地道な努力を欠かすことはできません。京セラがまだ町工場だったころから、当時は100人に満たなかった社員に向かって、私は繰り返し「この会社を必ず世界一の会社にするぞ」と“大言壮語”していました。それは遠い夢物語でしたが、必ず成し遂げてみせると心に強く抱いた願望でもありました。

一つのことを飽きずに黙々と努める力、いわば今日一日を懸命に生きる力です。また、その一日を積み重ねていく継続の力です。すなわち、継続が非凡に変えるのです。安易に近道を選ばず、一歩一歩、一日一日を懸命、真剣、地道に積み重ねていく。夢を現実に変え、思いを成就させるのは非凡なる凡人なのです。

私たちはともすると、物事を複雑に考え過ぎてしまう傾向があるものです。しかし、物事の本質は、実は単純なものです。一見、複雑に見えるものでも、単純なものの組み合わせでできている。人間の遺伝子は30億という気の遠くなるような数の塩基配列からできているそうですが、それを表す文字の種類はたった4つに過ぎません。真理の布は一本の糸によって織られている。人生も経営もその根本の原理原則は同じで、すごくシンプルなものなのです。人からよく経営のコツや秘訣を聞かれることがあるのですが、私の持論を述べると、みなさん怪訝な顔をされることが多い。そんな簡単なことは知っている、そんな原始的なことで経営ができるのかというわけです。「人間として何が正しいのか」、という極めてシンプルなポイントに判断基準を置き、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていく考え方です。

福沢諭吉が講演で語った一節に、「思想の深遠なる哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、これに加わるに小俗史の才をもってし、さらにこれに加うるに土百姓の身体をもってして、初めて実業社会の大人たるべし」、というのがあります。哲学者のような深い思考、武士のような清廉な心、小役人が持ち合わせるぐらいの才知、お百姓のような頑健な体。これらが揃って初めて、社会に役立つ「大人」たることができるというのです。

物事をなすには、自ら燃えることができる「自然性」の人間でなくてはなりません。私はこのことを、「自ら燃える」と表現しています。ものには3つのタイプがあります。

  1. 火を近づけると燃え上がる可燃性のもの
  2. 火を近づけても燃えない不燃性のもの
  3. 自分勝手に燃え上がる自然性のもの

人間のタイプも同じで、周囲から何も言われなくても、自らカッカと燃え上がる人間がいる一方で、周りからエネルギーを与えられても、ニヒルというかクールというか、冷めきった態度を崩さず、少しも燃え上がらない不燃性の人間もいます。能力は持っているのに、熱意や情熱に乏しい人と言っても良いでしょう。こういうタイプは、せっかくの能力を活かせずに終わることが多いものです。

このごろの日本人が失ってしまった美徳の一つに「謙虚さ」があるでしょう。常に控えめに頭を低くし、手柄は人に譲って、得意のときこそ己を抑制して淡然と振舞う。そちらこそお先にどうぞと互いに譲りあう、慎ましい心。例えば、選挙にしても、地元への利益誘導型の政治家を「おらが先生」として選出する風潮がまだまだ根強く、言ってみれば、才あれども徳に乏しき人間を自分たちの長としていただきたがる。人の上に立つ者には才覚よりも人格が問われるのです。

私は自らの経験から次のような「6つの精進」が大切ではないかと思い、周りの人たちに説いてきました。

  1. 誰にも負けない努力をする
  2. 謙虚にして驕らず
  3. 反省ある日々を送る
  4. 生きていることに感謝する
  5. 善行、利他行を積む
  6. 感性的な悩みをしない

これらを私は、「6つの精進」として常に自分に言い聞かせ、実践するよう心がけています。このような当たり前の心がけを、日々の暮らしに溶かし込むように、少しずつでいいから堅実に実践していくこと。

感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親であるかもしれません。自分の耳に痛いことも真っ直ぐな気持ちで聞き、改めるべきは明日と言わず、今日からすぐに改める。そんな素直な心が私たちの能力を伸ばし、心の向上を促します。

天網恢恢疎にして漏らさず――見ていないようで、人間のすることを、思うことの理非曲直を神様というものは実によく見ている。従って成功を得る、あるいは成功を持続させるには、描く願望や情熱がきれいなものでなくてはなりません。ですから、まず私心を含まず、きれいな心で思う。そのような思いを持って「正剣」を抜くことが、物事を成就させ、人生を豊かなものにしてくれるのです。

京セラの経営理念は、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する」というものです。企業経営の目的は、まず第一に、そこで働く人たちの生活と幸福を実現することにある。しかしそれだけなら、一私企業の利益を計るだけのエゴにとどまってしまう。企業には社会の公器として、世のため人のために尽くす責務もある。創業から数年後、会社の基礎も固まってきた頃、私は暮れのボーナスを社員一人ひとりに手渡した後、その一部を社会のために寄付することも考えたらどうかと提案しました。社員全員から少しずつお金を出してもらい、それと同額のお金を会社からも提供して、それをお正月にお餅も買えないような貧しい人へ寄付しようと提案したのです。従業員はそれに賛同してくれ、ボーナスの一部を快く寄付してくれました。これが今日、京セラが行っているさまざまな社会貢献事業の先駆けとなり、その精神は今も変わることなく生きています。

1985年に「京都賞」を創設しました。私が持っていた京セラの株式や現金など200億円を拠出して稲盛財団を作り、先端技術、基礎科学、思想・芸術の各分野で素晴らしい業績を上げ、多大な貢献を果たした人たちを選んで顕彰、その功績を讃えようという趣旨で始めたもので、現在では、ノーベル賞に匹敵する国際賞として高く評価していただけるようになっています。

私は、これからの日本と日本人が生き方の根に据えるべき哲学を一言で言うなら、「足るを知る」ということであろうと思います。また、その知足の心がもたらす感謝と謙虚さをベースにした、他人を思いやる利他の行いであろうと思います。

人生には、それを大本で統御している「見えざる手」がある。しかもそれは二つあると私は考えています。一つは運命です。人はそれぞれ固有の運命を持ってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていく。もう一つは「因果応報の法則」です。運命は宿命にあらず、因果応報の法則によって変えることができる。善き思い、行いを重ねていけば、そこに因果応報の法則が働いて、私たちの運命に定められた以上の善き人生を生きることが可能なのです。

私は、自分の人生を3つの期に分けて考えていました。80年をこの世での寿命として、第1期の20年は、この世に生まれ、ひとり立ちして人生を歩き始めるまでの期間。第2期の20歳から60歳までの40年は、社会に出て、自己研鑽に努めながら、世のため人のために働く期間。そして第3期は60歳からの20年間で、死(魂の旅立ち)への準備に当てるべき期間です。死によって私たちの肉体は滅びますが、心魂は死なずに永世を保つ。

私は、人間の心は多重構造をしていて、同心円状にいくつかの層をなしているものと考えています。すなわち外側から、

  • 知性:後天的に身につけた知識や論理
  • 感性:5感や感情などの精神作用を司る心
  • 本能:肉体を維持するための欲望など
  • 魂:真我が現世での経験や業をまとったもの
  • 真我:心の中心にあって核をなすもの。真・善・美に満ちている
という順番で、重層構造をなしていると考えています。

人間の本質とは何か。私たちは何のためにこの世に生まれてきたのか。それは人間が生きている限り、永遠に追究し続ける課題でしょう。

以上が本書の概要です。著者は「挫折を繰り返しながらも人間としてよりよく生きることに懸命だった青少年時代、経営の実践の中で人々を成功や繁栄へと導く考え方を追究した経営者時代、そして事業の第一線を退き信仰を通じて人生の意義について思索を重ねる現在――私は、このように人生に対して真正面から愚直に向かい合うことで、自分なりの“生き方”を少しずつ確立していくことができたように思います」、と述べています。本書を読んで稲盛氏の素晴らしさは、稲盛教ファンが大勢いるという事実からもわかるような思いを強く感じることができます。人間としてどう生きるべきか、という大切なことが失われている日本。本書は、われわれが忘れかけていた人間としての心を思い起こさせ、奮い立たせる本です。是非一読をお勧めしたい。


北原 秀猛

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