「カミカゼ」とは、中国特需のことである。中国の原油輸入量は、前年比で軽く30%以上も増える勢いだ。猛烈な勢いで原油を飲み込み始めた中国は、一緒に世界中の製品も丸呑みし始めた。特に日本製品はお口に合うようで、日本は中国向けの輸出が大変な伸びを示している。日本にとってデフレの震源であった国が、買い捲くっているのである。そのお蔭をもって、皮肉なことに、日本経済は景気回復を遂げる姿になっている。
本書は、序章:世界経済30年目の大転換か、第1章:「デフレ下の景気回復」という怪、第2章:21世紀型景気回復の正体、第3章:苛立つアメリカ、第4章:中国特需という「カミカゼ」、第5章:なぜ日本製は復活したのか、第6章:日中新時代とアメリカの終焉、終章:拡大EUと日本の針路、の構成になっている。
今回の景気回復の背後には、従来型の景気回復とはまったく異なる“恐ろしい顔”が隠されている。これは明らかに、「構造改革なき景気回復」である。小泉首相は「改革なくして回復なし」と言い切ったが、日本経済は構造改革という重力なきままに、「改革なくして景気回復あり」という方向へと浮遊し始めている。しかも、グローバル経済の中心だと考えられていたアメリカという“地軸”がぶれ始めた。富と資金の偏在が顕著になり、世界中でのっぴきならない経済の地殻変動が起こっている。いまや経済はグローバル化している。国境を越えて、人も、モノも、金も、情報も動く時代である。とすると、景気回復の帰結も当然、これまで考えられていた姿にはならないはずである。
景気回復という場合、経済の拡大に伴って、それはおのずと経済格差を埋め、格差の“均衡”を求めて動いていく力として作用するものである。ところが、いまの回復は、“均衡”へと向かうベクトルを伴っていない。今回の景気回復は様相がおかしい。日銀の短観ベースで見ても、大企業の業況が大幅に改善しているにもかかわらず、それが中堅・中小企業の業況判断に及ぼす改善効果が薄いのである。
日本経済は、依然としてデフレスパイラルから抜け出していない。景気回復だと言いながら、恐ろしいことに、一方でデフレは加速しているのである。インフレの下でGDPの成長率を計るときは、まず名目成長率を求め、それから実質成長率を求め、その後にGDPデフレーターが求められるという形になっていた。物価が上昇し、インフレが進んでいるからこそ、実質成長率を求めることに意味があったということだ。デフレの下で、その名目成長率を求め、実質成長率を求めることは、大雑把に言えば物価の下落分だけ“上げ底”をするということである。本来経済は、すべて名目の世界で動いているからである。要するに、デフレの下では、実質という概念は意味をなさない。
デフレ下での景気回復という現象は、グローバリゼーションと切っても切り離せない因果関係にある。ここ数年のITの急速な発達によって、ビジネスの現場は大きく様変わりした。大企業では、グローバル調達と称して、インターネットでスペックを示し、海外から最も安い部品を調達する仕組みをほぼ完全に組み上げている。グローバル調達が当たり前になり、元請、下請け、再下請け、再々下請けという経済波及の経路がずたずたに寸断されたいま、日本は経済を波及させる経路を失ったさえ言える。一口に景気回復と言っても、このような状態で日本経済が全体としてよくなるとは言い難い。私はそれが、今回の景気回復の最大の特徴だと見ている。
また、今回の景気回復は、業種間における格差を拡大するとも考えられる。「勝ち組」を勝ち続けさせ、「負け組」」を負け続けさせる結果をもたらすことになる。「2極化の極大化が起こっている」、ということである。地域間格差も大きくなり、この格差が景気回復で縮まるどころか、より開いていくと考えざるを得ない。公共事業に依存している地域は最も厳しい状況にある。というのも、デフレ経済で税収が増えない以上、公共事業が戻ることはないからである。
個人でも「勝ち組」が勝ち続け、「負け組」が負け続けるという構図になる。すなわち、就職してきちんとキャリアを積んでいく人と、そうでない人との格差が拡がる。ましてや、終身雇用制度という形態が崩れてしまった現在、企業内教育も満足に行えないのが現状である。
日本では、いわゆる需給ギャップの問題がまだ解決していない。需給ギャップとは、経済の供給の伸び率と、現実の需要の伸び率(実質成長率)との乖離のことである。需給ギャップが大きいほど、「不況」であると言うことができる。
中国の特需により、鉄鉱石の価格が上がり、原料炭の価格が上がり、原油の価格も上がっている。中国の国内需要と、それに引っ張られる形で各国が中国向け製品の増産態勢を取ったために、その原料となる一次産品の値が上がっているということだ。
古典的にインフレと言うときは2つある。1つが「デマンド・プル・インフレ」、もう1つが「コスト・プッシュ・インフレ」である。デマンド・プル型は、景気の加熱などが原因となり、総需要が総供給を超えることによって生じるインフレである。一方のコスト・プッシュ型は、人件費や原材料価格の高騰が原因となり、生産費用が上昇することによって生じるインフレのことだ。日本においては、いまやベアゼロが当たり前のようになっている。かつ高失業率であり、フリーターの数が増え、派遣社員の存在が広がっている。加えて仕事を丸ごと外注に出すシステムも構築されている。とすれば、例え原材料費が多少値上がりしたとしても、コスト・プッシュ・インフレが起こるとは言いにくい。
市中にカネが流れない理由は2つある。1つは、預金が増えないということだ。家計はみな、定期性預金や保険を解約し、貯蓄を取り崩して生活を営むという姿になっている。このような状況の下、個人口座の預金は減る一方である。2つ目は、銀行の貸し出しが増えないということである。いま企業は、どこもみなキャッシュ・フロー、つまり余剰金の範囲で投資を行っている。大きな資金が必要なときは、社債を発行するなどして、証券市場から直接資金を調達するのが当たり前になっている。この結果、銀行はいま貸し出し先がなくなっているという深刻な問題に直面している。従って、結局、日銀が量的緩和政策だとして当座勘定に用意している30兆〜35兆円というカネは市中に流れてこないのである。
日本の長期金利は上昇基調と見てまず間違いない。と言うのも、日本の輸出主導の大企業が業績を伸ばしており、そうした大企業の株を買う機関投資家の意欲も強まりつつあるからだ。機関投資家たちは、株の購入資金を作るために債券市場で国債を売らなければならず、そのタイミングをいまかいまかと見計らっている様子なのである。投資家が国債を売って株を買うとすると、国債相場は下落する。国債相場が下落すれば、国債の流通利回りである長期金利は上がる。実は、債券市場の売りという流れがいったん生まれれば、長期金利の上昇基調は簡単に起きる。
長期金利の日米逆転が起これば、日本経済にとっても大きな痛手である。米国債の相場が暴落すれば、それを6200億ドル以上も保有する日本は、大きな評価損を被る。為替レートもここに関わってくる。アメリカの政策金利引き上げ期待からドルが買われて、いまでこそ円安にふれているが、実はドル安の流れを生む条件は何一つ変わっていない。ドル安を求めるアメリカ国内産業の圧力もある。
いま中国の最大の輸出先はアメリカである。アメリカの対中国の貿易赤字は、2003年で1000億ドルを軽く超え、中国は最大の貿易赤字相手国になっている。
日本の「重厚長大」産業が復活している。粗鋼の生産量が世界1位の国が、鉄鋼を輸入するというのも不思議な話だが、理由は明快である。中国では粗鋼は生産できても、抗張力鋼板や表面処理鋼板などのいわゆる高級鋼は生産できないからである。つまり、建設用の鉄骨などの国内生産ができても、自動車のボディーに使うような鋼板やエレベーターの箱に使うような鋼板、あるいは流しに使うスレンレスといったものは作れない。中国から見れば、最も近く、親しみがもてる先進国は、やはり日本以外にないということになろう。韓国はもっと近いが、北朝鮮問題がネックとなって、やすやすとは接近しづらい部分がある。
もっとも、中国にも大きな問題はある。一つは、中国には金融市場と言えるような金融市場が整備されていないことである。多くの中国企業は不良債権化しているとも言われ、党中央も去年あたりから金融改革に力を入れ始めている。金融市場が未整備であることは、個人が自動車を購入するときに、すべて現金購入だという点からも理解できる。日本では、車を購入する場合、普通24か月あるいは36か月のローンを組む。個人への与信がきちんとできているのである。ところが、中国ではこうした個人への与信がない。
また、中国が近代国家として欠いている最大の要素は、金融市場の整備以上に税制だと言うこともできる。中国では、税金徴収の基本法である「中華人民共和国税収徴収管理法」が2001年に制定されている。その年の10月には実施細則が施行され、納税登録の徹底を図り、脱税を防ぐための当局の検査権限を強化もしている。
いま中国の財政収支は、どんどん赤字を積み上げている格好になっている。1997年までは500億元台の赤字で推移していたものが、98年には900億元台に跳ね上がり、2001年では2500億元程度になっている。そして、直近の値である2002年の財政収支は、およそ3000億元の赤字へと膨らんでいる。中国のGDPがおよそ10兆2400億元、歳入がおよそ1兆8900億元(2002年)だから、歳入の6分の1弱である。
中国特需という「カミカゼ」は、日本企業淘汰の第2幕の始まりと言うことができる。デフレ経済下のおよそ10年の間に、技術を磨き体質を変えてきた企業は上昇気流に乗って吹き上げられるが、それを怠った企業は中国という“ふいご”に吹き飛ばされて、淘汰への道を歩まねばならないということだ。
グローバリゼーションは一言でいえば、人、モノ、カネ、情報のトランスポーテーションの手段の大きな様変わりである。人、モノ、カネ、情報のトランスポーテーションは一国に限定されずに、ほとんど完璧に、自由に世界を動き回ることができるようになった。その象徴が、リアルタイムで地球の裏側の情報がとれるインターネットの世界だと言える。それに伴い、資本主義経済も、もはや一国や特定のブロック内の問題にとどまるものではなくなっている。資本主義をグローバルに展開するときのいちばんの問題は、国際スタンダードである。現在は国際スタンダードをめぐる猛烈な覇権争いが起きている。それが、アメリカが自分流のグローバリゼーションを世界に押し付けようとしている最大の理由とも言える。
アメリカは、自国に都合のいいグローバリゼーションを行い、自ら率先して新しい世界秩序をつくろうと動いてきた。しかし、その間に状況は様変わりし、いつの間にか世界の市場経済の流れから取り残されようとしている。アメリカ流グローバリゼーションとは関係のないところで起こった、中国の猛烈な上昇気流を軸にして、世界が動き始めたということである。
日中の経済が結びつこうとしているのは、単に、地政学的な理由と、日本がものづくりの高い技術を持っているからである。日本は中国の「進化のプロセス」にうまい具合に組み込まれているのである。日本経済はこれまで輸出主導であり、内需主導に転換せよと、さまざまな形で批判されてきた。しかし、いまや内需主導の経済は幻想に終わりそうである。家計部門が赤字に転落し、高齢化のペースがどんどん速まるといったことを考え合わせると、これから先、消費が伸びて景気を引っ張り、これが経済を牽引することは想定しにくい。
以上が本書の概要である。著者が『あとがき』の稿で、「どのような財、サービスであっても、それを市場に投入すれば適正な価格が決まるという、従来型の“市場論”では解決できないことが多すぎるのだ。グローバルな規模へ市場が拡大することは、すなわち市場の変質を意味するとも考えられる」、と述べている。すなわち、原油をはじめとする一次参品の値上がりや、一向に収束しないデフレなど、従来の市場の論理が通用しない世界の出現である。2004年4月〜6月のGDPの改定値が9月に入って発表されたが、速報値より下がっており、株価を下げる結果となった。堅調なのは相変わらず輸出であり、名目で3.5%の伸びである。1月〜3月のGDPでも名目で3.1%の伸長率を示している。著者が本書の中でも述べているが、輸出主導で日本の景気を牽引していく公算が強い。デフレはもはや13年間も続いているが、まだ完全に脱出するには2年程度はかかりそうである。ともかく本書でわかることは、経済のパターンが大きく変わり、従来のものさしでは計れなくなったということである。
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