本書は、キャノンの御手洗冨士夫社長へのインタビューを聞き書きという形に再構成したものです。われわれが焦点を当てたのは、キャノンの快進撃の秘密と、そこにおける経営トップの役割ということです。御手洗氏が社長に就任した当時、キャノンは売上高が2兆900億円に対し、借入金が8400億円に上り、財務体質の改善が急務でした。事業ごとに見てみると、キャノンの長所であるベンチャー精神が行き過ぎて、儲からない事業がいつの間にか増えており、事業部ごとの縦割り組織がさまざまな形で非効率を生んでいることが見受けられました。技術陣の良い意味でのチャレンジ精神は大事にしながらも、それまでの社内の意識を改革し、少しでも、より多くの利益を生み出せる会社に変えたい。それが社長就任当時に立てた御手洗氏の目標だったのです。
本書の構成は6章に分かれており、序章:利益重視の原点、第1章:利益追究への改革、第2章:会社を強くするコミュニケーション、第3章:組織を動かす仕掛け作り、第4章:メーカーの競争力の源泉、第5章:戦略の柱は多角化と国際化、第6章:社会に親しまれる会社、となっています。
御手洗氏は1966年、ニューヨークに販売会社キャノンUSAを設立されました。その時に学んだことが“利益が定期預金の利息にも満たないようなビジネスは、アメリカでは存在する価値がない”ということです。それから「利益重視」という考えを持つようになりました。以来、今日に至るまで、その考えは私の発想の根幹であり、経営の原点となっています。社長就任後、初の年頭方針の中で、私は幹部をはじめ社員に向けてこんな話をしました。「会社にとって大事なのはまず、“従業員の生活の安定を図ること”であり、2つ目は“投資家に利益を還元すること”、3つ目は“社会貢献をすること”、そして4つ目は“先行投資する十分な資金を稼ぐこと”である」、と。
メーカーが利益を追求するには、競争力のある製品を開発することが不可欠です。そのためには、製品の基礎となる技術開発をはじめとして、製造コストを下げるための生産技術、消費者ニーズを正しく把握する調査力、競合他社の動きを予測することなど、いろいろな要素が必要です。それだけではなく、将来の技術動向の予測とか、経済情勢や為替動向、金利などの経営環境の変化をいち早く認識して対応していくことも求められます。そのように考えると、メーカーにとって一番大事なものは、社内外のあらゆる状況を分析し、環境の変化に合わせながら自社の強みを最大限に発揮していく「変身力」であると言えるでしょう。
今のキャノンでは1年に十数種類の新機種を発表していますが、そこには映像エンジンをはじめ、社内開発によるさまざまな独自技術が使われています。
1995年当時のキャノンの株主資本比率は35.1%にすぎず、一方、有利子負債依存度は33.6%に上がっていました。2兆900億円の売上に対して、借金は8400億円もありました。利益の伸び悩みが続いていた上、収益源が事務機に大きく偏っていました。そうした収益基盤のアンバランスによる脆弱さも問題でした。キャノンの歴史を振り返ってみると、開発に失敗したり、経済情勢が悪化して経営状態が低迷しても、ヒット商品が出てまた勢いを取り戻すといったことが何度もありました。そのためわれわれは、いつの間にか「不採算商品が少々あっても、ヒット商品さえ出せばたちまち挽回できる」という安易な考えを身に付けてしまったのではないかと思います。赤字事業が少しくらい経営を圧迫しても、儲からない事業を閉鎖するという行動になかなか踏み込めなくなっていたのです。経営が非効率になったもう一つの要因は、事業部の独立性が強くなりすぎたことだと思います。
財務体質を改善するには、まず8400億円の借金の返済から始める必要がありました。それを達成するためのベースとなる考え方が、「部分最適」から「全体最適」への意識改革でした。具体的な方法としてはまず最初に、連結決算主体の経営と連結決算ベースの事業評価システムの構築が挙げられます。2番目には、全体最適の意識が徹底されるように、事業部間に横串を通すような委員会組織を創りました。同時に「損益計算書重視」から「バランスシート重視」のキャッシュフロー経営へと切り替えました。さらにコスト構造を抜本的に変えるために、セル生産方式やサプライチェーンマネジメントを導入しました。
企業が自由に使える資金源は、大きく分けて3つあります。1つ目は過去の投資に対する減価償却費、2つ目は税金を支払った後の純利益、3つ目は管理努力により売掛債権や在庫などの資産を圧縮して得られる資金です。1995年当時のキャノンの設備投資は、年間で約1300億円ありました。減価償却費は約800億円ですから、純利益が500億円あれば、借金せずに設備投資ができることになります。そこでまず、純利益が500億円を超えるための目安である「経常利益1000億円の達成」を全社的な目標に定めることにしました。実際、7つの不採算部門は、毎年730億円ほどの売上を出していたものの、同時に260億円もの赤字を出していました。これらをやめたおかげでマイナス材料が消え、財務体質の改善に大いに役立ったのです。
コミュニケーションをよくする上で最も大事なことは、私は「回数」だと考えています。年初から私は合計14回、年頭方針を述べていますが、聞く側は、例えば課長の場合、年初に事業部長に聞き、後に私から直接聞くことになります。一般の社員たちは年初に事業部長、後に課長から説明を受けることになります。また、社内のホームページや社内報誌を通しても経営方針は伝えられます。コミュニケーションを促進する方法と言えば、ITも忘れることはできません。インターネットや電子メールは、使い方によってはコミュニケーションを深める上で、大変大きな役割を果たしていると思います。
すべての経営者に共通する使命は企業価値を高めることでありますが、そのための手法は、国や会社によって違うということです。経営を貫くものは合理主義ですが、何が合理的かは国によって異なると思います。会社はその国の社会の一部ですから、その社会にマッチした経営を選択しなければならないということです。
キャノンの会議では、1時間か1時間半のタイムリミットの中で徹底的に意見をぶつけ合い、結論を出してしまいます。私は会議に出席するときは必ず目的を持って、会議に来たからものを考えるのではなく、会議には結論を持ってくるようにとみんなに言っています。私は、議論が活発なのはキャノンの企業文化なのだと思っています。キャノンの役員は昔から、毎朝7時半までに出勤することが慣習になっており、私も7時20分には出社しています。
セル生産方式とは、ベルトコンベアによる流れ作業ではなく、セル(細胞)と呼ばれる少人数のチームが複数の工程を一貫してこなし、1つの製品を作り上げる方式です。セル生産方式を見てまず感じたのは、ベルトコンベアと比較して、作業者の習熟度がそのまま生産性に反映されることと、そのために作業者が向上心を持つというメリットです。セル方式のコストダウン効果は、直接的にも間接的にも絶大です。セル方式の導入をきっかけとして「マイスター制度」を設けました。1人で何工程も受け持つことができる多能工になると、マイスターとして表彰するのです。このランクの作業員は現在100人以上います。
メーカーはどこでも、部品や設備を外注するか内製化するかという選択を迫られていると思います。キャノンでは、以前は何でも外注に出していました。今は内製化を進める方向です。これは2つの変化があったためです。第一に、生産規模が大きくなったことです。例えば、カメラを何十万台しか作っていなかった頃は、部品は外から買ってくる方が安くすみました。しかし、1000万台を超える規模になった今は、自社で作ってもまったくコスト高にならないのです。第2に、生産技術が進歩して、部品を作る設備そのものも自分で安く造れるようになったことです。従って、量産するものは、製造設備からすべて自前にする方がメリットが大きいと判断しているわけです。
キャノンの歩みを振り返ると、「多角化」と「国際化」を2本柱とした経営戦略のもとで、時代に合わせた「変身」を遂げ、成長してきたことがわかります。多角化と国際化は、これからも戦略の中核であり続けると思います。
1960年代になると、キャノンは自社の中に新たなエレクトロニクス技術を加えて、テンキー式の電子式卓上計算機へ進出しました。テンキー式電卓はキャノンが世界で初めて作ったものです。電卓は事務機という広大な市場への足がかりとなりました。同じ1960年代、事務機市場を深耕する狙いで、元々の光学・メカ技術に電卓で培った電気・電子技術、新たに化学系の技術を導入して複写機を生み出しました。複写機が軌道に乗ると、通信技術を取り入れてファックスを作りました。その後、複写機で培った電子写真技術を発展させてレーザービームプリンタが生まれました。一方、戦前からの光学技術を高めることで、テレビカメラ用レンズができました。また、精密加工技術を加えてステッパーも作りました。これは半導体の回路パターンを光学的に焼き付ける装置です。
これから日本が産業構造を転換していくためには、レーガン政権が行った政策の1つである産学官の連携が必要です。アメリカの産業再生の背景には、産学官協同の研究開発体制があります。例えば、アメリカのいくつかの大学は委託研究機関として機能することで、産学官が三位一体となって国家プロジェクトが動いています。日本でも国立大学の独立行政法人化に伴って、大学から創出された技術の特許取得、活用、保護による知的財産権管理の強化が行われると思います。大学で生まれた特許は大学内のTLO(Technology Licensing Organization=技術移転機関)を通じて、もっと産業界に使われるようにすべきです。
「社会に親しまれる会社」や「社会から尊敬される会社」には、会社の業績が優良であること以上に、大切なことが3つあります。まず第1に「社員が優良市民であること」です。第2の点は、「環境との共生」です。第3の点は、「コンプライアンス(法令遵守)」です。
以上が本書の概要です。本書は最初に述べましたようにインタビュー方式をとっておりますが、今日なぜキャノンが世間から評価される素晴らしい企業になったかがよく出ています。編集部が焦点を当てたのは、キャノンの快進撃の秘密と、そこにおける経営トップの役割という点ですが、その辺もよく御手洗富士夫社長から引き出しております。やはり経営に必要なのは、まずトップの経営に取り組む上での哲学の有無です。そこに将来を見通した企業目標と、しっかりとした価値観があるということです。経営者にとっても、また、幹部にとっても経営に取り組む上で大変に参考になる本書です。
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