本書は、理論社のホームページの「人間科学なんでも質問箱」のコーナーに、2005年2月までの間にメールで寄せられた質問・相談に対して、養老孟司さんが回答したものです。構成は6章に分かれています。
まず、人間の脳で、他の生物より飛躍的に発達・増大したのは、「大脳皮質」と呼ばれる部分なんです。この大脳皮質っていうのは、脳の働きにとって非常に重要な部分で、これの厚さは数ミリ、新聞紙1枚くらいの大きさの皮でできています。この新聞紙1枚くらいの皮を頭の中に丸く納めようとすると、茶筒に皮を詰め込むみたいにシワだらけにするしかないでしょ。だから、大脳皮質が大きいほど、当然シワは多くなるというわけです。人間は大脳皮質が大きくなったから、その分、脳のシワも多くなったというわけです。シワの数で、その人間がバカかりこうかはわかりません。
しかし、脳ミソがちゃんとしていないと、からだは動かない。3歳くらいの子どもで、字をどれだけ知っているか。つまり、識字率が高いということと、外遊び時間の多さが、はっきりと関係しているのです。外遊びするということは人と付き合う、いろいろ遊ぶ、活発に動く。そういう子は、実は識字率が高いということがわかっています。
人間が「何かをできる」ということには、すべて脳ミソが関係しています。すべては脳の働きの問題なんです。「学習」っていうのは、入力と出力を繰り返し繰り返し回していくことで、脳がひとりでに「変わらない」ということだけを残していくということです。それがものを覚える、学習する、身につくってことなんです。
なんらかの障害があって、筋肉が動かないとします。そうすると、たちまち「学習」が遅れます。それは頭が悪いんじゃなくて、ループが回っていないからです。「出力」が働かず、脳の活動が回っていないということなんです。だから、障害のある赤ちゃんでも、ある程度、からだを使わせるようにした方がいいということがわかっている。おとなが手伝って、少しでも自分でハイハイとかできるようにしてやると、言葉がしゃべれるようになることがある。自分の筋肉を動かして動く。そうすると何かの音が聞こえたり、風景が変わったりする。そうするとそれにまた反応して進む。これで入出力が回り出すと、言葉も回り出します。だから、自分のからだで動くっていうことは、特に小さい時は、脳の発達のためには本当に大切なことです。
脳の働きや発達は、入出力のグルグル回しが大事なんだ、ってことが前提になるわけです。人間にとって、もっとも必要な能力といったら、他人を理解する能力、そして相手にものを伝えて、逆に相手からものを伝えてもらう能力です。つまり、言葉の能力と、それから相手の気持ちを察したり、見抜いたりする能力。この二つが、人間にとってとても大事です。その能力がない人が、しばしばバカって呼ばれる。
脳ってのは、決まりきった状況に置かれるのが一番よくないのです。決まりきった状況って、極端に言えば、部屋にずっと閉じ込められているとか、ずっと部屋に閉じこもっているとかね。そこから出されない、出ない限りは、いろんな能力が発達しません。
何もしないでもできるのは、生まれつき遺伝子によってできてくる能力だけです。例えば、「喜怒哀楽」です。喜んだり、怒ったりすることは、外から何も入力しなくても、例えば目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりする子どもでも、ある時期が来れば、そういう表情はひとりでに、必ず出現してきます。つまり息をするのと同じで、本能的なものです。この本能的な行動は、周りがどうでも関係なく出てくる。ところが、大脳新皮質は、生まれた時は真っ白だと思っていい。つまり何も入っていない。そこへは全部、後から入ってきます。ある時期までに、ここへちゃんとした刺激が入らないと、脳は発達しません。
近頃の子どもはすぐキレると言います。キレるというのは、実は前頭葉機能の低下なんです。脳の入力側から状況が入ってきて、前頭前野で折り返るのです。つまり、入ってきたのと出ていくのが、ちょうど折れ返るのが前頭葉部分なのです。感覚から入ってきて、前頭葉で折れ返って、運動系に出ていく。知ることと行うこと、そのちょうど折れ返り部分が前頭葉です。ここにはブレーキが置いてあるわけです。出る側の最終ブレーキです。キレやすいということは、このブレーキが利いてない、あるいは利きが弱い。
犯罪を犯す人の脳って、普通の人と違うんです。学者が40数例調べた衝動殺人犯の中に、4例連続殺人犯もいた。その殺人犯は、前頭葉機能は普通なんだけど、扁桃体機能に問題があった。つまりブレーキは普通だった。扁桃体機能というのは、社会活動に対するアクセルと考えていいと思います。善悪の判断、価値判断とかに関わる部分の活性が高いのです。前頭葉機能がうまく機能しないと、衝動殺人になり、アクセルの踏み過ぎが連続殺人、ということになる。連続殺人の場合は、なかなか警察に捕まらないわけですから、判断力は正常だったりします。ブレーキは普通、だからなかなか警察に捕まらない。
トラウマ、心的外傷というのは、非常に強く残りうるんです。日本は陸地面積が世界の0.25%。歴史上起こった大噴火の1割、マグニチュード6以上の地震の2割が日本で起こっている。だから、日本人は今までに、徹底的に被害を受けてきた。その度に、いろんなやり方で乗り越えてきた。例えば、固まって暮らすとかいうことだったり、「水に流す」っていう言葉だったり…いろいろあると思いますけれどね。それがね、戦後、非常に壊れてきていて、自然災害にものすごく弱くなっている。
以上は、子どもの質問に答えたもののうちいくつかを載せました。普段われわれは脳についてあまり考えません。しかし、最近の世の中は、本書にも出てくる「キレる」一つを取り上げても、親が子どもを殺す、子が親を殺すなどの犯罪が急増しています。一方で、不登校やひきこもりなど、昔はあまり聞かなかった現象がどんどん起きています。ストレスもたまるいっぽうです。何か変な社会になっています。ここでもう一度、「脳」について考えてみる必要があるのではないでしょうか。大脳生理学的に言えば、前頭葉は4歳ぐらいには大人の半分ぐらいまで発達し、9歳程度では70%程度になると言われています。つまり、子どもの躾は赤ちゃんの時からきちんとしたものを教え込み、正しい道を歩ませるように躾ていくことが大切だと思います。現在の日本では、結婚の資格がないのに親となり、子どもを2階から投げ飛ばすような事件も出ています。結婚するカップルには「躾」の勉強を受けさせることが必要かもしれません。本書のあとがきに養老孟子さんのことばとして、「子どもの質問って何とも面白い。もっとつまらないかと思ったら、ずいぶん面白いですよね。でも笑って答えるのと、怒って答えるのと半々くらいでしたね。子どもの質問に怒っちゃいけませんが、子ども自体に怒るよりは、子どもをそうしちゃったおとなに、怒ってるんですよね。まったく何という常識をつけてんだ、ってね」、と述べている。この辺でもう一度、脳の仕組みについて学ぶ必要がありそうです。そのためにも是非本書をお勧めします。
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