私はテレビが白黒の時代から、NHK出演者を中心にメークをしてきた。その数は10万人にも上る。俳優やタレントと共に、政財界人や文化人も多くいた。この本に登場する人物はその中でも自分の「顔」を磨き、トップに上りつめた人達だ。鏡の前に座った人はまな板の鯉である。だからこそ、上りつめた人達の普段見せない心の内を見ることができたのだと思う。多くの人達の顔を通して感じたのは、人間誰でもそんなに強くないということだ。美容室の中では不安や孤独、自分の醜さを嘆いたりする心が垣間見える。それと同時に感じたのは、世の中で成功する人達は自分の見せ方を知っているということだ。外見だけではなく、心の欠点までもメークや服装で補うことができるし、自分の売りを最大限に引き上げることもできる。美しく装うだけでなく、自分を道具としてメークや服装を考えている。人生は筋書きのない小さなドラマの積み重ねである。あなたにとって「顔」とは何か?是非、自分の姿を鏡に映しながら読んで見て欲しい。
本書は、第1章:顔を変える・誰にでもある変身願望、第2章:顔をつくる・一流の顔ができるまで、第3章:顔は語る・顔には人生が表れる、第4章:顔とビジネス・戦術としての顔、第5章:顔と場・一流の自己演出、第6章:顔と心・人は見た目、第7章:男のおしゃれ・時代と共に変化する顔、第8章:世界の顔・一流への道、の構成になっている。
手塚治虫さんの鼻は素晴らしい。手塚さんは私が創造していた通り、温かい雰囲気の顔だった。普通、人の顔を見るとき、最初に見るのは目である。ところが手塚さんの場合は鼻だ。この鼻が素晴らしい。まん丸で、温かそうで、嫌なことを皆ハッピーにしてくれそうな鼻だった。「ご自分の顔がお好きですか?」と私がたずねると、手塚さんは笑っていた。「はい、大好きです」と言っている顔だ。鏡を見て自分の外見の特徴をつかむことは、相手に自分をどう伝えるかを考える上でとても大切だ。また自分の顔が良いと思えるようにならないと、鏡をじっと見ることはできないし、自信も持てない。
作家の松本清張さんが自作のドラマにゲスト出演することになった。「先生、髭をつけると顔がちょっと変わって締まりますよ」。顔に対する髭の印象はとても強い。男優が善人、悪人どちらかを演じる時、もう1つインパクトが足りない場合に髭を使う。
三木のり平さんの変身スイッチは1本のアイラインだった。「僕はいつでもお笑いの三木のり平じゃないんだよ。この鉛筆でね、そっと線を1本入れると気持ちが切り替わるの。これをしないと気持ちが入らないだな」、とおっしゃった。「化粧はね、ベタベタやればいいってものじゃなくて、いかに心を切り替えるかなんだ。そういう意味で、美粧室は僕にとって大切な場所なんだよな」。
作家というのは一般の人より変身願望が強いのかもしれない。小説の登場人物を心で演じながら書き進めたりするのではないだろうか。私が知っているだけでも、ドラマに出演された作家は数名いらっしゃる。松本清張さん、遠藤周作さん、笹沢左保さん、そして川端康成さんだ。
桃井かおりさんの顔は演技同様、自然のままがいい。もし顔をつくりこむと、動きや言葉もそれに合わせなければならない。せっかくの自然体が崩れてしまう。人というのは面白いもので、二枚目顔につくると振る舞いも二枚目的になる。顔を無垢にしておけば、桃井さんからどんな演技が出ても、どんな言葉が発せられても違和感がない。逆にいえば桃井さんには、人にはないさまざまな引き出しがあるということだ。見る方もいろんな桃井かおりを期待する。
渥美清さんの顔は、欠点を集めたような顔である。しかし、欠点を集めたような顔の渥美さんを嫌う人はいない。渥美清といえば「寅さん」だ。ごついのに温かい渥美さんの顔が頭に浮かんでくる。渥美さんの顔は人を「ほっとさせる顔」だ。
秋吉久美子さん、ある時こんなことがあった。「ここでこの演技をしたら、話の最後とつながりませんよね」、と秋吉さんが演技の変更を主張していた。なるほど、結論から遡っていくと、途中が見えてくる。俳優の中にはその場その場の演技をする人もいるが、秋吉さんは全体がよくつかめている人だった。全体の流れからポイントを押え、メリハリのある演技ができるのが秋吉さんである。
森繁久弥さんの周りには、いつも人だかりがしている。楽屋には芸能人だけでなく企業人、政財界の方々もよく挨拶に来られていた。それだけ魅力があり、影響力のある人なのだ。普段の森繁さんはとてもおしゃれで格好いい。森繁さんの魅力はなんでもこなせる二枚目俳優の部分より、三枚目のダメ男を演じた時に発揮されるのではないだろうか。ちょっと間抜けで、だらしがなくて、でもなんだか憎めない男をやらせたら森繁さんの右に出るものはいない。森繁さんがダメ男を演じるときは、眉と眉の間を離して眉尻を下げてメークをする。途端に腑抜けだが、人が良く、憎めない顔に変わる。
山の中の畑から山崎努さんの顔がぬっと出た。島崎藤村作「夜明け前」のドラマ冒頭シーンである。山崎さん演じる村人が、野糞をするシーンからこのドラマははじまった。「野糞をしている」、言葉で伝えるのは簡単だ。でも山崎さんの表情からはたくさんのことが伝わってきた。大きいのか小さいのか、堅いのか柔らかいのか、気持ちはよかったのか。いろんなことが想像できる。表情は言葉より多くのことを伝えることもある。
多くの政治家は、外見の印象を大切にしている。田中角栄さんは初対面の時から私が魅力を感じた数少ない政治家だ。角栄さんの顔は政財界にはないタイプで、情にもろそうな人間味を感じ好感を持った。精力絶倫、「仕事は何でもやったるぜー」風のドラマの時には、角栄さんの顔をぜひ参考にしよう、そう思うほどエネルギッシュな人だった。実際、ドラマ「時よ止まれ」では、小林圭樹さん演じる政治家のメークは角栄さんを参考にして芸術賞をいただいている。
若い人でもしっかりとした大人の顔を持った人がいる。顔には芯がある。情熱をかたむける何かを持ち、それに対する自分への厳しさが引き締まった大人の顔を創り出す。やみくもに月日を重ね、老いただけでは大人の深みを持った顔にはならない。国語学者の金田一春彦さん、建築家の安藤忠雄さん達がその顔を持っている。
石坂浩二さんはいつ会っても、いつ見ても笑顔である。ぶつきらぼうなおしゃべりと親しみのある笑顔のバランスが、その場の雰囲気を和ましてくれる。石坂さんをみているとその人に備わった品格や性格は顔に出るものだなと思う。
黒柳徹子さんほど人の心を引きつける不思議な魅力を持った人はいない。いったい何が人の心をくすぐるのだろうか?エラの張った顔、鳥がさえずつているようなにぎやかな声色、回転数の速い楽しいしゃべり。黒柳さんがいなくなったら私の楽しみが1つ減る。やはり黒柳さんの最大の魅力は声だと思う。声があっての黒柳さんだ。
番組を通じて、多くの社長に会う機会があった。社長服といえば紺のスーツに白のシャツ、ネクタイで変化をつけるのが定番だ。社長達にとって、そこから外れるのは勇気がいるらしい。西武の堤さんがジャケットを細身に作ってシルエットを若くしているのが珍しいくらいで、誰とお会いしても代わり映えのしない服装だった。その中で堂々と服装に個性を出していたのが本田宗一郎さんだ。NHKに出演された社長の中で、色物のシャツを着たのはおそらく本田さんだけだったと思う。ある日、本田さんが突然約束なしに美粧室にきた。革ジャンにジーンズ姿で、脇にはヘルメットを抱えていた。「突然どうされたんですか?」「雑誌の取材でこういう格好をしようと思うんですけど、どうですか?――おしゃれを楽しむと人生の幅が広がるんだよ」。私が本田さんから教わったことである。
ケ小平さんが「日中平和友好条約」で来日した時、NHKがケ小平さんを取材した。取り巻きの中国人がみな背広を着ている中で、小平さんは一人人民服を着ていらした。存在感がありなかなか良いなと感じたが、一方、なぜ背広ではないのかと言う疑問も感じた。その後、北京の人民公会堂で中国障害者協会の会長を務めている小平さんの息子さんや、中国の要人と共に会食をする機会に恵まれた。「小平は16歳でフランスに留学をしました。彼のニックネームは唐辛子のナポレオンなんです。四川生まれですからね。おしゃれはパリ仕込みで、服装への関心は高いのですよ」。同席していた中国人の方が、「なぜ、小平が人民服を着ているかご存知ですか?私は彼が毛沢東に続く指導者として、国民に印象付けるためなんじゃないかと思っているのです」と言った。
相撲の若貴兄弟がデビューした時、お兄ちゃんより弟の方が強くなるだろうと思っていた。貴乃花関(現・親方)の方が顔の締り具合がよかったのだ。俳優でも顔に締りが出ると人気が上がる。アラン・ドロンや市川海老蔵さんもそうだった。講師として行った銀行でも、営業成績の良い人は顔が締まっている。
吉永小百合さんは考えることが好きな人だ。私が山口県にある金子みすずの生まれ故郷へ旅をすると言うと、「私が調べてあげるわよ。時刻表あるかしら」と言って、スタジオにあった時刻表で調べてくれた。「いい、ここで乗り換えるのよ」と結構姉御肌である。私は吉永さんのおかげで待ちぼうけなどせずに無事旅をすることができた。「どうしたらいいと思いますか」と聞いてくる人が多い中で、吉永さんは「私はこう思うのだけれど、岡野さんはどう思いますか」と質問される。必ず自分で考えてからこちらに質問を振ってくるのだ。女優はただ美しくあればトップに立てるわけではない。吉永さんの魅力は美しさの向こうにある生き方そのものではないだろうか。自己コントロールや企画までこなす“考える力”が女優吉永小百合を支えているのである。
山野美容短期大学副学長で香粧品化学を担当されている内堀毅教授に面白い話を教えていただいた。「香水は臭い香りを一滴混ぜると、他の香りを引き立てて素晴らしく良い香りができるんです。良い香りばかりを集めても良い香りはできないんですよ」。人の魅力も同じだ。
力が入りすぎている人は、人を遠ざけがちだ。服装でも気合が入っているのが見えると引いてしまう。むしろチラッと洒落た感じが見える方が、人は気になって近づいてくる。そんな男の粋を教えてくれたのが柳家小さん師匠だった。
以上が本書の概要だ。登場人物はこの他にたくさん出てくる。やはり、一流と呼ばれる人達は一味もふた味も違う。自分の哲学を持っている。また、相手を大切に思いやる心を持っている。著者の岡野宏さんが、あとがき代わりに「人生には大小さまざまな舞台が待っている。メークや扮装をすることは一部の特別な人達だけのものではなく、あなた自身が人生の舞台でスポットライトを浴びるためのものだ。また、ただ単に美しく格好よくするだけのものではなく、あなたを活かす演出方法なのだということがこの本から伝われば幸いである」とメッセージを残している。
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