プロになるためにはそれにふさわしい「心構え」が必要です。しかし、「心構え」だけではどうも足りないと考えるようになりました。というのは、プロとして通用するには、もう一つ「大局観」が必要だからです。つまり、自分の専門分野だけに閉じこもっていて、自分自身のポジションや社会全体の姿が見えてないと、プロとして必ず行き詰まります。
本書は、プロを目指す人ならどうしても知っておかなければならないこと、どうしても一度深く考えておかなければならないことを重点的に取り上げ、読者に日本経済や日本社会についての「大局観」を身に付けていただくことを目的としています。本書は3部からなり、1部は「マクロ経済的視点」、2部は「ミクロ的視点」、3部は「文明論的視点」です。
日本の人口は既に1996年から減り始めていますが、経済の担い手である生産年齢人口(15歳から64歳まで)は2006年から急速に減少し始めます。その時、日本経済はどうなるでしょう。これまで1億2000万人向けに用意されてきた工場などの資産や、道路や学校などの公共インフラが余剰になってくるということですから、大げさに言えば、国全体が不用品で溢れかえることになります。
現在の日本は、国連に莫大な寄付をしたり、アジアや発展途上国へのODA(政府開発援助)に出資することで、なんとか国際的な地位を獲得し、先進国のネットワークの一員として認められています。しかし経済が縮小すると、他の国のことにかまっている余裕はありません。最も心配なのは、日本のような外交能力や国家としての戦略が弱い国で経済が縮小した場合に、経済の縮小以上のスピードで、国際的な競争力が落ちてしまうことです。
5年後の日本は、これまで私たちが経験したことのない恐ろしい事態に陥る可能性が極めて高いのです。経済サイズは急速に収縮し、強烈なインフレが起こり、財政が破綻する。自殺者はさらに増えるでしょうし、治安も悪化し社会不安が増大します。人口が減っていきながら、それでもなお、活力ある社会が実現したケースは世界の歴史を見ても一例もないのです。今後インフラの供給過剰問題がますます表面化してくることは間違いありません。
これからの日本経済にとって人口減少経済と同じくらい重要な問題は、日本の家計貯蓄率がどんどん低下しているという事実です。2007年〜2009年に貯蓄率はゼロ、もしくはマイナスになるだろうと予測されています。これは、団塊の世代と呼ばれる現在50代後半の人たちが、大量にリタイアしていくのが最大の原因です。彼らはリタイア後、これまでの貯蓄を取り崩しながら生活することになります。家計が貯蓄をしなくなる、あるいは貯蓄を取り崩すようになった時、各経済主体は必要な資金をどこから融通すればよいのでしょうか。貯蓄率マイナス経済になった時、誰が国債を買ってくれるのでしょうか。
2010年以降、日本が人口減少経済、貯蓄率マイナス経済といった新しい構造に転換していった時に、円高基調が守られるかどうかはわかりません。ひょっとすると、大幅な円安になるかもしれません。外国人投資家に日本の国債を買ってもらう時は、為替リスクに見合ったプレミアムを求められることになるでしょう。
10%という極めて高い金利を外国人に払って借金をするのか。それとも、日銀に毒薬を飲ませて、大インフレを起こす道を選ぶか。いずれにせよ日本政府はこうした極めて難しい選択を、数年先に強いられることになるのは確実です。
厚生年金の保険料収入は、2002年度の実績で35兆円以上に上ります。そのうち30兆円近くは、会社員の給料からの天引きされている厚生年金分です。厚生年金は、「報酬比例の年金」を支給するもので、運用によって賄われます。2002年度には、約150兆円に上る年金積立金のうち、31兆6000億円を株式市場で運用した結果、約3兆円の赤字を出し、累積損失は6兆円以上に達したことが分かりました。
2001年、小泉首相は「構造改革」を旗印に国民の絶大な期待を受けて登場しました。しかし、改革が一向に進んでいないのは周知の通りです。彼が掲げた最も明確な公約の1つが郵政事業の民営化でしたが、いざ実行に移そうとすると、郵政族のドンから「小泉は独裁者だ」と反発に遭う(8月8日参議院本会議で否決される、反対派は大きな政府を求めているものと思われる。郵政公社、すなわち国家公務員は26万人もいるのである)。権力がそれぞれの既得権益を持った集団ごとに分散し、その力が極めて強い状況では、誰が総理大臣になろうと、どんな内閣を作ろうと結果は同じです。日本の政党は理念や政策でなく、利権を求めて集まった団体であることを示しています。
日本企業の特色を考える時、まず「私たち日本人は歴史的に農耕文化のDNAを持っている」という事実をはっきりと認識すべきだと思います。狩猟民族の場合は、体力や知力のある個人が能力を発揮する必要があります。時には腕力を使って獲物をねじ伏せ、時には頭脳を駆使して罠で獲物を捕獲します。こうした社会では獲物を捕った人が、最も多くの分け前を取るのは当然です。これはまさに成果主義です。一方で農耕社会では、ほとんどの村人が農業に従事することになります。個人の能力があるかどうかは多少関係しますが、基本的に重要ではありません。リーダーシップを発揮する人もいますが、その役割は主にチーム全体の調整です。
しばしば、日本企業は「弱い本社、強い現場」と言われます。本社にははっきりとしたコンセプトがないし、戦略もない。しかし、現場がしっかりしているから、本社の弱さを補って余りある力を有している、という意味です。日本企業はグローバリゼーションの中で生産拠点だけではなく、その他の機能も海外に移転する必要性が高まってきたのです。国ごとに消費動向は違うので、マーケティング部隊を現地に設置しなければならなくなる。現地の人々の趣向に合わせた商品を開発するために、R&D部門も移転しなければならない。あるいは資金調達も現地で賄った方が有利だ、といった潮流が出てきた時、日本企業は困ってしまったのです。こうした業務は基本的にホワイトカラーの仕事ですし、必ずしも現場の仕事ではないので、これまでの「強い現場力」で勝負することができません。そうすると、日本企業は戸惑ってしまう。これが現在の日本企業が抱えているグローバリゼーションの最大の問題です。
今後、IT化の流れが急に止まることは考えられない以上、自動車のような複雑な分野でさえ情報は形式知化、デジタル化されていくでしょう。「形式知」とは形式的・論理的言語によって伝達できる知識であり、これに対する「暗黙知」とは言葉にならない深いレベルでの知識の事を指します。「デジタル化が進む」ということは、「モジュール化が進む」ということとほぼ同意語と考えてよいと思いますが、半導体技術の進展がこれからも進むことを前提にするならば、長期的にはあらゆる産業においてモジュール化は避けて通れない道なのです。だとすれば、一刻も早く、必要以上に長期継続的取引関係を重視する経営システムから脱却する必要があります。
日本の自動車業界やエレクトロニクス産業が世界的な競争力を誇った70年代、80年代であっても、日本の製薬会社は弱かった。この理由は、製薬業界が新薬開発という独創性を要求される分野だからです。企業間の長期継続的な信頼システムとはまったく関係ありませんから、こうなると共同社会的な日本企業は力を発揮できないのです。モジュール化が進んでいけば、あらゆる業界で、これまで以上に独創性が重んじられようになります。まったくオリジナルの商品やサービスを創造して、それを世界標準にする。グローバリゼーションが進むと、企業はこうした競争に突入することになります。
日本の優良企業を見ると、創業者の熱い思いが、ガスの密度を保っているケースが圧倒的に多い。セコムやホンダ、京セラなど、創業者の思いが求心力になっています。これとは対照的に、財閥系の会社に存在感がないのは、中心のガスが薄くなっているからです。また、創業者が作り上げた大企業であっても、創業者が現役を退いて時間が経つと、だんだんガスが希薄化していきます。一方で、欧米系、特にアメリカ系の企業になると、中心にどれだけ強いリーダーを置くことができるかが求心力を生み出す最大のポイントになります。いわば「ジャック・ウエルチをどこから連れてくるか」が重要になるのです。
日本人はひとたび異文化を受け入れなければならないとなると、とことん受け入れます。しかも学習能力は極めて高いので、あっという間にある程度のレベルまで精度を高め、さらに良い物へと改良をしていきます。そのスピードは驚異的です。明治維新は1868年、日露戦争は1904年、その間、40年もありません。この短期間で大国ロシアに対して、まがりなりにも勝利を収めるまでに国力を増大したのです。興味深いのは明治維新から日露戦争が約40年、終戦からプラザ合意までも40年と、ほぼ同じ年数だということです。この間、日本人は一生懸命に努力をしたのです。しかし、いったん成功すると驕りの気持ちが出てしまう。これが日本人の欠点です。
人間の歴史は、グローバリゼーションの連続であったとも言えます。しかし、近年のIT革命は、この「世界の一体化」の流れを加速し、急激に地球を狭くしました。これは未曾有の歴史的事件です。日本にとっても、今ほど「グローバル」という言葉が重要視される時代はありません。今後、日本は人口減少経済、貯蓄率マイナス経済になり、資本や労働力を海外に求めなくてはならなくなります。製品分野でもモジュール化が進み、これまで以上に積極的な世界の企業との取引・連携なしには、国際的競争力を持つ商品は生みだせないでしょう。
多くのビジネスパーソンはグローバル化の流れに乗り遅れまいと、「英語を勉強しよう」とか「世界に通用する資格を取得しよう」と考えがちです。しかし、これから世界を舞台に活躍したいと思っている皆さんにとって、スキルの習得よりも大切なことがあります。それは「基本的な教養を身につけること」です。一般的に、日本人ビジネスパーソンが外国人から「退屈だ」と評されることが多いのは、話の中身がつまらないからです。結果から言えば、「日本人は教養に欠ける」ということになります。
以上が本書の概要です。お読みになれば理解できますが、日本経済がこのまま行くと、2010年頃にとてつもない大変化に巻き込まれるという問題です。「人口減少、貯蓄率ゼロ経済、そして財政破綻から来るハイパーインフレの危機。「2010年問題」についてどう考えるのか。この問題に対する「大局観」がなければ、到底ビジネスのプロとしては大成できない」、と著者が指摘するように、日本が抱える問題は大きい。ここに来て、郵政民営化が否決され、小泉首相は解散総選挙に打って出ました。国民の約半数が解散に賛成です。小さな政府を目指さなければ将来の日本がないと思われる今日、過去に得た既得権を守ろう、選挙の票が欲しい、など国民の立場で考えない政治家たちが如何に多いか。いまこそ、日本人一人ひとりが日本の国そのものを考え、行動を起こさなければならない時です。そんな時に、本書は考える一助になるでしょう。
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