丹羽宇一郎氏は現在、伊藤忠商事の会長です。本書の構成は、第1部の『4つの大いなる決断』と第2部の『決断する力を養う』とに分かれ、さらに、それぞれが4章ずつに区分されています。
2004年4月2日、伊藤忠商事は2004年3月期の連結決算で320億円の赤字を計上する記者発表を行いました。2005年度から適用される日本会計基準における「固定資産の減損会計」を早期適用した結果です。これが、社長としての私の最後の大仕事となりました。前期(2003年3月期)は、201億円の黒字で収益力も向上していますから、体力のある時にこれを断行したいという思いもありました。その後、私は6月29日をもって社長を退きました。就任当初から自分の任期は6年だと公約していましたから、その通り後輩に道を譲ることにしたわけです。任期を公にすることは、自分の引き際を定めるのと同時に、次の社長候補を若い連中に意識させる狙いもありました。私が次期社長を「スキップ・ワン・ジェネレーション」、すなわち一世代下の年齢から選ぶと言ったのは、体外的なインパクトを考えたのではなく、社内の連中に「次はお前たちが候補だぞ」、「お前たちが中心になって仕事をしろ」ということを暗黙のうちに示したかったからです。
後継者として指名した小林栄三社長は55歳、経営企画担当役員でした。11人の取締役の中で7人抜きでの社長就任ということになります。私が小林社長を指名した理由は、まず一つ、「人間力」があるからです。これは、気力、体力、知力、そして情熱といった人間としての力が強いということです。どんなに頭が良くても、たった一度の逆境でへこたれるような人はトップにはなれません。加えてもう一つ、彼は弱い者の立場に立てる男です。強さの中に、人間的な優しさを兼ね備えています。
「自分の人生なんてたかが知れている。社長を辞めたらタダの小父さんだ。格好つけたってしようがない」、それが私の哲学です。70歳くらいまでは、なんだかんだと内外の仕事が続くと思いますが、それが過ぎたら一線からは完全に引退すると自分で決めているんです。そうなったら、辺りをヨボヨボ歩くタダの小父さんだ。それでいいじゃないかと思っています。
伊藤忠商事の人材採用については、ディビジョン・カンパニー制ならではの方式を採っています。各ディビジョン・カンパニーが欲しい人材については、それぞれ個別に採用を行っています。例えば、新卒の採用については各ディビジョン・カンパニーが50%を採用し、残りの50%は会社全体として採用、各ディビジョン・カンパニーや管理部門に配置していくといった具合です。会社全体で採用して、本人の希望に関係なく繊維なら繊維、機械なら機械へ行けと辞令を出すのではなく、最初からどうしても繊維力に入りたいという人は、繊維カンパニーの採用を受けるという仕組みです。その方が、各ディビジョン・カンパニーにとってはやる気のある人材を採用できます。おおむね入社して10年が勝負ではないかと私は思います。だから少なくとも34、5歳まではみんな等しくチャンスがあるという形にしないといけない。卒業した大学がどこかなんて、今は誰も言いません。
私が副社長時代に手掛けたものに、ファミリーマート株式の取得があります。もともと私が業務部長時代の90年代前半にはファミリーマートという会社に目をつけ、わずかな株を持って人を派遣していました。少しずつ株を買っていこうというのが、当時の食料部門の戦略だったんです。もう、商社が今までのように口銭ベースで仕事をする時代は終わりました。利益の根源に迫る。私はずっとそう言い続けています。ものを右から左に動かして利益を得る時代は終わった。もっと新しいビジネスを開発していかないと、商社の未来はないのではないか。そう考えるようになり、株式を取得し始めたわけです。つまり川上から川下まで全部の分野に投資して、これに関与していく必要があるということです。私は「縦の総合化」と言っています。伊藤忠では、このビジネスモデルを「SIS(Strategic Integrated System)=戦略的統合システム」と名付け、食料分野を中心に推進しています。
伊藤忠には97年度の段階で1092社もの連結対象会社がありましたが、それだけ多いと管理するだけで一苦労です。現地法人を除く事業会社1000社を調べてみたら、黒字の会社は約600社。このうちの60社で全体の黒字額の50%を稼ぎだしているのです。従って、大幅に整理する必要がありました。今、連結決算対象会社全体で640〜50社になっていますが、さらに整理を継続させて、500社くらいがいいと私は思っています。
社長時代を振り返った時、最も大きな決断だったと思うのは、1999年10月に発表した3950億円の特損処理です。業界では類がないほどの規模で損失を計上しましたから、社内外に大きなインパクトを与えました。不採算事業の整理、販売用不動産の処理などがその内訳です。「あなたの社長として目指すところは何か」と問われたら、私はこう答えます。「社員が喜び、株主が喜び、取引先にも“伊藤忠はいい会社だ”と言われることだ。自分一人で金銀財宝を抱え込んで喜んでいる、ニヤニヤしているというのは気持ちが悪い。みんなと感動や感激を分かち合う喜びの方がいい。」
第2次世界大戦後、日本経済はバブルが崩壊するまで発展を遂げてきました。この要因はいろいろ考えられますが、その中で一つの絶対的な価値観として根付いたのが担保至上主義です。銀行は、土地と株という担保をとって企業に融資する。あるいは、企業も担保をもらってまた別の企業に融資する。会社経営には、すべて担保がベースにあったわけです。半世紀の間、これは日本企業の1つの共通した価値観として、極めて成功裏に終わりました。しかし、バブルがはじけた後、この価値観は一挙に崩壊しました。バブル崩壊とは、そのまま担保至上主義が崩壊したということです。
いずれにしても担保至上主義が崩壊し、今までの絶対的な価値観が崩れさりました。次に、それに代わるものは何か。企業はこれを模索している最中です。私自身は、新しいビジネスモデルを確立する以外にないだろうと考えています。「How to make money」、つまり儲かる仕組みを作るということです。それなくして、担保至上主義に代わるものはありません。
2003年の財務省資料によれば、日本全体の72%を占める中小・零細企業就業者1人あたりの人件費は、過去6年間の統計で、全従業員の51%(中小企業)の人が9%、21%(零細企業)の人が15%も下がっています。その一方で、大企業の社員は平均0.5%しか下がっていません。また別の日銀資料によれば、貯蓄(金融資産=銀行・郵便貯金、有価証券、保険)ゼロの世帯が23%にもなってきている。ここに消費税の大幅アップがくれば、中間層や低所得者層にとっては大変厳しい時代の到来ということになります。階層の2極化は、さらに一層進むことになると考えられます。
私がこれまでの自分を振り返ってみて誇りに思うのは、絶対に読書を欠かさなかったことです。これまでの何十年という間の読書の蓄積は、人に負けないものだと思っています。そして、読んだ人と読んでいない人との差は、そう一朝一夕には埋められない。これまで読書の習慣のなかった人が、急に読書をしようと思い立ったとしても、よほどの覚悟をしないと難しいでしょう。今までは、経営者に求められる資質として、付き合いがいいとか温厚篤実だとか、いろいろありました。しかし、これからの経営者は発想も豊かでなきゃいけないし、論理的な考えも必要だし、引っ張っていく力も当然必要になってきます。
リーダーとして周りを引っ張っていくためには、思いを共有しなければなりません。そのためには自分の夢やビジョンを語り、部下がどんなことを考えているかを知っておく必要があります。コミュニケーションをとって、お互いに思いや感動を共有するからこそ、仕事の目標や責任が明確になり、やりがいにつながっていくのです。ただ指示を出してそれで終わり、というものではありません。
社長に就任した当初、私は基本方針として「エキサイティングな会社にしよう」という考えを持っていました。エキサイティングな会社とはどんな会社か。まずは「儲かっている会社」であることです。そして次に「儲かった分を分配してくれる会社」ということです。従って、1999年から新しい人事制度を導入しました。具体的には、年収のうち一定比率を固定給(月給)、残りを変動給(ボーナス)にして、成果実績に応じて支払うという形です。
今後、21世紀の国際社会の中で日本の企業はどうあるべきか。これを考えた時、資源の獲得や利益の創出といった単純な金の話では終わりません。競争社会の中で生き残り、そして勝ち抜いていくには、日本が長期に渡って奪われないもの、あるいは失われないものを持つことが必要です。それは何か。私は、「人と技術」だと考えています。人材と技術力を持たない限り、21世紀の日本も、そして企業も、長期的な繁栄は難しい。資源は金さえ払えば確保することはできます。しかし、人や技術はそうはいきません。
私は「エリートなき国は滅びる」と思っています。社長時代、私の手元には「人材ファイル」というぶ厚い冊子がありました。ディビジョンごとに名前と成績が載っているものです。これを見ながら、そろそろMBAを取得させようとか、事業会社に出そうなどと、人事の采配を行っていました。言わばエリートを養成するための選抜基準の一つだったわけです。エリートには、その地位に見合った責任と義務が生じます。これを「ノーブレス・オブリージュ」と言います。他人のために尽くす。悪いときには矢面に立ち、良いときには後ろに下がる。謙虚さと謙譲の精神を持たなければなりません。これは一般の人から見ると大変に苦痛なことです。それを苦痛と思わず、美徳として自然に行える人間、これがエリートです。本当のエリートは人間性という観点から見て「選ばれた人」ということになります。
以上が本書の概要です。著者の丹羽宇一郎氏は、経済会の中でも理論家として有名な人ですし、現実にいろいろな経済雑誌に執筆しております。社長になっても送迎の車は使わず、電車通勤をなさっていました。本文にも出てきますが、「自分の人生なんてたかが知れている。社長を辞めたらタダの小父さんだ。格好つけたってしょうがない。それが私の哲学です」。そして今でも自家用車はカローラに乗っています。彼の持つ価値観に従って生きてこられたという哲学者です。それを形成したのは、子供の頃から読破してきた読書の量と質にあると思います。読書は人間として生きていく上に大切な道具だと思います。
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